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第75話「移ろいゆくもの」

前回、第74話「200階の魔女」

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 リンとテオが廊下を歩いていると向こうからユヴェンとテリムがやってきた。

 二人とも中等クラスの魔導師のアイテムを装備している。

 この二人も無事中等クラスに進級していた。

「やあ、リン。テオ。新学期もよろしくね」

 テリムが上品な仕草で挨拶をしてくる。

「あら、裏切り者とおべっか野郎じゃない。どうしたの? こんなところで」

 ユヴェンはいつものように嫌味ったらしいことをさらっとすれ違い際に言った。リンとテオに彼らの悪口を余すことなく教えてくれたのは他でもないユヴェンだった。

 彼女は二人に対して何か悪評が立つたびにわざわざ二人に報告してくれた。

 おかげで二人は周囲が自分達に対してどういう印象を持っているのかつまびらかに知ることができたのだ。

 イライラしたり暗澹たる気持ちになる代わりに。

「うるせーぞ。あっちいけ」

 テオが犬を追い払うように手の平でしっしっとする。

「ヤダヤダ。行きましょうテリム。こんな粗野な平民と喋っていたらあなたの上品な物腰も台無しになるわ。うつったら大変よ」

「えっ。う、うん」

 テリムは気後れした様子でユヴェンと一緒に歩いていく。

「あ、リン。後でお茶会に来るんだろ? また後でね」

 テリムはリンを見るとそう声をかけた。

「うん」

「あ、そうだったわ。リン。ちゃんと約束通り来なさいよ。リレットの方に行っちゃダメだからね」

 ユヴェンも釘をさすように言った。

「チッ。相変わらずだなあいつは」

 去っていく二人を見てテオが忌々しげに言った。

 リンは苦笑する。

「おーい。社長殿」

 二人がユヴェンと去ったあとすぐ今度は明るい声がかけられる。

 向こうから屈託のない笑顔の少年が手を上げてこちらにやってくる。

「アルマ!」

「これから授業の登録用紙受け取りに行くんだろ? 一緒に行こうぜ」

 彼は『テオとリンの会社』の事業拡大に伴い社員になった者の一人だ。

 リンやテオと同じトリアリア語圏の出身で、テオとはレンリル時代からの顔なじみだった。

 平民階級だがそれなりに裕福な家の出で、階級に対してわだかまりのない性格だった。

 誰にでも気さくでリンやテオに対しても特に含むところなく接してくれる、今となっては珍しい種類の人間だった。

 そういったところを買われてテオに声をかけられたのだ。

「登録用紙は取りに行くけどさ。まずは後輩を待たなきゃ。入学式がまだ終らないみたいでさ」

 テオが言った。

 そうこう言っているうちに目当ての人物はやってきた。

「テオさーん。リンさーん」

 向こうから背の低い、一目で学院魔導師になりたてとわかる初々しい少年がやってくる。

 彼はリンとテオに対して尊敬の眼差しを向けながら近づいてくる。

「ケトラ。入学式終わったんだね」

 リンが言った。

「はい。お二人のおかげでこうして無事学院魔導師になることができました」

 ケトラはぺこりと頭を下げて謝意を表した。

「ケトラ。後で会社に寄れよ。新学期とお前の入学祝いを兼ねてパーティーやるからさ」

 テオが年上らしい鷹揚さで言った。

「うわぁ。楽しみだな。僕も会社の事務所にやっと入れるんですね」

 ケトラがアルフルドに入ったのは今日が初めてだ。

 彼は素直に嬉しさを表していた。

「お前もこれからはバイトじゃなくて社員だぜ。給料もアップだ」

「いいんですか?」

「お前も学院魔導師になったし、レンリルでいろいろ役に立ってくれたからな。これからもよろしく頼むぜ」

「はい。ありがとうございます」

