千葉ウシノヒロバ
私たちはどうすれば、人間以外のことを、自分ごととして考えられるのか
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私たちはどうすれば、人間以外のことを、自分ごととして考えられるのか

千葉ウシノヒロバ

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。

今回は、ウシノヒロバの運営会社である株式会社chicabiでインターンをしている、吉澤葵が執筆いたします。

正直なところ、私は、牛についても、食や社会についても、勉強しはじめたばかりです。
だから、今読んでくださっているみなさんと一緒に考えていけたらうれしいです。

冒頭に書いたとおり、たくさんのことを考えていきたい牛ラボマガジンですが、今回のテーマは「自分ごととして考える」です。ウシノヒロバでは、自然や人間や酪農など、さまざまなことについて考えるようにしていますが、それらを自分ごととして考えることはなかなか難しいと思っています。いくら社会のなかに課題があっても、それを自分ごととして考えないことには、実感がわかず、対岸の火事のように思えてしまいます。だからこそ、「自分ごととして考える」ということがとても大切になってきます。

今回は、諏訪正樹さんと藤井晴行さん共著の『知のデザイン -自分ごととして考えよう-』という本を読んで、私が考えたことや感じたことをお届けします。

この本では、著者の考える「自分ごととして考える」について、日常生活のなかで身近に考えられることから、教育や研究、デザインについてなど、さまざまな観点から書かれています。
私たちは、ウシノヒロバに訪れる人たちが、社会を自分の身近に引き寄せ、自分たちの人生を自分たちの手でより良くしていくということに貢献したいと考えています。そのために大切な「自分ごととして考える」、この本のなかには、たくさんのヒントがありました。

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「自分ごととして考える」とは?

まず、「自分ごととして考える」とは、一体どういうことなのでしょうか?よく言われる言葉だとは思いますが、いざ説明しようとしてみると意外と難しい気がします。
この本を読んで私は、「自分ごととして考える」ことについて、

「自分ごととして考える」とは、知識や情報をからだに通して、最終的に腑に落ちた状態(知)にすること

ということだと解釈しました。

この本のなかでは、「自分ごととして考える」ことの、具体的な例も紹介されています。そのひとつが「電子マネー」です。
最近、電子マネーを使用している人が増えているかと思います。電子マネーを使うときのことを思い浮かべて欲しいのですが、お金を支払うとき、現金より電子マネーの方が支払いに対するためらいが少なくないでしょうか。同じ5万円であっても、現金よりも電子マネーの方が、抵抗が少ないような気がします。これは、実際に指でお金をさわるなど、数えることを意識する動作をしていないために起こっている錯覚だそうです。

そう考えると、今私がこの文章を書いていることも、本を読んで得た情報を、手を使って書くという行動を通して考え、現在進行形で自分ごとの知にしている最中なのかもしれません。
確かに、本を読むだけでなく、読んだ本の感想を日記に書いたり、誰かに話したり、アウトプットしてはじめて理解できることがあると思います。
このように、「自分ごととして考える」というのは、自らの手やからだを動かして、頭ではなく体で考えることだと私は解釈しました。

ウシノヒロバにおける「自分ごと」

ウシノヒロバは、訪れた人や関わる人が、人間はもちろん、自然や動物などを含めたあらゆる存在のことを自分ごとのように考え、優しい気持ちを持てるような、あたたかい場所を目指しています。

ですが、自然や動物のことを自分ごとのように考える、それはとても大変で、難しいことのように感じます。一体どのようにすればよいのでしょうか。

たとえば、今から50年後や100年後の未来は、一見遠いことに感じます。100年後のことを自分ごとのように考えようとしても、難しいのが正直なところでしょう。しかし、近くにいる子どもの姿を見ながら100年後の未来を考えてみると、「平和で幸せな世界であってほしい」のように、多少なりとも何か思うことが増えないでしょうか。この違いは何でしょうか。
つまり、自分ごととして考えるためには、自分と他者間に、相手のことを想う関係性があるからです。言葉を交わしたり、遊んだり、かげながら応援していたり、何らかの形でコミュニケーションをとった経験が、「自分ごととして考える」きっかけにつながるのです。頭だけでなく、体で感じて考える、その身体性こそが大切なのでしょう。

