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第49話 アトレアの魔法

前回、第48話「再会」

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「魔法で……ゲーム?」

 リンはアトレアの提案に戸惑っていた。

「ええ、そうね。何がいいかしら」

 アトレアが人差し指を口元に当てながら思案する。

「鬼ごっこなんてどう?」

「鬼ごっこ?」

「そう。私の体のどこでもタッチすることができたらあなたの勝ち。私が塔の入り口にある時計台まで逃げられたら私の勝ち。15時までに時計台までたどり着けなかった時もあなたの勝ちでいいわ」

「……」

「見てみたいんでしょう? 高位魔導師の魔法を」

 リンはアトレアの華奢な足を見てみる。

 魔法の知識では彼女に勝てそうにないけれど足の速さなら自分にも勝機がある気がした。

 あとはアトレアがどんな魔法を使うかによるが……

「分かった。のるよその勝負」

「そうこなくっちゃね」

 正直なところリンはゲームするような気分ではなかったが、この浮かない気持ちを自分では晴らせないこともわかっていた。アトレアの魔法を見れば少しは気分が変わるかもしれない。とにかくなんでもいいから気を紛らわしたかった。

「さあどうぞ。あなたのタイミングで初めていいわよ」

 アトレアは鷹揚に手を広げてみせる。

 リンはアトレアの余裕を訝しく思いながらも手を伸ばしてアトレアの肩に触れようとした。

 すると彼女に触れるか触れないかくらいのところで急にアトレアが姿を消してしまう。

「!?」

(消えた? どこに?)

「こっちよ」

 声の方を見るとアトレアが建物の窓ガラスから上半身だけ生やし、こちらに向かって手を振っている。

 下半身はというとガラスの中に入っているようだった。

(ガラスの中に入ってる!?)

 リンは慌ててアトレアの方に走って手を伸ばすが、触れそうになるところでまた彼女は消えてしまう。

「こっちこっち」

 今度は先ほど降った雨の水溜りから体を生やしている。

(水の中にも入れるのか)

「凄いでしょ。光を反射して姿を写すものならものなら何でも入れるのよ」

 彼女はまた別の建物の窓に乗り移っている。

 リンは目まぐるしく移動していくアトレアを探すため、あっちこっちに頭を向けなければいけなかった。

「結構高度な技術が必要なのよ。水面や鏡面に降り注ぐ光の反射を正確に捉えなければならないの」

 そう言っている間にもアトレアはさらに別の窓へと乗り移る。

 またさらに乗り移ってどんどん時計台の方へに向かっていった。

「くそっ」

 リンは駆け出す。

「おーにさんこーちら。てーの鳴る方へ」

 アトレアは囃しながら窓から窓、水面から水面へと乗り移っていく。



 リンは次々と乗り移っていくアトレアを目で追うのに必死だった。

 瞬きするだけで彼女を見失ってしまいそうだった。

(こんなのどうやって捕まえれば……。くそっ、テオがいれば知恵を借りられるのに)


 ——他人任せではダメよ。自分で考えないと何事も身につかないわ——


 リンの思考を読み取るかのようにアトレアが言った。

 ガラスの中から聞こえてくる彼女の声は遠くから響いてくるエコーのようにリンの頭に響く。

「そんなこと言ったってっ。こんな魔法にどうやって対抗すれば……」

 リンは窓から窓、水溜りから水溜りへと移動していく影のような黒い残像に反応して追いかけるだけで精一杯だった。


 ——ではヒントを与えましょう。私は窓から窓へと移動することができるけれど無制限にどこにでも移動できるわけではないわ。光の道筋をたどれるだけ。鏡面同士で光のやり取りがなければ移動できないの。つまり……——


(そうか。先回りして窓と窓の間を遮れば……)

 リンはゴールである時計台の方向を見てアトレアが次に移動するガラスか水面を予測し、間に入って遮ろうとする。

 するとアトレアは先程よりも素早く移動し始めた。

 黒い残像が俊敏な獣のようにガラスと水面の間を移動していく。

(なっ。早っ)

