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第53話 お茶とブドウ酒

前回、第52話「きらびやかな世界」

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 リンが座るとすぐに胸元のポケットがモゾモゾと動き出してレインが飛び出した。

 イリーウィアの側からもペル・ラットが現れる。二匹のペルラットは再会を祝してテーブルの上で互いの鼻先をこすり合わせる。

「レイン!」

「あらカラット」

 イリーウィアはペル・ラットにカラットと名付けたようだった。

「そう言えばこの二匹にとっても久々の再会でしたね」

 イリーウィアはおかしそうに笑う。

「誰か。この二匹に何か木の実を」

 イリーウィアがそう言うと暗闇からクルミが投げ込まれた。二匹はテーブルの隅で仲良く木の実をかじり始める。

「懐かしいですね。二人で魔獣の森を散歩しました。キマイラを一緒に退治しましたね」

 イリーウィアのこの言葉をきっかけに二人は魔獣の森での思い出話を始める。



「ではやはりイリーウィアさんもマグリルヘイムをやめてしまったんですか」

「ええ。マグリルヘイムの方々はみんな優秀でいい人達だったのですが、やはり私には性に合わなくて」

 彼女は憂鬱そうに言った。

「リンの方は最近どう過ごしているんですか。相変わらず工場で労働?」

「えっ? い、いやあ僕はちょっと最近転職しまして、まあ大した仕事ではないんですが……」

 まさかレンリルの品物をアルフルドに密輸して商売しているなんて言えない。

 リンが答えに窮しているとちょうどその時ポットが暗闇から進み出てきてテーブルに置かれる。

「あら、お茶が入ったようですね」

 リンは話題が逸れてホッとした。

 ポットはひとりでに傾き、3人の前に置かれたティーカップに紅色の液体を注ぐ。暗闇の中で誰かが質量魔法を使っているようだった。

 お茶の香ばしい香りがテーブルに広がる。

「いい香りですね」

「紅茶は飲んだことがあって?」

「いえ、まだ飲んだことがありません」

「では是非飲んでみてください。ちょうど良いお茶を取り寄せたところです。シーナという産地から取れる珍しいものですよ。さあ召し上がって」

「では、いただきます」

 リンは立ち上る香りに魅了された。

 こんなに芳しい香りなのだからきっと美味に違いない。

「うっ、苦い」

 リンはひと口飲んだだけでカップから口を離してしまった。

「あら?お口に合いませんでしたか。ではこちらのブドウ酒はいかが?」

 イリーウィアはお茶の代わりにぶどう酒の入ったゴブレットを差し出してきた。フルーツの香りがする。リンは果物が大好きだった。これなら飲めそうだと思った。

「ゲホッ」

 発酵した予想外の味にリンはむせてしまった。

「あらあら。あなたにはまだ早かったようですね」

 イリーウィアはクスクスと笑う。

「すみません。せっかくいただいたのに」

「いえいえ。いいんですよ。あなたは相変わらず面白いですね」

「はあ」

 リンには何がおかしいのかわからず曖昧な返事しかできない。

「あの。いいんでしょうか。こんなに長く話し込んでしまって。他の方もイリーウィアさんと話すために並んでいるのに」

 リンは先ほどから自分の後ろに順番待ちで控える人々のことが気になって仕方がなかった。彼らは談笑したり飲み物を飲んだりして時間を潰しながらも不安そうにこちらの方をチラチラと見ている。

「構いませんよ。お茶会は始まったばかりです。時間はまだまだありますよ」

「でも、僕たちだけこんなに長くイリーウィアさんに相手してもらうというのは気が引けるというか……」

「リン。そんなことはあなたが気にしなくてもよいのです。彼らは待ちたいから待っているのです。それに……」

 イリーウィアが目を細める。リンはその仕草にドキリとした。

「主だった者への挨拶はもう済ませました。あとは取るに足りない者達ばかり。待たせておけばよいのです」

 イリーウィアは悪びれる様子もなくそう言った。リンは周りの空気が凍りつくのを感じた。列に並んでいる人達は気まずそうに目を背けている。みんな今の発言を聞かなかったことにしたいようだった。

