どうして生き物を飼いたいと思うの?
以前、そう聞かれたことがある。
小さい頃から当たり前のように動物と暮らしていたから、あらためて考えたこともなかった。
かわいいからとか
癒されるからとか
育てる過程が楽しいからとか
そういうことではない気がして、言葉にするのはとても難しく
そのあまりにドストレートなその問いに即答できなかった。
今、あえてそれを言葉にしてみたらどんなことになるだろうか?
わたしはかつて、とても魅力的な犬と暮らしていた。
早起きしてよく山や海など自然の中に遊びに行った。
そこには私たち2人(1人と1匹)しかいない。
人間が日常を始める前の澄んだ空気
早朝の山独特のまばゆい光
まだ誰にも濁らされていない透き通った海のしずく
それらと完全に融合して戯れる愛犬の生き生きとした「生」のきらめきは
なんだか神々しくも見えて眩しかった。
目の前にこれほど美しい世界があるというのに、私はそのほとんどの時間を、今起きているわけではないことに費やしたりしていることに気づく。
愛犬と歩いていると
くよくよと悩んでみたり
人の目を気にしてみたり
不平不満を抱いてみたり
いつもなにかにとらわれて、今を生きていないちっぽけな自分に気づかされた。
愛犬はいつもただシンプルに今を生きていて、それはとても美しかった。
力強い躍動に満ちた命の熱量と
果てしなく拡がるたましいの静寂
相反するはずの動と静が不思議に融けあい
果てしない自由や純粋さとなって響く。
そんな瞬間に魅せられているその時だけは私もここにいられた気がする。
こんな風に書くと、癒しのために生き物を飼いたいと思う人を助長するかもしれないので言っておく。
生き物と暮らすということは、日常のお世話をしたり、共に暮らす上でのルールを教えたり、現実的なことに割く時間の方がずっと多い。
愛玩するだけで得られる癒しなんて実に薄っぺらくて、毎日世話をしているからといって無防備に信頼を寄せてくれるなどと都合のいいことは起こらないと考えておいた方がいい。
彼らの純粋さは時に残酷だ。
うまく共存できなかったり、関係性が築けなかったりに悩む人も多くいて、だからこれだけ手放す人が問題になっているわけで、決してそれは他人事ではなくほんの紙一重なのかもしれない。
それに住むところや外泊など正直、制限されることも多い。
その制限は災害に見舞われた時に最大レベルの負担となって襲うことも目に見えている。
人間以外の生き物がいないほうがずっと楽に生きられる。
けれど、
私はいまも生き物と暮らしている。
「なぜ生き物を飼いたいと思うのか?」
その問いの答えにぴったりの言葉を探すことはとても難しい。
言葉にしたとたんになんだか陳腐になりそうだけれど・・・
私は、彼らのいのちにふれて学びたい。
本当の自分とはなにかを。
何かができるようになることとは別の成長がしたいのかもしれない。
これで答えになるだろうか?
書いていてあらためて気づいたことがある。
私の作品のモチーフは、架空のものも含めて生き物ばかりだ。
躍動感と静寂という言葉は、
公式サイトに作品のコンセプトとして実は書いてあるのだけれど、
今日言葉にした想いからきていると今さら気づいた。
書いておきながら自分で自分を深く理解できていなかったことに反省した…
けれど、
それこそ私が表現したいものではないのだろうかという、ひとすじの希望の光も見えたような気もしている。
ありがとうございます 嬉しいでーす ╰(*´︶`*)╯♡