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第80話「ウィンガルドの貴公子」

前回、第79話「新学期」

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 青く染まった空間。

 目の前を人魚が通り過ぎて微笑んでくる。

 リンとユヴェンはイリーウィアの王室茶会に参加していた。

 王室茶会のうちでは今年度初めてウィンガルド人以外の者も参加できるパーティーで、ウィンガルドの編入生達を塔内にいる外国の実力者達に紹介するのがその目的だった。

 この日は深海をイメージした装飾が部屋に施されていた。

 部屋の中は一面深い青色の光が瞬いており、実際に水槽の中にいるような浮遊感を感じる。

 目の前を深海魚や海の魔獣、人魚やその他珍しい海洋生物が漂っており、どうやら本物の水も部屋の空間に流れているようだった。

 いつも通り参加者達はイリーウィアに挨拶をするため列を作って並んでいる。

 リンとユヴェンも列を作って並んだ。

 リンはパーティーに出席している人たちの顔ぶれを見てみた。

 いずれもやんごとなき身分の人間達だったが、スピルナの貴族はいなかった。

 途中、ラドスの4人組とラドスの上級貴族シュアリエ、ディエネとすれ違った。

 彼らもこのパーティーに呼ばれていたようだ。

 リンは彼らに愛想よくにっこりと笑った。

 ロークがリンの方を敵視するように睨む。

「ローク。やめとけ。行こうぜ」

 チノがロークをたしなめるように肩を掴んで方向転換させる。

 ラドスの4人組はリンを避けるように離れていく。

 シュアリエはというとリンの存在に気づかないふりをして視線を逸らして歩いて行き、事情を掴めていない編入生のディエネだけがすれ違いざまに少し会釈した。

「なんなのかしらね。あいつら」

 ユヴェンが毒づくように言った。

「どうも僕、彼らには嫌われてるみたいだね」

「あの4人組は出世しないわね。辛気くさいったらありゃしない」

「どうして嫌われてるのかな。いまいち思い当たることがないんだけれど」

「気にすることないわ。私達にはイリーウィア様が付いているもの。ね」

 そう言ってユヴェンはリンの手を握った。

「う、うん」

 リンも握られた手を握り返す。

 ユヴェンはどういうわけか王室茶会の時だけリンに対して妙に親しげに接してきた。

 テリムや学院の連中の目がないためか、あるいはイリーウィアに自分達の仲の良さをアピールするためか。

 どちらにしろリンにとってユヴェンのこの態度はお茶会での密かな楽しみだった。

 そうこうしているうちにリンがイリーウィアに挨拶をする順番が近づいてきた。

 彼女はいつも通り二人を特等席に座らせてくれた上で編入生を紹介してくれた。

「リン。紹介します。この二人は今年度ウィンガルドからの編入生代表です」

「あなたがリンね。イリーウィア様から聞いているわ。私はアイシャ。ウィンガルドの上級貴族よ。よろしく」

「あ、どうも」

 リンは少し気後れしながらアイシャと握手を交わした。

 というのも彼女の瞳はギラギラと輝いていて、射るような視線でリンの方を見つめてきたからだ。

 リンは彼女の態度からなんとなくティドロを思い起こした。

 リンはアイシャの視線から逃れるようにもう一人の方を顧みる。

 もう一人の方はいかにも貴公子風の眉目秀麗な少年で、口元には柔らかな笑みを浮かべ、ピシッと正装を着こなしていた。

 ユヴェンは早くもその姿を見て目を輝かせる。

 リンも彼の穏やかで物腰柔らかな態度に好感を持った。

「リンです。イリーウィア様からのご厚意でこのお茶会に参加させていただいています」

「なるほど。君がリンか。イリーウィア様が目をかけるのもうなずける」

 ヘルドはそう言って、リンと彼の肩に載っているレインを興味深げに見た。

「えっと、あなたは……」

「私はヘルド。取るに足りない者だよ。君と同じだ」

「えっ?」

「イリーウィアのおもちゃだよ」

 ヘルドは他の誰にも聞こえないようリンの耳元で囁くように言った。

 リンが思わずヘルドを見返すと彼は下卑たような笑みを浮かべていた。

しかしその笑みはすぐに消えて先ほどまでの上品な笑みに変わる。

「イリーウィア様に取り立ててもらった者さ」

 ヘルドは今度はみんなに聞こえる声で言った。

「リン。この二人はまだ塔に来たばかりで右も左も分からない状態。仲良くしてあげてくださいね」

 イリーウィアがリンの緊張をよそにのほほんとした調子で言った。



 ユヴェンはリンと編入生二人を不貞腐れた表情で遠目に見ていた。

 彼ら二人はユヴェンがリンのオマケであることをすでに知っていたので、ユヴェンには適当に社交辞令を言うだけで、リンにのみ話しかけ続けた。

 ユヴェンは仕方なく離れるが、それでも3人が何を話しているのか気になって事あるごとにリンの方を見る。

 アイシャは先ほどからリンに対して何か探り出すかのように熱心に詰め寄り、リンもニコニコと愛想よくしていた。

 ユヴェンにはリンがアイシャに対して特別愛想よくしているように見えた。



 リン、アイシャ、ヘルドの3人はイリーウィアに仲良くするよう言われたため、しばらく3人でテーブルを囲んで話をしていたが、アイシャが途中で席を外したため、自然リンはヘルドと二人になった。

