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第104話「不安な誘い」

前回、第103話「事後処理」

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 レンリルの紡績工場。

 ここでは魔法が使えない者、塔においては奴隷階級の者でもまかなえる仕事が数多くあった。

 フローラもここで働く奴隷の一人である。

 彼女は先ほどからせっせと手を動かして働いていた。

 しかし仕事は山のようにあっていつまでも終わらない。

 機械は容赦なくフローラの仕事を増やしていく。

 この分だと今日も彼女は規定量の仕事を終わらせることができそうになかった。

 そうこうしているうちに監督者がチェックする時間になってしまう。

(はあ。また今日も怒られちゃうな)

 フローラはがっくり肩を落として残っている仕事の山を見つめた。

 ある程度終わらなければお給料は入らない。

 このままだと明日も明後日も給与は支払われそうにない。

 扉が開く音がして監督者が入ってくる。

 フローラは青ざめた。

「フローラ。少しは仕事終わったか? あっ」

 監督者は机に山のように残っている仕事を見て顔色を変える。

 フローラは怒鳴られるのに備えて目をつぶった。

「またお前はこんなに仕事を残しているのか」

 そこからは判で押したようないつものお説教をガミガミと言われる。

 早く帰りたいのを我慢してフローラは聞いていた。

「どうするつもりだ。ええ?」

「明日また頑張ります」

「明日……」

 今度は監督者が青ざめる番だった。

 これ以上遅れてしまっては今度は彼が上から絞られることになる。

 フローラはビクビクしながら次の言葉を待つ。

「お前今月のノルマどれだけか分かっているのか? このままじゃお前だけじゃなく俺まで責任を取らされるじゃないか」

「でも……弟が家で待っていて……」

「ええい。もういい。お前はクビだ。家でもどこへでもさっさと行ってしまえ」




「はあ、どうしようかしら」

 フローラはトボトボとした足取りで街を歩いていた。

(また路頭に迷ってしまった。新しいお仕事探さないと。弟の世話もあるのに)

 彼女は戦争によって他国から連れてこられた奴隷だった。

 特に魔導師の才能もなく奴隷としても平凡な技能しか持っていないため、本来なら塔の外に売り飛ばされる運命であったが、幸いにも彼女の弟には魔導師の才能があったため、彼女も塔に居住することが許された。

 塔内に連れてこられたのはいいものの、それまで農奴だった彼女は急に封建社会から貨幣経済に放り込まれ、塔内の制度に馴染めず、すっかり戸惑ってしまった。

 魔導士協会に仕事を斡旋してもらえるものの、どの仕事に就いてもすぐにクビになってその繰り返しだった。

 塔内の奴隷はいずれも高度な技能を持っていて仕事における競争は激しく、平凡な娘に過ぎない彼女には到底太刀打ちできなかった。

 どうにか弟が働ける年になるまで食いつないでいければと思っていたが、ついには協会の職員にも見限られてしまう。

「これだけ仕事をクビになっているようじゃ次は難しいね。しばらく仕事は来ないと思って」

 彼はそう言ってフローラを追い払った。

 彼女は自分の心許ない手持ちの金を確かめた。

 1000レギカ。

 この分では食費だけでも来週まで持たないだろう。

(今月の家賃の支払いもあるしどうしようかしら。このままじゃまた売り飛ばされてしまう。弟と離れ離れになってしまうわ)

 フローラがうつむきながら歩いていると人とぶつかってしまう。

 彼女は尻餅をついてしまった。

「うっ、イタタ」

「ごめん。大丈夫?」

 ぶつかってきた人物が手を差し伸べて来る。

 彼は紅のローブを着ていた。

(あっ、魔導師様……)

 フローラは狼狽した。

 罰を受けるかもしれない。

 しかしそんなフローラの心配をよそに彼は優しく手を取って起こしてくれる。

「すみません。考え事してて」

「いいよ。どこか怪我はない?」

「はい。ありがとうございます」

 フローラは彼の胸元にある金色の留め金をチラリと見る。

 彼女は風の噂で留め金によって身分が分かることを聞いていた。

 金色の留め金は平民階級と聞いていた。

「リンさーん。これどうするんですかー?」

「あーそれは建物の前まで運んどいてー」

「わっかりましたー」

 フローラを助け起こした男、リンと呼ばれた学院魔導士は何人かの下級生を率いて指導しているようだった。

 同じ学院魔導師である紅色のローブを着た背の低い子達に指示を出している。

 彼らは建物を立てているようだった。

 フローラはなんともなしに彼らのやっている作業を見学する。

 リンの裁量の元、魔導師達は材料を組み合わせて資材を作り、柱を建て、壁と窓を嵌め込み、瞬く間に灰色の四角い建物を作り上げていく。

 最後にリンは呪文を唱えて建物の壁に魔法陣を刻む。

「みんないいかい。これが精霊に建物を維持してもらうための魔法陣だよ。これでこの建物は今後十年間老朽化を免れ、施設として新築状態を維持される。後は協会に届け出をすればそれで塔に住む大精霊との契約は完了するから。この建物は精霊に庇護される。みんなこの魔法陣をメモしとくように」

