好きを仕事にしたいあなたへ 諦めのススメ
昔は好きを仕事にしたいなんていったら「何バカなこといってるんだ!現実を見ろ‼︎」なんて親に言われるし、そういう風潮が社会全体にもあったように思う。
でも近頃は、好きを仕事にしたいと思うことはステキなことだと理解されることが多くなり、夢を諦めず頑張る人を眩しく見つめる人も多い。
諦めなければ夢は必ず叶う!と成功者は力説するし、成功した人は全員諦めなかった人だなどと言われれば言い返す言葉も見つからない。
でも私は諦めるのもアリだと思っている。
私が今、及ばずながらもアーティストの端くれとして活動しているのは、夢を諦めなかったからではない。
そもそも活動できてる理由が、好きを仕事にすることを諦めたからに他ならない。
実はとうの昔にアートの世界で生きることを完全に諦めた人間なのだ。
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私は小さい頃から生き物が好きで、それと同じく絵や工作もすごく好きだった。
学校から帰ってくると自分なりに考えた創作をして楽しむ事も多く、美術の教科書でいろんな時代のいろんな国の芸術家の作品を見れる事が楽しくて家でもよく眺めていて、学年が上がっても美術の教科書だけは捨てずにとっておいた。
クラブも部活も美術系、高校の選択科目もちろん美術。
一番好きなのも一番成績がよいのも美術だった。
けれど、進路を決める頃になって考えた。
当時はこの世にまだインターネットは存在しておらず、作品を見てもらう機会を得ることすら今ほど簡単ではない時代。
美術系の仕事といえば画家か企業でイラストやデザインに携わるくらいしか選択肢はないように思われた。
売れない貧乏画家になる勇気はないし、かといって企業に入り「作る事」を仕事にしたら、制限や競争で作ること自体が嫌いになる気がして怖かった。
そういう関わり方だけはしたくないと強く思った事がとても記憶に残っている。
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でもある時、まったく美術に関心があるようは見えなかったクラスメイトが、放課後に美大受験を目指して美術の先生とデッサンを描いている事を知った。
カラスの剥製を描いていた。
あの子よりもきっとずっと絵が好きだったはずなのに…などと複雑な想いを抱いたことを覚えている。
デッサンとは私の好まない花や果物のような静物画を描くものだと思っていたのに、彼女が描いていたのは剥製とはいえ生き物だったから余計に胸に響いた。
そういう選択もあったのかもしれないと、ちょっと羨ましく妬ましく悔しくもあった。
でも自分には美大受験やその先を見据える熱意も決意もなかったのだ。
夢というほどの具体性もなく、なにより自分の才能は凡庸だろうと自分を見限り諦めた。
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学生時代の私は、不良っぽさゼロという意味ではマジメだったけれど、今思えば本当に恥ずかしいくらい浅はかだった。
将来に向けて他に好きなことも興味もやりたい事も目標も夢もなにひとつなかった。
少子化の今とは違い、大学進学が狭き門のベビーブーム世代。
他の大勢のクラスメイト達のように浪人してまで大学に行く気にはなれなかったし、かといって高卒で働く気にもなれず、なにかしらの専門学校へと進学することにした。
メイクアップアーティストや服飾のデザイナーやスタイリスト科などの専門学校の資料を取り寄せるも、「そんなんで将来どうする」と親に反対され、あっけなく引き下がった。
当時はまったくオシャレじゃなくメイクもしたことなかったので当然と言えば当然だろう。
じゃあ、取り寄せた服飾専門学校のパンフに載ってた和裁科なら親ウケいいかと思い、夏に浴衣を着た時の自分がなんとなく好きというだけでそこに入学させてもらった。
しかし丸2年間着物に関する様々な事を学んだにもかかわらず、あまり興味が持てなかった。
授業のカリキュラムで振袖まで仕立てたものの結局和裁は先生に逐一聞かなければ浴衣すら縫えない程度にしか身に付かず…今では1ミリも覚えていない。
着付けも看板まで頂いたけど、さらに学んで将来に活かそうという気持ちにはなれなかった。
そもそも和の業界は、地味な裏方と押し売りの呉服屋のイメージしかなく、就職先として全くピンとこなかった。
すべてにおいて恥ずかしいほどに適当、先入観にまみれた薄っぺらな認識しかなかった。
そんな私は就職先も親ウケだけを狙って学校の就職案内の中から有名な結婚式場を選んだ。
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しかし好きな事でもやりたい事でもなく適当に選んだ会社に就職したにも関わらず、ずっと苦手で嫌いだと思っていた接客業で未知の才能を超発揮することとなる。
親にはずっと気が利かないと評価され続けてきたし、バイト先の洋服屋でも接客なんて必要性すら見いだせなかったし苦手意識しかなかった。
