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第36話「魔獣との遭遇」

前回、第35話「続、コネクションの大切さ」

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 茂みの中を歩くのは整備された道の2倍体力を消耗した。

(なるほど。これはしんどいな)

 リンは少し息が上がってきた。

「大丈夫ですか?」

 イリーウィアが気を遣ってくれる。

「ええ、大丈夫です」

 リンは隣に歩いているイリーウィアの方を見ながら言った。

 それにしても彼女の歩き方はどうだろう。整備されている道を歩くのと全く変わりなく、疲れている様子なんて微塵もなかった。

 それは体力だけの問題ではない。イリーウィアはリンの隣を歩いているにもかかわらずリンがしているように茂みを手でかき分けたり、木の枝をかわす必要がなかった。

 彼女が一歩足を踏み出すたびに茂みは彼女の足の下に潜り込みクッションのように柔らかくなって彼女の歩を受け止める。彼女が木の横を通ろうとすれば、木は急に枝をしおれさせ、彼女の前に道を空ける。

(魔法を使っているんだ)

 木や草花がイリーウィアの邪魔にならないようにどける動きがあまりにも自然すぎたため、リンは初めのうち彼女が魔法を使っていることに気づかなかった。そのくらい彼女とその周囲の世界の動きは自然でさりげなかった。

「すごいですね。まるで草や木がイリーウィアさんを避けているように見えます」

「リンもすぐにできるようになりますよ。魔獣学の授業を取れば一番初めに習うことです」

「どうすればそんなことができるんですか。呪文も唱えていないし、杖も振っていませんよね」

「木や草の精霊と感応するのです。通りたいだけであることを伝えれば彼らは手伝ってくれますよ」

 リンはイリーウィアに言われて初めて木や草にも精霊が宿っていることに気づいた。彼らの存在はあまりにもおぼろげなため漫然と歩いているだけでは気づかなかったのだ。リンは木や草の精霊の声を聞こうと試してみた。しかし彼らは心を開いてくれない。指輪のようにはうまくいかなかった。

「難しいですね」

「ふふ。では私が手伝って差し上げましょう」

 イリーウィアがリンの肩に手を置く。リンの周辺を彼女の魔力が覆った。リンはイリーウィアと見ている景色、聞こえている音を共有した。そこはまるで別世界のようだった。なんでもない殺風景な森の風景は数多の精霊の魂で光り輝いており、遠くから聞こえる虫の鳴き声のように木々のささやき声が聞こえてきた。

 前方に木の精霊が立ちはだかる。リンは精霊と目を合わせてみた。木の精霊はそれだけで微笑みながら少し体をねじってリンの前に道を開ける。

(すごい。これがイリーウィアさんの見ている世界なのか)

 彼女の魔法は文字通り別次元のものだった。リンは今まで学院で覚えてきた自分の魔法がいかに稚拙なものであるか思い知らされた。

 突然リンの指輪が強い輝きを放つ。

「っ、これは……」

「魔獣が近くにいますね」

 イリーウィアが静かにつぶやいた。彼女の手が離れる。彼女は力の使い道を索敵に振り分けたようだった。

「あそこ……」

 イリーウィアはリンの右側、少し離れたところを指差す。

「あそこの茂みに魔獣が潜んでいます」

 彼女がそう言うや否や茂みの中で何者かがガサゴソと蠢き出した。リンは身構えて茂みの動いている場所に視線を集中させる。

 しかし茂みから出てきたのは手のひらの上に乗りそうなネズミ大の大きさの魔獣だった。鋭い牙を生やしているものの耳がピンととんがっており、尻尾がアンテナのように立っている。どちらかというと愛嬌のある見てくれだ。

「あら、珍しい、ペル・ラット(怯えるネズミ)ですわ」

「ペル・ラット?なんですかそれ」

「ネズミ型の魔獣の一種なんですけれど人間に危害を加えることはありません。アンテナのようなこのしっぽで危険を察知する魔獣です。しかしおかしいですね。臆病だから普段は人前に決して姿を見せないはずなんですけれど……」

 彼女がそう言い終わるかどうかのところでペル・ラットはばたりと倒れた。気絶したようだ。リンとイリーウィアは恐る恐る近づく。

「けがをしています。しかも深い傷」

「本当だ」

 ペル・ラットはお腹の部分に深い咬み傷を負っていた。どうやら何か他の魔獣に襲われたようだ。イリーウィアが呪文を唱えてペル・ラットの傷の部分を優しく撫でる。するとみるみるうちに深い傷口は塞がっていった。

(治癒魔法も使えるのか)

