第85話「無魔の霧」
手続きを済ませた後、リン、テオ、ユヴェン、アルマ、ザイーニの五人はルシオラの案内に従って90階まで登った。
90階に着くとルシオラは広場で魔法陣を描く。
「エレベーターに乗って行かないんですか?」
「ええ、ここからは次元魔法を使います。異空間の扉よ開け」
ルシオラが呪文を唱えると魔法陣が光の渦に変わる。
(これが次元魔法)
リンは初めて見た次元魔法に息を飲む。
次元魔法は離れた地点と地点を異空間で結ぶ魔法だ。
あらかじめ終点の地点に魔法陣を書いておかなければならず、またエレベーターよりも魔力がかかるためコスパの悪い魔法だが、それでも自分の好きなタイミングで瞬時に移動できるという点で有用な魔法だった。
「私の魔力では、次元魔法で移動できる距離は10階分が限界です。通り道も狭くて人一人が通れるほど。なのでここ90階から次元魔法で100階まで移動してエリオスさんのお墓近くまで移動します。まず私が次元魔法で移動するので後から皆さんもついてきてください」
そう言うとルシオラは先に光の渦に足を踏み入れる。
ヒュッと風切り音を立てて彼女は渦の中に吸い込まれていった。
ルシオラは100階に着くや否やすぐに次元魔法を解除する準備にはいった。
(リンがここに来たら次元魔法を閉じてしまえばいい。100階にさえおびき出せれば後は煮るなり焼くなりどうとでもできる。言い訳なんて後でいくらでも作ればいいわ。そして今度はリンをエサにテオをおびき出す)
ルシオラは次元魔法の出口からリンが出てくるのを今か今かと待ち構えた。
やがて光の渦から黒髪の少年が現れる。
「うおおー。ここが100階層かぁ」
出てきた少年は100階層を初めて見て無邪気にはしゃいでいる。
一番初めに来たのはアルマだった。
(なんでお前が一番最初に来るんだよ)
ルシオラは顔が引きつりそうになるのを必死で堪えた。
「ルシオラさん? 大丈夫っスか? なんか肩が震えてますけれど」
「えっ? 大丈夫ですよ? 何ともありません」
(まあいいわ。次にリンが現れて、それから次元魔法の穴を塞げばいい。学院魔導師二人くらいなら私の実力でどうとでも……)
ルシオラがそんなことを考えているうちに、また渦が光り次の人物が現れる。
「ふいー。お待たせ」
リンが次元魔法の渦から現れた。
「よしこれで全員揃ったな」
テオが言った。
「気をつけろ。ここはもう学院じゃない。いつ他の魔導師から攻撃を受けても不思議じゃないぞ」
ザイーニが周囲を警戒するようにしながら言った。
「なんだか暗くてジメジメしたところね」
ユヴェンが顔をしかめながら言う。
「んじゃ。早速行こーぜー」
アルマが先頭に立って歩き出す。
(リン。なんでっ。なんでお前が一番最後に出てくるんだよおおおおおお)
ルシオラは地団駄を踏みたい気分だった。
結局リンが一番最後に出てきたため、パーティー全員揃ってしまう。
「お待たせしました。ルシオラさん。ではエリオスさんのお墓まで案内お願いしていいですか?」
「ええ、もちろん」
ルシオラは声が震えないように注意しなければならなかった。
(作戦変更だわ。さすがに五人を相手にするのは危険。リンと他の奴らをどうにか引き離さないと)
リン達が出たところはだだっ広く暗い空間だった。
だだっ広い空洞がまっすぐ続いており、側面の壁にはこれまた広い穴が空いていて道が無数に枝分かれしている。
その様はあたかも蟻の巣のようだった。
「みなさん。迷宮攻略魔法の授業は取得済みですか?」
「僕はまだ受講途中です」
「俺も」
「私もまだ」
「私は取っていますよ」
迷宮攻略魔法の授業を取得しているのはザイーニだけだった。
「いいでしょう。では一から説明しますね。ここはもう迷宮の中なので、迷宮攻略魔法を駆使しながら進むことになります。地図よ現れよ」
ルシオラが呪文を唱えると手元に地図が現れる。
「迷宮攻略魔法と言ってもそう難しいものではありません。要は自分の地図に道を覚えさせるだけです。みなさんも地図は出せますよね」
ルシオラがそう呼びかけるとリンたちも一様に魔法の地図を呪文で呼び出す。