 ケトラは素直に感謝した。


 4人は一緒になって登録用紙を取りに行った。

「さて、また新しく授業を選択しなくっちゃな」

 テオが登録用紙とにらめっこしながら言った。

「うん。今度は資金に余裕もあるし、情報源もいろいろあるし慎重に選ばないとね」

 リンが言った。

「うーん。でもやだなー貴族の奴らに恩を売られるの」

「背に腹は変えられないだろ」

「うわぁ授業っていろいろあるんですねぇ」

 ケトラがたくさんの授業に圧倒された様子で言った。

「ちょっとちょっと。この中にリンっている?」

 黒いローブを着た協会の人がリン達の方にやってきた。

「えっ。はい。僕ですけれど」

「おっ、君か。よかった見つかって。奥の方で君の師匠が待ってるよ。すぐ来て欲しいって」

「えっ? 師匠が?」

「リンさん。師匠から直接指導を受けてるんですか? すごいですね」

 ケトラが尊敬の眼差しで見つめてくる。

「いや。今までは放置されてたんだけど。どうしたんだろ急に」

「リンの師匠ってなんかちょっと気難しそうな人だよな。俺あの人苦手だなぁ」

 アルマが珍しく苦々しげな顔をして言った。

「ほっとけほっとけ。どうせろくな用事じゃねーよ。無視しよーぜ」

 テオがこともなげに言った。

「うーん」

 リンは腕を組んで考え込む。



 リンは緊張の面持ちでユインと面会していた。

 迷ったものの結局会うことにしたのだ。

 他の3人には先に会社に戻ってもらった。

 ユインは挨拶をしてからからずっと無言であらぬ方向を向いている。

 リンは久しぶりにユインと面談してなんだか変な汗が出てきた。

 どうもユインは不機嫌なように見えた。

 自分は何か不躾な事をしてしまったのだろうか。

 否応無しにも緊張が増してくる。

 リンは微動だにせずユインの言葉を待った。

「ウィンガルドの王室茶会に呼ばれたそうだね」

 不意にユインがぽつりと喋った。

「えっ? ええ。まあ」

 そう言うとユインは深いため息をついた。

「全く。なんで君はどうでもいい時に限って私を呼ぶくせに肝心なことは報告しないのか」

 ユインはいかにもうんざりした調子で言った。

 そのあとしばらく無言になって重苦しい空気が流れる。

「確か君は授業の選択について相談したがっていたね」

「……ええ。まあ」

「私がピックアップしてあげよう。あとで科目要項と成績表を私の部屋に送りなさい」

 リンは驚いた。

「いいんですか? そんなお時間を取らせてしまって」

「いいも悪いもないよ。君がウィンガルドの王室と関係がある以上、下手に放置するわけにもいかない。これから月に一回は私の元に来て修行の進捗報告をするように」

 リンはこれを聞いて嬉しくなった。

 今まで難しかったユインとの関係が改善される。

 もちろん引っかかるところがないではなかったが、それでも嬉しかった。

 新学期早々いいことがあってなかなか幸先の良い一年になりそうだと思った。



 リンが会社に戻るとすでにパーティーが始まっていた。

 テーブルには所狭しと食べ物と飲み物が並べられ、みんな思い思いの場所で盛り上がっている。

 リンはどこに加わろうかと視線を泳がせた。

「お、社長殿が来たみたいだぜ。重役出勤だなリン」

 アルマがいち早くリンの姿を見つけてゴブレットをほうり投げる。

 リンは杖でゴブレットを受け止めて手に取る。

「遅いわよリン。私たちをほっておいてどこに行っていたのよ」

 同じく社員になったシーラが文句を言いながらもリンのゴブレットに飲み物を注ぐ。

 飲み物を注ぐと言っても手動ではなく魔法でだ。

 彼女が呪文を唱えると一人でに瓶の中に入っていた酒が妖精によってリンのゴブレットに移る。

「シーラさん。アルマ。乾杯」

 リンは二人と乾杯すると少しだけ飲み物に口をつけた。