しかし、動物(や自然)と人間の間には、言葉によるコミュニケーションがありません。子どもの将来は想像できても、違う生命の人生を想像することは簡単ではないでしょう。だから、動物を含むほかの生命のことをを自分ごととして少しでも考えられるようになるためには、より一層の努力が必要になります。たとえば、先人たちの知恵から学んだり、毎日ていねいに観察したり、それを踏まえて一生懸命想像したり、そういった努力を続けることに尽きるでしょう。
実際にウシノヒロバで牛と関わる飼育スタッフは、ほんとうにちょっとした変化から、牛の体調変化に気がつきます。スタッフに話を聞いたところ、ご飯や掃除のお世話、体調の観察を続けながらていねいにかかわっていくことで、だんだんと牛のことを自分ごととして考えられるようになったと言っていました。毎日を同じ空間で過ごすことで、言葉を交わすことはできなくても、何か感じる力がついてくるのでしょう。

このように、ウシノヒロバではたらくスタッフは、少しずつ牛のことを自分ごととして考えることができるようになりました。では、訪れるお客さまに同じように感じてもらうためにはどうしたらいいでしょうか。スタッフですら時間がかかっていることです。一時的に訪れるお客さまに同じように感じてもらうには、相当なハードルがある気がします。

ウシノヒロバに訪れる方々に牛の説明をしたり、この牛ラボマガジンで伝えたり、さまざまな取り組みを実施していますが、まだまだ足りていないというのが現状です。これからも、牛や動物、自然など、ほかの生命についてみなさんと一緒に自分ごととして考えていくことができるように、努力を続けていこうと思います。

ウシノヒロバのスタッフが時間をかけて牛のことがわかるようになったように、少しずつていねいに積み重ねていけば、お客さまにも同じように思ってもらうことが、きっとできるはずです。

自分ごととして考えることは、幸せなことなのか

さて、ここまで、「どうすれば自分ごととして考えられるのか」と、自分ごととして考えることをあたかも正解のように語ってきましたが、本当にそうなのでしょうか。

自分ごととして考えるということは、真正面から現実と向き合うということにほかなりません。自分のことだけでなく、他人のこと、動物のこと、自然のことまでも自分のことのように考える、それはもしかしたら、大変なストレスになるかもしれません。自分や他人の弱さと向き合ったり、他者と向き合いすぎて自分を見失ったり、
つらい側面も大きくあるかもしれません。このように、自分ごととして考えることと個人として幸せになることは、イコールではありません。

ですが、それでも「自分ごととして考える」ことをしたいと、私は思います。

いま、世界や社会には課題がたくさんあります。自分ごととして考えることで、解決に向かうことも多いでしょう。ですが、もし大変だからと言って、自分ごととして考えず、その課題を解決しなかったらどうなるでしょうか。課題はずっとなくなりません。数十年後、私たちが大切に想っている子どもたちや、動物たちが、そのツケを払うことになってしまうかもしれません。そうなったらきっと私たちは、ほぞを噛むでしょう。そのときに自分ごととして考えても、すでに手遅れです。未来の課題は、いま私たちが自分ごととして考えることで、いまのうちに解決することができるのです。

ウシノヒロバには「この場所に訪れる一人ひとりの自律性を尊重する」という約束があります。頭で考えるだけでなく、動物や自然に触れて、自分のからだを通して、自分ごととして向き合えるように、そしてそれが社会的な問題の解消へつながるように、少しでも貢献していけたらと思っています。

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『知のデザイン ―自分ごととして考えよう』諏訪 正樹、藤井 晴行

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(執筆:吉澤 葵、編集:山本 文弥)

千葉ウシノヒロバ
千葉県千葉市若葉区に2020年10月にオープンした、牛が暮らすキャンプ場。人と牛と自然が穏やかに交差する、そんな場所を目指しています。 🐮https://ushinohiroba.com/ 運営=㈱千葉牧場 https://chiba.farm/