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第67話「魔獣ケルベロス」

前回、第66話「テオ、スパイを放つ」

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 ロレアは上機嫌でリンとの会食に出かける準備をしていた。

 鏡の前に立っては何度も自分の姿を確認して微笑んでみせる。

(出かけるのに服を選ぶのなんて何年ぶりかしら)

 あれからリンとロレアは何度も一緒に出かけていた。

 彼女にとっては遊びに来た親戚の子供と出かけるような気分だった。

 それでわざわざ服を着飾っていくというのも奇妙な話だが、それでも彼は高級なお店に連れて行ってくれるし、向こうも高い服を着てくるのだからこちらとしてもきちんとした服を着て行きたい。

 商人とのあくなき駆け引きに日々神経を尖らせる彼女にとって、リンは一服の清涼剤にも似た存在になりつつあった。

 おめかしを終えると彼女は意気揚々と事務所を後にしようとする。

 しかし扉に手をかけようとしたところで部下に話しかけられて水を差される。

「ロレア様。お手紙です」

 ロレアは部下に対して不快な顔を向けた。彼女の部下達はいつも暗い知らせしか持って来ない。

 いつしか彼女は部下に話しかけられるだけでなんとなく気分が悪くなるようになっていた。

「なあに? どうでもいい連絡なら後にしなさいよ」

「マルシェ・アンシエ上層部からの手紙です」

 彼女はサッと顔を青ざめる。

「バカヤロウ。なんで早く言わないの。さっさと渡しなさいよ」

 彼女は部下をなじった後、乱暴に手紙をひったくって文面に目を通す。

 手紙には、最近貢納額が減っていることへの苦言、速やかに対策を打つようにという催促、そしてこのままでは現在の地位を保証しかねるという警告が書かれていた。

 ロレアは読んだ後、手紙を握りつぶし、浮かれ顏から一転いつもの神経質な顔に戻る。

(ヤバイわ。このままだと本当に失脚してしまう)

 彼女は焦燥を募らせると同時に思い出した。自分がこの事務所の所長はおろか学院魔導師としての地位も危うい存在であることを。

 ロレアは魔導師としての資質はあったが、残念ながら学問のほうはからっきしだった。

 学院に入学し、現在の地位に至ったのは全てマルシェ・アンシエの計らいのおかげだった。

 彼女がレンリルで魔導師としての将来に絶望していた時、徴税請負人として働かないかと声をかけられたのだ。

 結局、彼女は彼らに勧められるまま魔導師協会の役人を買収して学院に裏口入学し、徴税事業の収入で私腹を肥やすことにした。

 それだけに彼らに切られるということは全てを失うことを意味した。

 現在の収入どころか、学院魔導師という立場すら危うくなる。

(とにかくテオの会社をなんとかしないと。そのためにまずはリンにこちらの要求を飲み込まさなければ……)

 あの後、何度もリンと交渉を重ねているが、折り合いがつく目処は一向に立たない。

 その一方でテオの会社は今もなおロレアの市場を荒らし続けている。

 彼女は浮かれた気持ちを引き締めて事務所を後にした。

(いつまでもチンタラやっている場合じゃないわ。脅しでもすかしでもなんでも使ってさっさと向こうに妥協させなければ。これ以上バカみたいな金額を吹っかけてきたり、渋るような態度をとったりするようなら断固とした態度をとらざるを得ないわね。それでも聞き分けの無いようだったら消してしまう他ない)

 ところが、実際にリンと再会するとロレアの決意はあっさりと揺らいでしまう。

 彼女が待ち合わせ場所に行くと彼はいつも通り可愛らしい燕尾服を着て目をキラキラさせながら駆け寄ってきた。

 彼女は思わずそのきつく結んだ唇を緩めて相好を崩してしまう。

 リンの自分を見つめる瞳はどこまでも無垢だった。

 敵を欺こうとする浅はかな魂胆も支配者に取り入ろうとする卑しさも感じられない。

 彼は心の底からロレアのことを敬愛しているようだった。

 この街で彼女に対してこのような眼差しを向けるのはリンくらいのものであった。

 彼女は彼のこの笑顔を曇らせたくなかった。そしてこの時間、リンと一緒に居られるこの時間ができるだけ長く続いて欲しいと思ってしまった。

「こんにちはロレアさん。今日は一段とお綺麗ですね」

 リンはありきたりなお世辞を言った。

 しかしロレアはまんざらでもなさそうだった。

「ありがとう。あなたもなかなか素敵よ」

「ありがとうございます。では行きましょう。あなたにふさわしいお店を選んでおきましたよ。きっとお気に召すはずです。交渉も速やかに進むでしょう」

「あらそう。じゃあ、その立派なお店とやらに連れて行ってもらおうかしら」

(彼を力と脅しでねじ伏せるのは後回しにしよう。そんなことは後でいつでもできる。それよりも今、彼と過ごしているこの時間の方がはるかにかけがえのないものだわ)