「はーい」

 リンの指導を受けている子供達は皆紙に魔法陣を写していく。

 リンは何事かを紙に書くと奴隷らしき男に渡す。

「これを協会に届けて」

「へい。かしこまりました」

 奴隷の扱いも雑ではなく、優しそうだった。

(すごいな。私と同じくらいの年なのにあんな風に年下の子達を指導して。きっと頭がいいんだろうな)

「おーい。リン」

 フローラがなんともなしにリンのことを見ていると彼と同じくらいの歳の少年が話しかける。

 リンとは対照的にぶっきらぼうな感じの人だった。

「テオ。どうしたの?」

「どうしたの、じゃねえよ。奴隷階級のやつ雇うんだろ? 早めに行こうぜ」

「うん」

 二人は協会の方に向かって歩いて行く。

 フローラには二人と彼らに率いられている子達が眩しく見えた。

 魔導師としてエリートになることを保証された人達。

 将来に何の希望もない自分と違って。

 フローラは意気消沈しながら家路につく。

 これからどうやって生計を立てようかと考えながら。

 彼女は家に帰る途中で妙案を思いついた。

(あっ、そうだ。あのリンって人に雇ってもらえないかしら。奴隷階級の働き手を探していると言っていたし)

 あのリンという魔導士は優しそうだった。

 彼なら少しくらい仕事で間違いをしても怒らないかもしれない。

 自分より年下の子達にもとても優しかったし。

 間違えたり遅かったりしてもきっと優しく注意してくれる。

 それどころか親切に仕事を教えてくれるだろう。

 さらにはちょっとくらい甘えても許してもらえるかもしれない。

 彼女はしばしその甘い幻想に酔いしれた。

 しかしすぐに現実に帰る。

 妙案を思いついた時にはすでに後の祭り。

 彼らはもうこの場に、それどころかおそらくレンリルにさえいない。

 今後、彼らに会えるのはいつになるか分からない。

 彼女はいつもこんな調子だった。

 いいアイディアは手遅れになってから気づく。

(それに雇ってくれるわけないよね。第一、私何にもできないんだし)

 彼女は先程よりも一層落ち込んだ様子で帰り道を歩いた。

 帰り道、巨大樹の側を通りかかる。

 フローラは何ともなしに巨大樹を見上げてみた。

 それはちょっとした大邸宅ほどの横幅があって地面にしっかりと根ざし、幹はレンリルの天井を突き抜けてその先まで続いていた。

 巨大樹はこの塔の大黒柱でありかつ、塔の最下層から頂上までをつなぐ唯一の連絡路、『ターミナル』を内包している。

 塔内の街から街へと移動する際には必ず巨大樹の中にあるターミナルを利用する必要があった。

 今日も街から街へ移動してレンリルへと帰ってくる魔導師達が巨大樹の中から降りてくる。

 いつか彼女の弟もこの魔導師の中に混ざることができるのだろうか。

 フローラはただみあげることしか出来ない。

 彼女は時々樹木に目をつぶりながら触れている魔導師を見かけた。

 彼らはそうすることで巨大樹に宿る大精霊の気配を感じることができるそうだ。

 大精霊は塔に住む魔導師達を見守ってくれている。

 しかしその中に彼女は含まれていない。

 フローラは街並みを見回してみた。

 街は彼女にとって馴染みのない魔法語が聞こえてきて、読めない魔法文字で埋め尽くされている。

 杖を持っている人々は皆楽しそうにして街を歩いていた。

 杖を持っていない人も仕事疲れを感じながらもどうにか今日を凌ぎきることができた満足感を表情にたたえている。

 彼女はふと疎外感を感じた。

 誰も自分のことなんて必要としていないんじゃないか。

 そんな気がしたのだ。

「ちょいとちょいとお嬢さん。何をそんなに落ち込んでいるのかえ?」

 フローラがしょんぼりしながら歩いていると老婆が話しかけてくる。

「いえ何でもありません」

「もしかして職に困っていたり?」

 老婆がそう言うとフローラはぴくりと反応して立ち止まってしまう。

 老婆は少し身なりが汚いがニコニコと愛想良さげで親しみが持てた。

 ただ笑った時に見せる不揃いな黄色い歯が少しだけ不気味だった。

「はい。実は職場をクビになってしまって」

 彼女は話し始めた。

 技能に乏しく要領が悪いからどの職場に行ってもすぐにクビになること。

 年の離れた弟がいて養うのに大変なこと。

 このままでは住む場所をなくしやがては借金のかたに売り飛ばされ、弟と離れ離れになってしまうこと。

 老婆は彼女に同情の眼差しを向けて、ゆっくりと話を聞いてくれた。

「お主も大変じゃな。じゃが安心なさい。私が良い職場を紹介してあげよう」

「おばあさんが?」

「うむ。実は私の主人のところで人手が足りなくて困っていてのう。未熟なものでもいいからかき集めて欲しいと言ってきておる。私の主人は人格に優れ、金払いもいい。そこで働くことができれば安定した生活が送れるじゃろう。弟と離れ離れにならずに済む」