なのに、入社後配属されたブライダル衣裳の部署でみるみる接客の才能が花開き、3年後にはその会社の最も花形のプランナー部署に異動して多くのお客様の信頼とそれに伴う実績を上げた。
その頃にはこの会社に骨を埋めると思うほど仕事に熱中していた。
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そこでキャリアを磨き、しばらくして家庭の事情でしばらく離職することになるが、その期間に犬を飼い始め、愛犬のホームページ制作のスキルをきっかけに、接客経験と動物好きを活かせる仕事のオファーを頂くこととなる。
職人気質の社長の右腕として、店舗の運営企画、ホームページ作成、ネットショップ制作運営を任せられていたので、自主的にマーケティングやライティング、SNSの運用の知識、スキルを身に付けた。
それらすべてを在宅でやらせてもらっていたのでパソコン一台あればどこでも仕事ができる。
前職場から復職してほしいと声がけしてもらってからも在宅の仕事を続け、9年間は二足の草鞋を履いていた。
30代になり年齢を重ねた事でお客様からの信頼も増し、休職中に得たスキルを応用して活かしていたので、復職後は常に成績はトップクラスで毎月表彰され後進の指導を任されていた。
そうして2012年に会社務めを円満に卒業した時には会社でできる事を精一杯やりきったという爽やかな充足感があった。
思えば結果的には20年という長い間、社会の一員として多くを経験し、たくさんのお客様の力になれたと思える結果を残せたことによる自己肯定はこの上なく貴重だ。
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しかし一方で、就職してから20年以上の期間、これといった絵の一枚も描いた記憶はない。
諦めることで守ったはずの大好きだった物作りをオトナになってからは全くやらなくなってしまった。
在宅業でのホームページ制作におけるデザインやライティングなどで創作脳がある程度満たされていたのかもしれないけれど、あれだけ夢中で好きだった事をまったくやらなくなったことには少しの寂しさがあった。
退職から4年ほど経ち、空白の時を超え2016年頃からようやく趣味でいろんなハンドクラフトを楽しむようになり、子どもの頃のように様々なものづくりに夢中で楽しむことをようやく取り戻した。
そして2018年夏からひょんなきっかけで作家活動を始めることとなる。
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昔とは違い、インターネットが普及しホームページやSNSで自ら作品の情報発信ができ、ネット通販も当たり前の時代になっていた。
生まれた時からインターネットがあったわけでもない我らの世代はそういう事に疎い人も多いが、私は幸いにも仕事を通じてそれらすべてを自分でできる能力を身につけていた。
美大、画廊、美術団体など業界特有のつてがなかったとしても、ネットスキルがあるとチャンスを掴む可能性が格段に広がる。
なにより在宅業で時間の自由もきくし生活もそれなりに安定しているので、少なくとも夢を諦めきれない貧乏画家からのスタートにはならず、自分のペースで納得のいくものを作る余裕がもてる。
美術作家活動とは全く関係ないことで得たこれまでの社会経験、人生における知恵や学びのすべてが怖いくらいに作家活動に活かせることばかりで、しかも制作時間や資金を捻出できる環境すらも築いてきている。
かなり出遅れたけれど、知らぬ間に自らお膳立てをしたかのように、ある意味絶妙なタイミングで挑戦を始めることができたのだ。
若かりしあの時に自分を見限ったからこそ、未知の可能性と経験というひと財産を手に入れることができた。
自分の好きにしがみついていたなら、私はどれだけのことができただろうか?
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夢を叶えて好きを仕事にしている人は素敵に思えるけれど、諦めることは必ずしも負けで終わりというわけではなくて、そこからまた新たな可能性が広がるだけなんだと思う。
少なくとも私は大きくまわり道をして自分の好きだけを追いかけていては知り得なかった自分の可能性、才能を見出すことができた。
そこで得られたものが大きかったばかりではない。
私は美術作家以外のこれまで携わった仕事を天職だと思えたくらい充実した時を過ごすことができたのだ。
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握りしめた手を離さないことが、自分の可能性を狭めてしまうこともある。
だから、諦めることを責めなくていいとわたしは思う。
好き嫌いも夢も関係なく目の前のことに懸命に取り組んでいく中で、今よりずっと最高のタイミングが巡ってくるかもしれないから。
私の半生におけるこの不思議な巡り合わせの話から、なにか違う視点が持て一歩踏み出す力になれば嬉しい。
ありがとうございます 嬉しいでーす ╰(*´︶`*)╯♡