「結構。そのまま地図を持って歩いていけば、それで地図に自動で道が刻まれることになります。本来は地道に行き止まりにぶつかりながら目的地までの正しい道を探していかなければならないのですが、今回は私が道を知っているので案内させていただきますね」
「何よ。要するに決まった道を辿ればいいだけじゃない。知っている人について行けば済む話だわ。どんな大変なものが待ち受けているのかと思いきや。案外たいしたことはないわね」
「油断は禁物ですよ。100階層の迷宮は広大ですし、それに……」
リンは急に後ろから視線を感じて振り返った。
他の者達も気づいたようで全員に緊張が走る。
そこには大きな穴が空いた脇道があった。
何者かがこちらを見ているようだが、奥は暗くて見えない。
「それに他の魔導師からの妨害もあります。攻撃を仕掛けられることもありますし、高度な迷宮魔法を使う魔導師であれば、迷宮自体を改築して他の魔導師を罠にはめることも可能。大丈夫です。彼はこちらを見ていますが、敵意はありません。ただ私たちを警戒しているだけでしょう」
確かにルシオラの言う通り、リンの装備している指輪は危険を知らせる光を発していない。
「とはいえ、弱みを見せれば襲いかかって来ないとも限りません。長居は禁物です。行きましょう」
一行は指輪の光を照らしながら進む。
「妙だな。この辺り一帯からは魔力の気配が感じられない」
ザイーニが不審がるように言った。
「言われてみれば。妖精が全然居ないな」
テオが言った。
「ねえ、さっきから変な霧が出ていない?」
ユヴェンが言った。
「これは無魔の霧。ここは妖精が一切生息できない魔力無風地帯なんです」
ルシオラが答えた。
「妖精が生息できない?」
「はい。妖精がこの霧にさらされるとそれだけで死滅してしまいます。なのでここで魔導師は一切の妖精魔法が使えません。学院を卒業したばかりの生徒は、ここからエレベーターを使うこともできず、階段のみで110階層の市街地まで辿り着かなければいけません」
「なるほど。妖精魔法が使えないとなると魔導師は火を起こしたり、水を集めたりすることができない。アルフルドの生活に慣れた魔導師には辛い区間だな」
ザイーニが言った。
「ここから110階までの間、まともな居住区間は存在しません。エリオスさんは110階で資金が尽きて一旦アルフルドに戻ろうとしてこの区間を下って行ったのです。それを聞きつけた新人狩りするタチの悪い連中に狙われてしまって……」
ルシオラが言った。
「そうか。そいつらも警戒しながら進まなきゃならないんだな。水も食料も調達できず厳戒態勢で長距離歩かされるとなると……、確かにこれはきついな」
テオが言った。
(エリオスさんはこんなところに追い詰められて。きっと辛かっただろうな)
リンは今は亡きエリオスの死に際に思いを巡らせた。
「うわあ」
アルマが悲鳴をあげた。
足元を見て青ざめている。
「どうした」
「ほっ、骨が……」
アルマの指輪が照らす先には骸骨があった。
「まさか人間?」
「その可能性はありますね。気をつけてください。この辺りには追い詰められて朽ち果てた魔導師達の亡骸が数多く転がっています。迂闊な場所に踏み込むと足を取られてしまいますよ」
ルシオラがそう言うと全員一様に重苦しい沈黙に包まれる。
「ルシオラ殿。エリオスが埋葬された場所まではあとどのくらいかかりますか?」
ザイーニが聞いた。
「まだもう少しかかりますね」
「では魔力を節約するために交代で指輪を光らせてはいかがでしょう」
「はあ……。でもそうすると今よりも暗くなってしまいますよ」
「しかし、いざ襲撃された時に魔力がなくてはひとたまりもありません。なるべく温存した方が良いのではないでしょうか」
「なるほど、そうね。それがいいかもしれないわね」
ルシオラは残念そうに言った。
「じゃ、まずは俺からね」
アルマが名乗り出て指輪を光らせる。
6人は先ほどよりも幾分か暗くなった道を進んだ。
30分毎に交代で指輪を光らせる。
「テオ。交代の時間だ」
ザイーニが時計を見ながら言った。
「おう。ユヴェン。次はお前だ」
テオが指輪の光を緩める。
指輪を光らせる順番は一巡して最後にユヴェンの番になっていた。
「いや」
「は?」
「だって疲れるもの」
「お前なあ。こんな時くらい協調性持てよ」
「テオ。いいよ。僕が代わりにやろう」
