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私と社会と自然――人と地球をつなぐ、エコロジカルな態度(前編)

みなさんこんにちは、牛ラボマガジンです。

今回は、一般社団法人 Ecological Memes(以下、エコロジカルミーム)の代表・発起人である小林泰紘さんに「自然や社会に対する、私なりのあり方の模索と実践」についてお話をうかがいました。エコロジカルミームでは、エコロジーや生態系を切り口にこれからの時代の人間観やビジネスのあり方を探索していく取り組みを実施されています。

自然や社会については、知れば知るほど問題の構造が複雑で、自分の立ち位置を決めること、そして、そのうえで実践に移すことの難しさに直面します。
違和感を抱える自分と、現在の状況から抜け出せない自分。そんな状態から立ち上がり、この社会の中で「私なりのあり方」を決めるためにはいったい何が必要なのでしょうか。小林さんにさまざまな角度からお話をうかがいました。

今回はその前編をお届けします。
(このインタビューはオンライン会議サービスのZoomを利用して行いました。)

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地球環境や社会との関わり方を探索する

──まず最初に、小林さんがエコロジカルミームの活動をはじめたきっかけを教えてください
ぼくは子どものころから、自然に触れ合ったり、国内外さまざまな場所を旅したりしてきました。エコロジカルミームは、そうしたさまざまな経験の中で"生まれてしまった"という回答が正直なところです。ただ、あえて一つ理由をあげるとしたら、仕事の中で感じた「時代の変化」があると思います。

ぼくの普段の仕事は、クライアント企業のビジョンやミッションを再定義し、実装していくことです。個人や組織が内側に抱えている思いやビジョンを現実化するためには、内面と向き合うと同時に、外側にある時代の潮流をセンシングしていくことが必要になります。

いま、人が生きることと地球環境の関係性が、さまざまな角度から見直されているタイミングにあると感じています。地球規模のサステナビリティや生命多様性の危機といった大きな文脈から、ぼくら一人ひとりがどう生きていくのかという具体的な視点まで、あらゆることが問い直されている。さらにいえば、「群れ方」についても再構築が起こっています。組織や集団として、さらには社会全体として、人がどういうふうに群れていくのかが変化しはじめていると感じています。人の世界に閉じず、生き物や地球とどういうふうに関わっていくのか。

これらはすごく大きなテーマなので、一つの分野だけで解決できる領域ではありません。むしろ専門分野で特化していくほどタコツボ化が起こり、本質からそれていってしまう。生態学や生物学はもちろん、複雑系の考え方、あるいは東洋的な哲学や思想といったあらゆる学問の助けを借りながら、領域横断型で探索を行う必要を感じていました。そこで小さくはじめたプロジェクトがエコロジカルミームでした。

生態系のような複雑なシステムにおけるつながりや二元論的に白黒わけられない「あいだ」の領域に着目し、個人の生き方と社会経済活動、地球環境を切り離さない未来への道筋を探索しています。

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──地球環境や社会との関わり方が変われば、探索をしていた人自身の生き方も変わっていくのではないかと思いました。小林さん自身の中で、探索的な活動を通じて変化したことはありましたか?
そうですね。これまで自分の中にずっとあった感覚を言語化できるようになったかもしれません。

──自分の中にずっとあった感覚とは、具体的にどういったものでしょうか。
ぼくが小さいころ、家の前に森があったんです。小さいころからその森で遊んでいて、ずっと一緒に育ってきた。だけど10歳のとき、その森が切り開かれてしまったんです。木がバッタバッタと切り倒されていく風景を家の窓から見て、とにかく悲しくて苦しくて仕方がなかったことを覚えています。そのときにぼくは「なんでこんなに心が悲しいんだろう」と思いました。切り倒されているのは木であってぼくではないし、ぼくがクレーンで引っ張って持ち上げられているわけでもない。でもその光景を見て、ぼくの中に間違いなく痛むものがありました。きっと、ぼくの心の中にその森が存在していたんです。
そういった経験や出会いに対して、心の中で「なにかとつながりあっている」という感覚はずっと持っていました。