 彼が脅しに屈っしないようであれば殺さなければならない。

 彼が脅しに屈したとしてもそれはそれでこの買収話が終わってしまう。

 どちらにしてもリンはもう自分の元に来なくなってしまうかもしれない。

 それは避けたかった。

(もう少し様子を見ましょう。何かいい方法があるかもしれないわ)

 彼女は決断を先延ばしすることを選んだ。



 小一時間ほどかけて会食した二人だが、会社買収についての話はいつものごとく何も進まなかった。

 一方で買収後に待っている輝かしい未来についての話はどんどん膨らんでいった。

 リンとロレアは同じビジョンを共有した。アルフルドを支配するビジョンを。

 リンは料理を食べながらロレアに自分の展望を語った。

「ロレアさん。僕は思うんです。僕らとロレアさんが組めばアルフルドを支配することだって可能ではないかと」

「そうかしら?」

「そうですとも。もうこれまでで僕にたくさんのコネクションがあることは理解していただけたはず。アルフルドは財力と身分がすべての町です。ロレアさんの財力と僕のコネクションが結びつけば必ずやこの街に確固たる支配体制を築けるでしょう」

「ええ、そうね。その通りだわ」

「取引がうまくいった暁には90階、高級住宅街の中央に街で一番の大邸宅を建てましょう。誰がこの街の支配者であるのかみんなにはっきり示すのです。アルフルドの高級住宅街にどこよりも壮麗な屋敷を建てればみんな知るでしょう。あなたがこの街の支配者だということを。そうすればみんなあなたの足元にひざまづくはずです。誰もがあなたの前に道を譲り、何をするにも許可を求め、お伺いをたて、贈り物をするようになるでしょう。屋敷には大きな門を構え、幾つもの馬車を配置し、内装は趣味のいい家具、高価な調度品、お洒落な什器備品で囲みます。小綺麗で気が利く召使を雇い、可愛いペット、珍しい魔獣を飼いいれます。金銀財宝を蓄える大きな倉庫も忘れてはいけません。アルフルド中の富を集めてその倉庫に保管し独占ましょう。その倉庫の中に入ることができるのは、まさしく選ばれた者。あなたとあなたが特別に許可を与えた者だけです。」

(ああ、なんて気分がいいの)

 ロレアはリンの絵に描いた未来予想図に酔いしれた。リンの話を聞いているだけで頭がクラクラしてくる。

「あとは何がいるっけな……。ああ、そうだ。大事なことを忘れていました。大きな屋敷になくてはならないもの。それは屋敷内の一切を取り仕切り、主人が鈴を鳴らせばすぐに飛んでくる働き者で思慮深い執事です。豊かな白い髭を生やし、黒いベストの似合う、背格好のがっしりとした年配の紳士が良いでしょう。ロレアさんの屋敷にふさわしい者を僕が探して連れてきますよ」

「そんな年寄り必要ないわ。あなたが執事になればいいじゃない」

「いえいえ。屋敷の体裁を整えるためには内部にもこだわらなければ。きちんとした執事を配置しなければいけません。そのためにはやはり白ヒゲのおじいさんです。ちゃんと白髪でなければダメです」

