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飛び方はあなたが教えてくれた

 「あなたじゃなきゃいけないの」

 ほんとうの意味で、この人ではいけないなんて事はあるのだろうか。

 どれだけ激しく愛していたとしても、もうこれ以上人を愛するなんてできないと思っていたとしても、さよならを告げて泣き暮れたとしても、でも代わりは現れるものだ、大体の場合。

 身をもってそれを知っていたとしても、なんとなく知っているつもりになっていたとしても、それは静かな事実としてひっそり横たわっている。意識の根底に、息を潜めて。
 燃え上がる恋の間はその存在に気づかない。でも炎はやがて収まってゆく、燃料は永遠にくべられはしないから。
 穏やかになった炎、あるいはもう僅かな熱を孕むだけの燃え殻になったそれを目にして、奥底にいた事実はゆるりと身を起こす。
 ゆったりと手招きする。優しく穏やかに。誘惑に乗れば、炎も熱もふっつりと絶えると分かっていても。

 でも同時に、この人の代わりはもう現れないだろうなと思うことも確かにあるのだ。

 例えば、中学生だったあの頃、意識する間もなく惹かれあって、お互いの彼氏に牽制をかけていたあの子。
 告白もしなかったし、明確に付き合っているなんて意識もなかったけど、あの頃私たちはぴったりくっついて同じタイミングで鼓動を刻んでいた。
 その経験はなにか、特別な時間で。あの子の代わりはいないなと今になって思う。

 例えば、18歳の頃。遠くにいるのに想いを育んだあの子とは、私がああこの瞬間が世界でいちばんうつくしいと思えたあの風景を共有した。
 あの風景を知るのは私と彼女のふたりだけで、あの子の代わりは世界のどこを探してもいない。

 愛せるひとは、まだ世界には幾人かいるのだろう。
 でも、この人ではなくては駄目だと思える人は、そう幾人もいない。

 1日いちにち、思い出を刻んで吐息を重ねて、そうして紡いだ時間だけ、どんどんかけがえのない人になっていくのだろう。

 今この瞬間隣にいてくれる彼が、もし愛せなくなって、いなくなってしまっても。
 でも、夜中に歌い踊り出したくなった時に思い出すのは、寝ようよと言いながら笑って一緒に踊ってくれる、彼しかいないのだろうなと思うのだ。

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