「私」も含めた地球上のつながりあいを感じ取る

──お話をうかがっている中で、言葉の端々に東洋的な自然観を感じました。あえて少し乱暴に単純化しますが、「森が切り開かれて悲しい」という感じ方は、西洋的というよりは東洋的な自然観なんじゃないかと思ったのですが、小林さんご自身の自覚としてはいかがでしょうか。
西洋というか、産業革命を大きな契機とした近現代科学や産業社会においては、自然と人を切り離し対象化されたものを自然として捉える見方が発展してきました。それは人類に劇的な文明発展をもたらした一方で自然環境への搾取や支配的態度へもつながってきたわけですが、そういった見方の中では、ぼくが体験した「ぼくの心の中にその森が存在していた」というつながりの感覚をどう扱っていいのかわからなくなってしまったんです。

一方、東洋では、内外を切り分けずにつながりあいの中で全体性を捉える世界認識が養われてきました。日本でもたとえば、「Nature」という言葉が輸入される以前は、もともと「自然(じねん)」「自ずから然らしむ」という言葉がありました。これは「ありのままにそうなっていく」という意味で、人を含めた森羅万象の関わり合いを包摂する言葉だったと言います。神道やアニミズムなどもそうですが、自然(しぜん)と人を対象化して切り離すのではない東洋的な世界観に出会ったときには、「やっぱりそうだよな」と、すとんと腹落ちする感覚がありました。

仏教や密教も二元論を乗り越える哲学論理として深められている分野なので、調べていると学ぶこともたくさんありますが、何か新しいものを学んでいるという感覚よりも、再確認させていただいているという感覚があります。

──なるほど。西洋的な言語感覚を下地にしてしまうと、「森が開かれて悲しかった」という体験がうまく説明できなくなってしまうんですね。
まさにそうですね。もちろん、小さいころからそういうことを考えていたわけではないですが。

──内と外がつながりあうという感覚以外にも、東洋的な自然観から得た気づきはありますか?
南方熊楠の思想との出会いは衝撃でした。熊楠は明治から昭和にかけての研究者ですが、民俗学者であり、博物学者であり、哲学者であり、粘菌研究をはじめとする生物学者でもありました。日本にエコロジーの源流である「エコロギア」という言葉をはじめて持ち込んだ方でもあります。

熊楠は19世紀末に英国に留学をしていました。ちょうど人類学が新たな学問として立ち上がりはじめていた頃です。
植民地時代の副産物として急激に躍進しはじめていた西欧の人類学に夢中になると同時に、それが当時の科学の支配的なパラダイムとなっていたダーウィンの進化論やニュートン力学、スペンサーの社会進化論などの土台の上に築かれていることに次第に強烈な違和感を感じていきます。それは因果や必然性のみを追求し、世界を機械論的に、要素還元的に認識しようとする流れでもありました。
熊楠はもともと仏教の縁など偶然性や全体性を包摂した東洋哲学論理に触れていたので、自然現象も社会現象も必然性だけでは捉えられないことや、世界を客観的に細分化して認識しようとすることの限界が見えていたんじゃないかとぼくは捉えています。

もちろん世界を細分化していく中で、明らかになったこともたくさんあります。原子や分子や素粒子の発見もそうですし、ぼくらの社会は産業文明からたくさんのものを享受しながら暮らしています。
しかしそうした中で、人は世界を機械的に細分化したり、対象化していくものの見方にあまりに浸り過ぎてしてまってきたのではないでしょうか。

ソニーの創業者の井深大も、デカルトやニュートンが築き上げた「科学的」とされる考え方の誤りは「物と心」を分けたことにあるといっていますが、熊楠は物と心が出会うことで生じる「事」に世界の本質があると考えていて、それは対象として分離することができない構造を持っていることに気付いていました。
その「事」を捉える方法が真言密教のマンダラ思想の中に潜んでいることを直感していて、だからこそ科学は仏教哲学と融合することで、現代学問の限界を乗り越えていけると考えていました。量子論の観測者問題の要点を30年以上も前に先取りしていたんです。