 リンは彼女の引き出しの多さに舌を巻いた。

「それにしてもおかしいですね。ペル・ラットは危険を察知する能力に長けているはずなんですが……」

 イリーウィアはペル・ラットの傷を癒した後、柔らかな茂みの上に彼を寝かせてあげ目覚めるのを待った。

 やがてペル・ラットは目を覚ました。彼は目を覚ますや否や「キッ」と短く鳴いて飛び起きリンやイリーウィアから距離をとる。ガタガタと震えながらこちらの様子を伺う。

「怖がらなくてもいいですよ。私達はあなたに何があったのか聞きたいだけなのです」

 イリーウィアは優しくペル・ラットに語りかけた。その言葉は魔法語とは違っていた。リンにはおぼろげに意味がつかめたものの片言でしか理解できなかった。

 イリーウィアは怖がってなかなか近寄ってこないペル・ラットに粘り強く声をかけ続けた。声をかけるだけではダメだとわかると餌を放り投げて与え、彼の警戒心を解こうとした。

「どうぞ。食べてください。お腹が減っているでしょう?」

 初めは怯えていたペル・ラットもおずおずとこちらに近づき始め、餌をついばみこちらに敵意がないことを確認すると心を許してくれた。イリーウィアに促されるまま彼女の肩に乗り、彼女の耳元で何事かを囁き始めた。イリーウィアはペル・ラットの言葉に耳を傾ける。

(魔獣とコミュニケーションもとれるのか)

 リンにはペル・ラットが何を言っているのかほとんど分からない。魔法語で拾える彼の言葉はほんの一部だけだった。

「ふむふむ。なるほど。大体の事情は分かりました」

 ペル・ラットから一通り話を聞き終えた彼女はリンにも事情を話し始める。

「彼はどうやらキマイラに攻撃されたようです」

「キマイラ?」

「ライオンの頭にヤギの胴体、蛇の尻尾を持つ恐ろしい姿の魔獣ですよ」

「それは……怖いですね」

「彼の仲間はまだキマイラの追撃にさらされているのだそうです。彼をかばってキマイラを引きつけたというわけですね。彼は私達に自分の仲間を助けてほしいと訴えています。どうします?」

「いや、どうしますと言われても……」

「どうせならキマイラと戦ってみては?今回は夏季探索なので私はあんまり無理しないようにしようと思っていたのですが、あなたにとってはいい経験になるかもしれません。初めて森に入っていきなり戦う相手としては少しヘビーかもしれませんが」

「僕に倒せるんですか?」

「ヴェスペの剣で倒せる魔獣ですよ」

 リンは少し迷ったが戦うことに決めた。

「分かりました。やってみます」

「それでこそ男の子です。いいでしょう。私が援護します。」

 リンはイリーウィアに男の子扱いされて少しこそばゆい気分になったがそれでもやる気が出てきた。彼女にいいところを見せたいと思った。

 二人はペル・ラットの導きに従って森の茂みの奥深くまで入っていった。



 リンとイリーウィアは走っていくペル・ラットを追いかけるために小走りになった。リンはイリーウィアの後ろを付いて行っていた。

 彼女の前を木々は避けていくため、追走しているリンもスムーズに前へ前へと進むことができる。このフォーメーションを選んだのは素早く移動できるためというのもあるが、戦闘する予定のリンの体力を温存しておくためでもある。

 これらはすべてイリーウィアの指示だ。彼女は状況と目的を整理するや否や瞬時に決断してテキパキと裁量し、指図してきた。

 リンは彼女の印象が豹変したことにドギマギした。先ほどまではなんだかんだ言って深窓のお姫様らしいのほほんとした態度だったが、今の彼女から見られるその機知、身のこなし、態度は経験豊かな狩人そのものだった。

 リンは進むにつれて風が強くなっていくのを感じた。また地面に転がっている石がだんだん大きくなっているのにも気づいた。

「この先は滝がありますね」

「そうか。それで風が強くなっているんですね」

「そういうことです。……シッ。静かにしてください。開けた場所に出ます。速度を落としましょう。走るのをやめて気配を消してください」

 イリーウィアが静かに、しかし厳しい口調でリンに言った。

 リンはイリーウィアの言う通り走るのをやめて歩き始めた。イリーウィアがリンの肩に触れてくる。彼女に触れられるだけでリンは自分の存在が希薄になったような気がした。これも彼女かあるいは彼女を守る精霊の力のようだ。いつの間にかペル・ラットも彼女の肩に乗っている。

 二人と一匹は茂みの陰に隠れて開けた場所を覗いてみた。そこは岩場の切り立った崖になっていて向こう側に滝が見える。

 そこで彼らが目にしたのはまさしく一匹のペル・ラットがおぞましい姿の化物、キマイラによって断崖絶壁に追い詰められているところだった。



                  次回、第37話「キマイラとの戦い」

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