 リンは妙なところにこだわった。

「そんな人間よりもあなたにそばにいて欲しいわ」

「それはできません」

「どうしてよ」

「僕は塔の頂上を目指しているのです。僕の野心はアルフルドの支配にとどまりません。ここアルフルドの支配を基盤により高位の魔導師を目指すのです」

「何を馬鹿な。そんなもの目指したってろくなことはない。塔の頂上なんて目指す必要ないわ。ずっとアルフルドにいればいいじゃない」

「いいえ。目指さなければなりません」

「どうしてよ」

 リンは困ったような笑みを浮かべた。

「詳しい理由はお話しできません。しかし僕には目指さなければいけない理由があるのです。ロレアさん。どうか僕の夢を応援してくださいませんか」

 ロレアは複雑な気分になった。

 彼女の中でリンを応援したい気持ちと彼にいつまでもアルフルドにいて欲しいという気持ちがない交ぜになり、せめぎ合った。

「おや、もうこんな時間ですね。僕は約束があるので行かなければ」

「あなたと一緒にいられなくて残念だわ」

「またすぐに会えますよ。明日はまた別の店にお連れしますよ」

「明日もどこかに行くの?」

「はい。いい店ですよ」

「あなたはいろんな店を知っているのね」

「いえ、そんなことは……。友達に詳しい人がいるのです」

 リンは俯いて顔を赤くする。

 これだけ雄弁に人を褒めるのに自分が褒められると急にしおらしくなってしまう。

 ロレアはリンのことがますます愛おしくなってしまった。

「仕方ないわね。本当は打ち合わせがあるのだけれどあなたからの頼みなら断れないわ。また明日会いましょう」

 ロレアはもはや当初の目的を忘れていた。ただリンに会うためだけにリンに会っていた。



 リンはロレアに途方もない未来図を見せる一方で、彼女に尊敬の念を示すことも忘れなかった。

「ロレアさんは本当に支配するのがお上手ですね。どうすればそんなにも上手く人心を支配できるのですか」

「うふふ。それはね。恐怖を与えることよ。……そろそろあなたにもあれを見せてもいい時期かもしれないわね」

 ロレアは少し思案した後、リンの方に向き直って言った。

「今日は帰りに私の事務所に寄ってみない? いいものを見せてあげるわ」

「本当ですか? ではお言葉に甘えて寄らせてもらいます」

 リンはロレアの事務所内の地下に通された。地下には鉄柵の檻がいくつもあった。

 いずれも魔法で厳重に鍵をかけられ、布が被せられている。

 リンはロレアに引き連れられて檻の合間を縫うようにして部屋の奥まで進んでいった。

 リンは地下に入ってから急に蒸し暑くなってきているのを感じた。

(なんだろう。おかしいな。普通地下にもぐれば涼しいはずなのに)

 リンは不思議に思いながらもロレアの後について行く。

 突然、リンの肩の上に乗っていたレインが胸元に入り込む。

(レイン? どうしたんだ)

 リンは服の中でレインが震えているのを感じた。

 何らかの危険を感じているようだった。

 リンは首を傾げたが、そのままロレアについていくことにした。

(ロレアさんが僕に危害を加えるわけないし。大丈夫だよね)

 リンは地下部屋の最も奥、そして数ある檻の中でも最も大きいものの前まで連れてこられた。

 檻には中が見えないように布がかけられている。

 そこはこの地下部屋の中でも最も気温の高い場所だった。

「さあ。ごらんなさい。私の自慢の魔獣、ケルベロスよ」

 ロレアは杖を振ってかけられた布を取り払う。

 リンは檻の中にいるモノを見て息を呑んだ。

 そこには三つの頭と炎のたてがみを持った犬型の魔獣がいた。

 その体長はライオンなんかよりもはるかに大きい。

 ケルベロスは三つある首を仲良く丸めて床に横たえ、全身を覆うオレンジ色をした炎のたてがみを絶え間なくチロチロと踊らせている。

 三つあるケルベロスの頭の一つが、リンの方にその身体とは不釣合いに小さな窪んだ瞳を向ける。

 彼は自分の目の前にいるのが見知らぬ子供であることに気付くと牙をむき出しにしてグルルとうなり声を上げ、横たえていた体を起こす。他の二つの頭もリンの方に目を向ける。

 突然、ケルベロスは咆哮を上げたかと思うと、リンに向かってその大きな口を開けて飛び掛かろうとする。

 ケルベロスの試みは彼を縛る鎖と檻の鉄柵によって阻まれるが、一杯まで開かれた大きな口はリンの眼前まで迫ってきた。

 その顎はリンの小さな体を頭から丸ごと飲み込んで余りある大きさであり、その牙はリンのやわらかな肉を引き裂き骨を砕くのに十分な鋭さだった。

「ヒッ」

「怖いでしょう? 神話にある伝説の生き物を魔法の力で作り出したのよ。私に逆らう奴はね。みんなこいつを使って黙らせてきたの」

 ロレアはリンの瞳をじっと見つめた。

 そこにある怯えと恐怖を確認するかのように。

「あなたも私を裏切ればこの子のエサになるわ。そんなことにはならないようくれぐれも注意してね」

「も、もちろんです」

 リンは青ざめながら何度も首を縦に振るのであった。



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次回、第68話「イリーウィア、正義の鉄槌を下す」

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