「本当ですか? 」

 沈んでいたフローラの顔がパッと明るくなる。

「どうじゃ。お主さえ良ければそこで話だけでも聞いてみんか?」

「はい。是非ともよろしくお願いします」

 少女はウキウキとしながら老婆について行った。

 人生嫌なこともあるけれど良いこともある。

 こんなダメな自分でも捨てたものじゃないな、と思いながら。



 フローラは老婆に連れられて街の外れに出た。

 彼女はどんどん繁華街から離れたうらびれた場所へ、しかも徐々にいかがわしい看板の目立つ場所に連れてこられていることに気づいた。

 だんだん怖くなってくる。

「あの、まだたどり着かないんですか?」

「もう少しじゃよ」

「あんまり遅くなると困るんですが……」

「安心なさい。そう遅くまでつき合わせたりせんよ」

 やがて老婆に誘われて一つの建物の前にたどり着く。

 周りに比べれば比較的立派な建物だった。

 軒先の看板の隣に男がうずくまっている。

 痩せ細っていてかなり衰弱しているように見えた。

 看板には少女では読めない文字が書かれていた。

 うずくまった男が突然、血走ったような目でこちらを睨んでくる。

 彼は髪の毛がほとんどなく青白い顔で、剥き出しの目、削られたように薄い鼻、紫色の唇をしていかにも不健康そうだった。

 フローラは男に怖気付く。

 老婆は男に包み紙を投げた。

 まるで飼い犬に餌をやるように。

 男は包み紙を受け取ってそれを鼻で嗅ぐとニヤリと笑って、それ以降こちらに関心を失い、包み紙を弄び始めた。

「さ、入りなさい」

 老婆がフローラを促す。

 フローラはおずおずとした足取りで建物の中に足を踏み入れる。

 男の横を通る時は目を合わせないように注意した。



 フローラは部屋に通された。

 そこには一人の女がいた。

 彼女はフローラを見るや否や柔らかい笑みを浮かべてくる。

 それを見てフローラはホッとした。

 彼女は紫色のローブを着ていて、しかも白銀の留め金をつけていた。

「エディアネル様。ご要望の品をお届けにあがりました」

 老婆が片膝をつき、跪いて言った。

「ご苦労様。中々いい感じじゃないの」

 エディアネルと呼ばれた魔導師はフローラを見て満足そうな笑みを浮かべながら言った。

「は、気に入られたようで何よりでございます。これ。自己紹介しなさい」

 老婆がフローラに促した。

「は、はい。私フローラって言います。お仕事を探していて。ここで雇っていただけるって聞いて……」

「ええ、募集してるわ。そしてあなたは合格よ」

「え、本当ですか」

「ええ、あなたさえ良ければ明日からでも働いてもらいたいくらい」

「いいんでしょうか。その……私何にもできなくって……」

「大丈夫よ。むしろそんな人を探していたの。社会にとって何の役にも立たないような人間をね。それはもう役に立たなければ立たないほどいいの」

「はあ」

 フローラは複雑な心情になった。

 これでは褒められているのか貶されているのか分かったものじゃない。

 必要とされるのは嬉しいが、役に立たなければ立たないほどいいというのはどういうことだろう。

 突然、エディアネルが顔をしかめて利き腕を庇うような仕草をした。

「? どうかしましたか?」

「何でもないわ。ちょっと古傷が痛んだだけ」

「あの。お仕事というのはどういうものなのでしょう」

「簡単なことよ。ある物を運んで欲しいの」

「ある物?」

「ええ、不安よ」

「不安?」

「そう不安を運んで欲しいの。やってもらえるかしら?」

 フローラは悩んだ。

 仕事をもらえるというからついてきたもののやはりなんだかいかがわしいそうな内容だった。

 エディアネルにしても妙なところがあった。

 なぜ200階層の、しかも貴族階級の魔導師がこんなところで人を探しているのか。

「あの……少し考えさせてもらってもいいですか?」

「考えるならもういいわ。残念だけれど他の人を当たります。さようなら」

「あっ、待ってください」

 フローラが慌てて言うとエディアネルが不思議そうな顔で見つめてくる。

 一体自分に何の用事があるのかと言いたげだった。

 その顔を見てフローラは彼女を納得させる返答はただ一つしかないことを悟った。

「やります。やらせてくださいそのお仕事」

「オーケー。契約成立ね。では少し前をはだけてちょうだい」

 フローラは言う通り胸元を開いた。

 そこにルシオラは杖の先を押し付ける。

「うっ」

 フローラは胸元に熱いものが押し付けられるのを感じて呻いてしまう。

 その儀式はすぐに終わった。

 彼女の胸元にはギルド『マルシェ・アンシエ』の紋様が焼き付けられていた。

 同時に急に肩が重くなるのを感じる。

 何かが乗っているような感じだった。

 彼女の肩の上にはエディアネルの使役する妖魔(妖精と魔獣の中間にある存在)が張り付いていた。

 妖魔はカラスのような姿をしている。

「これで契約は成立よ。晴れて私たちは主従関係になったわ。よろしくねフローラ」



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次回、第105話「モラトリアムの終わり」

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