熊楠は、行き過ぎた合理主義によって生命の奥深い真実が犠牲になってしまっていることや、客観的な観察者として外側からものごとを眺めているだけでは生命のありありとした真実に触れることはできないことを直感していたのだと思います。

彼のように、人と自然環境を切り離さずにつながり合いや相互作用を扱う態度をエコロジカルミームでは「エコロジカルな態度」と定義をしています。これまでの社会では、エコロジーと向き合うときに、自然環境だけを切り離し、外部としてどう働きかけるかに終始してきてしまった部分があるように感じます。
しかしぼくらが生き物として地球の中で生きている以上、ぼくら一人ひとりがよりよく生きていくことと、自然と共にあることを、切り離すことはできません。

写真2

──今のお話も含め、小林さんの活動を拝見していると、いわゆるシステム思考的な考え方も取り入れられているのかなと感じました。小林さんは全体をシステムで捉えるといった思考は意識されていますか?
仕事でシステム思考的なアプローチを取ることは多いですね。たとえば食と社会課題というテーマがあったときには、食に関わるさまざまな事象が社会とそれぞれどのようにつながりあっているか全体のシステムを考えていきました。
しかし、そのスケールが大きくなればなるほどその構造を身体感覚だけで理解することが難しくなります。そのビジネスやサービスを提供することが、どういうふうに人々の生活や社会、本当に作りたい未来に繋がっていくのか。そういったつながり合いをシステムとして可視化して、ビジョンに繋がるような形で実現していく際に、システム思考を使っています。
ビジネスの世界でも自社だけではなく周囲のプレーヤーについて考え、自分たちがやっている仕事やビジネスが社会の中でどういう意味合いを持っていくのかを改めて考えていくことが問われています。そのためにはエコシステム、つまりつながり合いを見るしか方法がありません。
一方で、エコシステムという時に、システム思考といったシンキングのレイヤーだけに留まらないようにも気をつける必要があります。

頭でロジカルに考えられる部分以上に、一人ひとりが感じとっていることもたくさんあるはずです。頭で考える行為はシステムを外側から説明しようとする性質があって、そればかりだと、一人ひとりが感じていることが見えてきづらくなります。なので、システム全体の中で一人ひとりが感じているつながりに気づいていくことが重要です。
ぼくはこれを「システムアウェアネス」と呼んでいます。自分を取り巻く周囲の関係性の中で何が起こっているのか、システムを感受し、観察し、気付いていく力のことで、「セルフアウェアネス」と合わせてこれからのリーダーシップにとても重要だと考えています。先程の熊楠の話に戻ると、外部の観察者としての立場ではどうしても、そのアウェアネスに至ることができないんです。

(後編に続く)

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インタビューに答えてくれた方
小林 泰紘(こばやし やすひろ)
​一般社団法人 Ecological Memes 共同代表/発起人、株式会社BIOTOPE 共創パートナー
世界26ヶ国を旅した後、ImpactHUB Tokyoにて社会的事業を仕掛ける起業家支援に従事。その後、人間中心デザイン・ユーザ中心デザインを専門に、幅広い業界での事業開発やデジタルマーケティング支援、顧客体験(UX)デザインを手掛けた。共創型戦略デザインファームBIOTOPEでは、企業のミッション・ビジョンづくりやその実装、創造型組織へ変革などを支援。
自律性・創造性を引き出した変革支援・事業創造・組織づくりを得意とし、個人の思いや生きる感覚を起点に、次の未来を生み出すための変革を仕掛けていくカタリスト/共創ファシリテーターとして活動。座右の銘は行雲流水。趣味が高じて通訳案内士や漢方・薬膳の資格を持つ。イントラプレナー会議主宰。エコロジーを切り口に新たな時代の人間観やビジネスの在り方を領域横断で探索するEcological Memes 代表理事。
https://www.ecologicalmemes.me

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(執筆:稲葉志奈、編集:山本文弥)