「ちょっとそれだけ? もっと飲みなさいよ」

 シーラが勧めてくる。

 よく見ると彼女はすでにほんのり頰が紅く染まっていた。

 すでにかなり出来上がっているようだった。

「すみません。他にも挨拶しなきゃいけないので」

「あ、ちょっと逃げる気?」

「まあまあシーラさん。僕が相手をしますから」

 なおもリンに絡もうとしてくるシーラに対してアルマが間に入ってなだめる。

 リンはアルマに感謝してその隙にそそくさと別の席に移った。

「リン、先に楽しませてもらっているよ」

 リンはソファに座っている人物から落ち着いた声で話しかけられる。

 彼は盃を持ち上げてリンに示して見せる。

「ザイーニ!」

「進級おめでとう」

「おめでとう。乾杯」

 リンはテーブルに乗ってる盃を適当に選んで取り上げ、ザイーニの盃と合わせた。

「あなたがうちの会社に来てくれて本当に助かりました。でなければどうなってたか」

「礼には及ばないよ。僕もお金に困っていたところだからね」

 彼は恥ずかしそうに笑った。

 ザイーニも会社の事業拡大に伴い社員に加わった者の一人だ。

 ある時、エレベーターの通路のどこかが破損し、そこから出た汚水によりエレベーターが機能不全に陥るといった事態が発生した。

 妖精に水を運ばせようにも妖精達は汚い水を嫌い言うことを聞いてくれなかった。

 リンとテオの魔法では対応できない事態だったため、二人とも呆然とするばかりでどうすることもできなかった。

 授業を受けている間も気が気ではないリンだったが、ある日学院でザイーニとすれ違った。

「やあ。ずぶ濡れの時以来だね。君の活躍は聞いているよ」

 リンは彼が杖で巧みに水を操っていたことを思い出し、事情を話し助けてもらおうとした。

 彼はリンの期待以上の働きをしてくれた。

 汚水を除去してくれるどころか、通路の破損も直してくれた。

 リンは会社の経営者としてザイーニに社員になってもらうよう頭を下げて頼みこんだ。

 ザイーニは少し困惑しながらも承諾してくれた。

 リンとザイーニが話していると物陰からヒゲを生やした人物がのっそりとした動きで酒瓶の山を持ってきた。

「おーい。これはここでいいのか……ってリン。お前いたのか」

「シャーディフ! いたんだ」

 シャーディフは髭と髪を短くしてワイルドさをちょうどよく残しながらも以前よりも清潔になっていた。

 彼も社員となりこの会社で働いていた。

「いたんだだとぉ? てめえ人のことコキ使っておきながらそれはねぇだろ」

 シャーディフには渉外担当の仕事をしてもらっていた。

 主に協会との交渉を担当してもらっている。

 彼の長年にわたる協会との駆け引きは頼りになった。

 エレベーターの利権配分についての話し合いの際にもシャーディフの貢献が少なからずあった。

「ったく。これだから宮仕えは嫌なんだよ」

 シャーディフはブツブツ文句を言いながらも満更でもなさそうにパーティーに加わって酒を飲んでいる。

 そうこうしているうちにテオやケトラもやってきた。

「お、リン。来たのか。じゃあ、仕切り直しと行きますか」

 テオが高そうなシャンパンを開ける。

 それを合図に社員達は集まってリンを中心に飲むや食うやの大騒ぎになった。



 宴もたけなわになった頃、リンは正装に着替えて会社を後にしようとしていた。

 ユヴェンとの約束通りお茶会に出かけるためだ。

 テオが玄関まで見送りに来てくれる。

「あっちに行ったと思ったら今度はこっち。帰ってきたと思ったら出て行く。君は本当めまぐるしいね」

 テオが呆れたように言った。

「約束があるからね。それじゃあとは頼んだよテオ」

「おう。任せろ」

 そう言いつつもテオは釈然としない感じでリンの格好を見る。

「どうしたの?」

「まだ貴族のお茶会に通い続けるのかい?」