 二人は誰にも自分たちの話が聞こえない場所に行くとくつろいだ雰囲気で身の上話をした。

「僕の家は由緒正しいウィンガルド上級貴族の家系だったけれど、両親は世渡り下手でね。おまけに資産の運用に失敗。貴族など名ばかりの貧乏人になってしまったんだよ。僕も役者として劇場で働かなければならないほどだった。恥ずかしかったよ。でもそこで運良くイリーウィア様の目に止まってね。彼女は私の実家の財政を立て直せるよう支援してくださったのだ」

「へぇ〜そうだったんですか」

「彼女には野良猫に餌を与えずにはいられない習性があるようだ。どう思う?」

 ヘルドはお客さんの相手をしているイリーウィアの方を顎をしゃくって見せた。

 リンは困ったように笑った。

「いやぁどうと言われても……イリーウィア様はお優しい方だと思いますよ」

「クッ。そうか。なるほどそうかもね」

 リンは彼のこの不遜な態度にどういう風に接すればいいのか計りかねた。

 下手に彼のイリーウィアに関する話に乗るのは危険なように思えてならなかった。

 リンは話題を変えることにした。

「このお茶会にはスピルナの人達は参加していないんですね」

「あそこは少し特殊だからね。三大国の一角にもかかわらずその貴族達はいまだに閉鎖的で、あまり他国と関わりを持ちたがらない。何かスピルナに対して興味があるのかい?」

「ええ、スピルナの編入生で上級貴族の二人がいるでしょう? 彼らは将来、素晴らしい魔導師になると思うんですよ。どうにか彼らと仲良くなれる方法はないかと思って」

「ふむ。それでは一計を授けよう」

 ヘルドは少し思案した後、話し始めた。

「私の仕入れた独自情報によるともう直ぐマルナ地方へと遠征に行っていた第8飛空船が戦闘を終結させて帰ってくるそうだ。塔の慣例として、戦争に勝利した際、アルフルドの闘技場に連なる道々で遠征将軍は華々しい凱旋式のパレードを催すことになっている」

「へぇ、そんなイベントが……」

「軍事国スピルナの生徒なら俄然興味を示すはずだ。凱旋式をなるべく良い席から見たいと思うはずだろう。しかしそれはスピルナの生徒だけではない。なにせ塔にとって喜ばしい知らせだ。当日は塔中の魔導師がこぞって見物に来るだろう。当然、凱旋式は凄まじい人出で混み合うはずだ。上級貴族といえど席取り合戦に巻き込まれる」

「ふむ」

「そこで君の出番だよ。君がスピルナの子達を凱旋式がよく観れる場所まで手際よく誘導することができれば、彼らに感謝されないはずがない。首尾よくこなせば彼らと深い関係を築けるだろう」

「なるほど」

 リンは少し考え込むような仕草をしてからまたヘルドの方を向いた。

「ヘルドさん。凱旋式のこと教えてくれてありがとうございます。おかげでとっかかりがつかめそうです」

「礼には及ばない。君はイリーウィア様の大事なお客様だ。何か困ったことがあったらいつでも相談してくれたまえ。僕では大したことはできないかもしれないがね」



 アイシャはリンとヘルドが離れた頃を見計らって、ヘルドの元に帰ってきた。

「ねぇ。ヘルド。アレ。どう思う?」

 アイシャが親指でリンのいる方を指し示しながら言った。

 その顔つきは心なしか興ざめしたように見えた。

「アレ……とは?」

「決まってるでしょ。リンのことよ」

「さあ。年の割に謙虚で利口。感心な若者だと思うけれど」

「私は正直がっかりしたわ。話にならない」

「……それはそれは。随分と手厳しいね」

「目を見てすぐに分かったわ。あいつは本当の戦いを知らない」

 アイシャは腕を組んで憮然とした表情になる。

「身分や才能がないのには目を瞑るとしても。戦えないようじゃね。イリーウィア様も何であんなのを可愛がるんだか。理解に苦しむわ」

「僕は何となくわかる気がするけれどね」

 ヘルドはそう言った後、堪えきれなくなったように笑いを漏らした。

「何?」

「いや失礼。ククッ。しかしスピルナの上級貴族に近づきたいとは。自ら墓穴を掘ったな。これは面白くなりそうだ」

「は?」

「いや何でもないよ」

(また何か企んでんなこいつ)

 アイシャはヘルドの態度が内心引っかかるものを感じつつも、深入りしないことにした。

「まあいいわ。とにかく悪いけど私はパス。リンとのお付き合いはあんたに任せるわ」



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次回、第81話「リン、家屋を破壊する」

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