 リンは一気に引き離されてしまった。

 彼女が移動する速さはリンの全力疾走よりもはるかに速かった。

 リンは息を切らせながら必死に追いかけていく。少しでもスピードを緩めると彼女を見失ってしまいそうだった。


 ——頑張って。基礎魔法でも十分対抗できるはずよ。この魔法はまだ序の口。破ることができればもっと面白いものを、塔の上層の景色を見せてあげられるわ。——


「塔の上層なんて。そんなの……そんなもの目指していったい何になるっていうんだ」


 ——私も以前はあなたと同じだったわ。重いものを運んだり、指輪を光らせたりするだけで満足していた。けれどもいつしかそれでは物足りなくなってしまったの。もっと高度に、もっと自在に魔法を使えるようになりたい。そのために塔の上層を目指す。それだけではダメなの?——


「だからって。だからって人を死なせることないじゃないか。なんでそこまでする必要があるんだ」


 ——昔から長く続いていることにはそれなりの重みというものがあるのよ。塔の居住地を賭けて魔導師達が戦うのは長年続いてきた歴史であり伝統。この塔で修行する魔導師達はみんな戦ってきた。戦って自分の実力と才能の限界まで塔の高みに上り詰め、編み出した魔法を本という形で塔の中に残す。そして死んでいくの。それが塔の魔導師の一生よ。——


 また雨が降ってきた。

 当然のことながら雨は水溜りを作っていく。

(くそっ。これじゃますますアトレアが有利になってしまうじゃないか)

 リンは心の中で毒づいた。時計台まではもう目と鼻の先だった。

 ——あなたの話すその人が一体どういう理由で塔の上層を目指していたのか私は知らないけれど。高みを目指して朽ち果てたのなら、たとえ道半ばだとしても魔導師として本望なはずよ。あなたも魔導師を目指してここに来たんでしょう? 一体何が不満でそんな風に黄昏ているの?——

「不安なんだ!」

 リンが叫んだ。

「僕には……僕達には将来に何の保証もない。明日のことさえままならない。ただただ目隠しした暗闇の中で迷路の中をあてもなく彷徨い続けている。なのにどうして君はっ……」


 ——あなたもすっかり学院の価値観に染まってしまったのね——


 リンは水たまりに足を取られて滑ってしまう。雨で濡れた地面の上を派手に転んでしまった。

「ってて」

 起き上がろうとすると目の前に誰かの足が見える。仰ぎ見るとそこにはアトレアがいた。

「大丈夫?」

 アトレアが心配そうに尋ねてくる。

 リンが周りを見るといつの間にか時計台の下に来ていた。相変わらず雨が降っていた。

「どうやら私の勝ちみたいね」

 アトレアはいつも通り涼しい顔をしている。

 あれだけの魔法を使ったのに疲れ一つ見えない。

 雨は彼女の周りだけ避けて降っている。彼女は魔法の力で目に見えない傘をさしているようだった。

 リンは彼女が魔導師として遥か高みにいることを改めて実感した。

「はは。敵わないな」

 リンは乾いた笑いを漏らした。とはいえ走ったり大声をあげたりしたため、少しだけ気分は晴れて清々しくなっていた。

「どうすれば君を捕まえられるの?」

「あなたが今よりも上の階層に行ってより高度な魔法を習得することができれば、あるいは私を捕まえられるようになるかもね」

 どこからか鐘の音が響いてくる。15時になった証拠だった。

「時間ね。私はもう行かなきゃ」

 アトレアが名残惜しそうに言って立ち去っていく。

「それじゃあまたね。リン。次は塔の中で会えるといいわね」

「レンリルとアルフルドならいつでも会えるよ」

 リンは立ち去っていくアトレアの背中に向かって声をかけた。

 しかし彼女が立ち止まることはなかった。

「レンリルとアルフルドには行けないわ。師匠に出入りを禁止されているの。その二つの街に私にとって価値あるものは無くなってしまったから」



次回、第50話「王室茶会への招待状」

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