「うん。もちろん。貴族とのパイプを維持するのがこの塔では大切だからね。それに社員が増えて僕にはこれくらいしかやることないし」

 リンがそう言うとテオはため息をついた。

「ま、確かにそうかもしれないけれどね」

「テオはお茶会に来ないの? みんな君に会いたがっているのに」

 リンはこの頃ちょくちょくお茶会でテオは来てないのかと聞かれ、その度適当な理由を挙げてお茶を濁さなければならなかった。

「僕はどうもああいう場が苦手でね。無駄が多いように感じて」

「もったいないな」

「性分だからしょうがないよ。まあ君が行くっていうのなら無理に止めないよ。気をつけてね」

 リンが出て行くとテオは会社の宴に戻っていく。

 アルマとケトラが馬鹿騒ぎしていた。

(うちの会社も随分人が入って大きくなっちゃったな)

 テオは我ながら上手くいきすぎている会社を見てため息をついた。

 シーラが酔いつぶれてソファに寝転がっているのが見える。

 むにゃむにゃと寝言を言っているのがテオの耳に聞こえてきた。

「うーん。リン。行かないで。どうして行っちゃうの。ずっとここにいればいいじゃない」

(本当だよ)

 テオは珍しくシーラに同意した。



 ザイーニとシャーディフは折を見て宴会の中心から離れ二人で酒を飲み交わしていた。

「まさかお前もリンと知り合いだったとはな。またこうしてお前に会うとは思わなかったぜ」

 シャーディフが訝しがるようにザイーニを見る。

「ええ、僕も驚きましたよ。あなたにはかねがね恩返ししなければと思っていましたが」

「フン。いらねえよそんなもん」

「あなたには本当にいろいろと助けていただきました。塔に来たばかりで右も左も分からなかった僕にいろいろ世話を焼いてくださって」

 ザイーニが懐かしそうに言った。

「お前は貴族のくせに世間知らず過ぎるんだよ。その金色の留め金もいつまでつけてるんだ。貴族なら普通白銀の留め金だろうが。そんなことしてるから貴族の輪に入れず世事に疎くなるんだよ。今じゃリンの方が貴族の茶会で顔が広いじゃねーか」

「よしてくださいよ。あなただって知っているでしょう。僕の国、アディンナは魔導後進国です。三大国とのつながりも薄いし。貴族なんて名ばかりですよ」

「だったらなおさらだろ。アディンナの国際的地位を向上させるためにもお前は頑張ってこの塔で出世しなけりゃならないんじゃないのか?」

 ザイーニは困ったように笑うとその話題を避けたいかのように視線をそらして出かけようとしているリンの方に目を向ける。

「しかし彼は大したものですね。この短期間でここまで有望になるなんて。なかなか稀に見る成長スピードだと思うのですが。シャーディフさんの目から見て彼はどうですか」

 ザイーニがそう言うとシャーディフは難しそうな顔をした。

「うむ。確かに予想外の出世だ。信じがたい強運。この財力なら学院での授業料に困ることはあるまい。100階層で通用するだけの力なら難なく身につけられるだろう。だがな。ザイーニ。この塔は財力だけで通用するほど甘くはない。身分と才能の壁がある。リンの身分では余程の才能がない限り早晩限界がくるだろう。そして俺の見立てではあいつにそれほどの才能はない」

「そうですか……」

「リンのことよりもだ。お前はもっと自分の心配をしたらどうだ。お前も人の心配をしていられる余裕なんてないはずだぞ」

 ザイーニは微笑して、また話題を避けるように杯をあおった。

(しかしリンは不思議と助けたくなるようなところのある少年だ。シャーディフは悲観的だけれど、彼なら僕にも到達できない場所に行くんじゃないかって。そんな気がするんだ)

 ザイーニは誰に言うでもなく心の中でそう考えた。


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