ザイーニがテオを制して言った。
揉め事を避けたいようだった。
指輪を光らせる。
「おっと階段にたどり着いたようだ」
ザイーニが前方を照らすと階段が現れる。
「登ろう」
テオはザイーニに制止された後もユヴェンに文句を言いつづけた。
「お前さあちょっとはギルドに協力しようとか、他人に迷惑かけないようにしようとか、そういう姿勢はないわけ?」
「テオ。あんた気づかないの?」
「はあ? 何に?」
ユヴェンはルシオラの方を視線で示す。
「?」
「ふぅん。そっか。気づかないか。まあそいういうものかもしれないわね」
階段を上りきってまた少し歩いた頃、6人は食事をとることにした。
リンは魔法の帽子を取り外して、中から鍋やら椅子やら野営で食事するための器具を取り出す。
魔法の帽子の中には外から見ただけではわからない広大な空間が広がっていて、魔導師はその中にたくさんの物やら道具やらを詰め込むことができた。
「リン、火と水が使えないとなると鍋は使えないぜ」
アルマが言った。
「あっ、そうか」
「肉は調理できないな」
ザイーニが残念そうに言った。
「燃料と火起こしの道具持ってくりゃよかった。パンとビスケット、それに生野菜と果物で凌ぐしかねーな」
アルマが舌打ちしながら言った。
「食事の用意をしていてくれ。僕は周りに結界を張るから。ユヴェンとルシオラ殿はどうか休んでいてください。ここは我々に女性のために働く名誉をお与えください」
ザイーニはテオとユヴェンが衝突するのを避けるため、先回りして言った。
それを見てリンはホッとする。
リンはザイーニのこういう細やかな配慮にいつも救われていた。
テオはザイーニの仕事を手伝いながらルシオラとユヴェンの方をちらりと見る。
ルシオラが申し訳なさそうにしている傍、ユヴェンはしれっとした態度で休んでいるが、その一方でルシオラの方を油断なく監視するように見つめている。
「ねぇ。ルシオラさん。エリオスの墓場って何階にあるの? いい加減歩くのも疲れてきたんだけれど」
「107階です」
「どうしてそんな中途半端な場所に埋葬したの?どうせなら市街地に葬ればよかったのに」
「魔導師は死んだ場所よりも上の階に埋葬することはできなくって。110階のメイエーレには埋葬できなかったんです」
「じゃあ、アルフルドに埋葬すればよかったんじゃないの」
「ええ、それも考えたんですけれども。アルフルドに知り合いはいなかったし、何よりほとんどの魔導師は自分の所属階層より低い場所に埋められるのを嫌うものなので……」
(変だな)
テオが首を傾げた。
ユヴェンに言われてテオもルシオラのことを奇妙に思うようになってきた。
(確かにユヴェンの言う通りルシオラの行動は何かおかしい)
テオは結界を張りながら考える。
(ルシオラの次元魔法なら10階分の高さを移動できるんだろ? エリオスの墓が107階にあるんならもっと近い場所に次元魔法の終点を置いておけばよかったんじゃないか? 例えばアルフルドで97階に行ってから107階まで移動するとか)
テオは時々、90階層に行った後、わざわざ建物の高い場所まで移動してから次元魔法を発動させる魔導師がいるのを見かけたことがあった。
(それにこんな風に魔力を消耗する地点があると知っているのなら、あらかじめもっと準備を入念にしておけばよかったのに。明かりになるような焚き火や飲み水、魔力を補充できる魔石を用意すれば無駄な消耗を避けられることくらいわかるはずだろ? そこまで考えが回らなかった? 単におっちょこちょいなだけか?)
テオはルシオラに気づかれないように彼女の表情を盗み見る。
(もしこれがルシオラの狙い通りだとしたら、何の目的があって……。俺達の魔力を消耗させるため? いや、そもそもエリオスの墓までたどり着くつもりもなかった? なぜ?)
「どうかしたのか?」
ザイーニがテオを気遣うように声をかけた。
「いや。何でもない」
「疲れているようなら君も休んでいていいよ。ここは僕がやるから」
「大丈夫。平気だ。でもそうだね。ここでたっぷり休憩しといた方がいいかもしれない。この先何があるかわかったものじゃないからね」
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