「さあ。お話を続けましょう。私はあなたとお話がしたいのです」



 彼女は以前と変わらず分け隔てなく話してくれた。

 ユヴェンに対しても初対面にもかかわらず親しげに声をかけてくれる。

 しかしその服装と彼女の気品のある仕草は容赦なくユヴェンに惨めな気分を味あわせた。

 ユヴェンはもはや身動きするのも恥ずかしいと言わんばかりにジッとしていて微動だにしない。

 イリーウィアのような本物の貴人に比べれば、ユヴェンは所詮田舎の成金の娘である。

 二人の挙措の一つ一つを取っても雲泥の差であった。

 リンは二人を見比べて改めて実感した。そしてこの二人を会わせてしまったことを後悔した。

 イリーウィアにはリンの居心地の悪さも、ユヴェンの惨めさも招待客たちが二人に浴びせる冷ややかな視線も何も見えていないようだった。

 彼女には下々の者の気持ちなど、リンとユヴェンの感じる劣等感などわからないのだ!

 イリーウィアに悪気はない。ただ彼女は無邪気だった。

 まるで世の中の苦労など何一つ見ず知らずすくすくと育ったのではないか。リンにはそう思えて仕方がなかった。

(もう少しユヴェンのことを気遣ってあげればいいのに)

 リンはイリーウィアに対して密かな反感を覚えた。



 どれくらい時間が経っただろうか。レインとカラットが揃って仲良く居眠りを始めた頃、イリーウィアの背後の暗闇で何者かが動く気配がした。

 彼女の耳元に何か囁いたようだ。

「あら、もうそんな時間ですの? 仕方ありませんわね。」

 イリーウィアが気怠げな表情を見せる。

「リン。残念ながら時間が来てしまったようです」

 イリーウィアはいかにも憂鬱そうに言った。

「今日のお茶会には学院生やウィンガルドの上級貴族だけでなく上階層に所属する高位魔導師の方々もたくさん来ています。コネクションが欲しいあなたにとって彼らとの交流は実り多いものになるはずです。ゆっくり楽しんでください」

「え、ええ。どうもありがとうございます」

 リンは正直なところ人々からの冷ややかな視線に耐えるのに精一杯でそれどころではなかった。とはいえ彼女からの厚意を無碍にするわけにもいかない。

 リンは彼女に下手なことを言ってしまったことを後悔した。

「その装備でこの会場を歩くのは不便でしょう。デューク」

 イリーウィアはリンとユヴェンの身なりをちらりと見た後、暗闇に声をかける。すると暗闇から黒いローブを着た彫りの深い顔の男が進み出てきた。

「紹介します。彼はデューク。私の師匠兼護衛役を務めている男です」

「どうも。リンです」

 リンは会釈をしたが、デュークの反応は薄く、それどころか心なし冷ややかな視線をリンに注いでいる。

 どうやら彼もこの会場にいる大多数の人々同様リンのことを歓迎していないようだった。

「デューク。この二人にあなたの指輪を与えなさい」

「かしこまりました」

 デュークはポケットから指輪を取り出すと二人に手渡してきた。小粒の魔石が嵌め込まれた指輪だった。

 イリーウィアが首を傾げる。

「もっと上等なものがあるでしょう?」

「生憎今はこれ以外持ち合わせておりません」

「あなたらしくない不手際ですね」

 イリーウィアはかすかに眉をひそめた。とはいえデュークのこの態度は招待客達を安心させた。デュークはイリーウィアのお目付役である。彼がリンに対してつれない態度を取っているということは、自分達もリンに対しておもねる必要はないということを意味していた。

「まあいいでしょう。リン、私はまだ挨拶が残っていますので積もる話はまた後にしましょう。その間二人はゆっくりしていてください。デューク。二人にこの近くの席をあつらえてあげてください」

「かしこまりました。おふた方。こちらへどうぞ」

 二人はデュークに誘われてイリーウィアのいるテーブルから別のテーブルに移った。

 イリーウィアは近くの席と言っていたが、デュークによって案内された席は彼女の席からいささか離れた薄暗い場所に設置されていた。



次回、第54話「イリーウィアの憂鬱」

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