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高卒の私が44歳で大学院に行ったら世界が変わったってよ

学び直しのインフラは、まだ整ってはいない

『リカレント教育』『学び直し』という言葉を昨今耳にするようになったが、おそらく20年以上会社員をしてから大学院でガチで学び直す人、それも職業に全く関係のない学問を学ぶ人はかなり少ないと思われる。
私は田舎の職業訓練の専門学校に入学し、経理や事務スキルを身に付け就職をした。職場は転々としたが、秘書をしていた時期がほとんどである。専門学校卒の秘書は当時もやはり珍しいものとして扱われてきたけれども(4大卒がマジョリティ)大学院の試験を受ける時に初めて発覚したことがある。卒業した専門学校が文科省認可の専門学校ではなかったため、私の最終学歴は厳密には高卒であった。びっくり。
そんなわけで、高卒の私は学力試験を受けてコロナ禍に大学院に無事入学し、卒業した。
素晴らしい経験をしたと感じているが、万人にお勧めはできない。
なぜなら、働きながら大学院に行くことは生半可な覚悟では授業のレポートについていくことすら難しいし、そもそも社会人が使える奨学金はほとんどなく、学費も高額だからだ。コロナ禍で金銭の問題で進学を諦めた同級生はたくさんいた。私と同じような社会人学生もだし、親の資金力に依存する若い学生もだった。そんな不安定極まりない時期に、私が大学院に通い卒業できたのも、論文を読み耽る時間を確保するため、あるいはレポートを書き上げるために犠牲にした大量の「家事労働時間」に、嫌な顔ひとつせず、むしろ私の学びを喜び、精神的にも金銭的にもサポートをしてくれた夫の存在がなければ実現はしなかった。私が幸運な環境にいたことは間違いない。
高校を卒業したタイミングで大学へ進学しなければ、社会に出てから再び学問の場に戻ることは日本では容易ではない。貧しさに対抗する唯一の手段である教育が、日本では贅沢品であるという、大変恐ろしく絶望的な事実だ。

卒業後の世界

現在は私はフリーランスでコンサルタントをしている。在学中に知り合った博士と意気投合して、彼女の仕事を手伝っている。大学に行かねば出会わなかった人であり、仕事の内容も長く続けていた秘書職をひと段落し、新たな仕事を楽しんでいる。
社会人大学院生あるあるだと思うが(専攻学部にもよるけど)、在学中、または卒業後、大学をきっかけに、本業で独立したり、起業する人が多いと感じた。これまでの人生を見つめ直し価値観が大きく変化する過程で、一念発起するらしい。そういう意味で大人の学び直しは人生に大きな変化を起こすことが多いように思われた。そこは学部から修士に上がってくる学生とはかなり異なった。若い人は学部生と同じように、卒業後就職活動をする人がほとんどだった。若い人が学んで飛躍するように、大人も学ぶと飛躍する。その飛躍はそれまでに培った社会的な土台があるため、むしろ若い人以上に遠方へ飛んで行く人が続出していた。学ぶのに遅いということは絶対にない。

私は大学院では主に社会学を学んだが、大学院での学びは私の意識にキリスト誕生前と誕生後くらいの変化を起こした。これまで生きてきた世界は何も変わらないのに、私という人間が変わってしまったことで見えている世界がまるで違ってしまった。
目で見ることも、手で触れることもできない「社会」が、急に色づき存在感を放ち始めたため、40年も同じ政党が日本の政を担っていることの恐ろしさや、法律は性差別を禁止しているのに、資本主義の皺寄せが、いまだに結果的にはほとんどが女性に吸収されていく日本社会の働き方、老人に偏重する社会保障費の意味、兵隊を育てるための仕組みが今なお据え置きの教育現場、そういったことを理解し、憂うようになった。頭がいい人はペシミストが多い気がしていたが、知識が彼らを過剰な悲観者にするのではなく、ただ真っ当に憂いているだけだと今はわかる。

学びによる変化で想定していなかったのは、急速に実母との関係が悪化したことだった。学ぶ前までは、母との関係は兄弟の中で誰よりも良好だった。
しかし、母の差別的な言動が気になってしまうようになった。学ぶ前までは、ただ母は性格が雑な人なのだと思っていた。生活の中で母からモヤっとさせられた時に、それをうまく言語化する能力が私になかったから、モヤモヤを抱えても、そのうちモヤモヤと忘れてしまっていた。「あんた、早く子供を産みなさいよ」「もう年だから(出産は)諦めた!許してあげるわ」「あんた、太り過ぎよ(痩せすぎよ)」「綺麗だからって調子に乗るんじゃないわよ」といった(我が母ながら酷い…)無遠慮な言葉の全てを、私は完全に言語化した上で打ち返せるようになってしまった。
よく言えばおおらかでのんびりした我が娘が、急に自分に反論し、咎めてくるようになったことで、母もストレスを溜めていく。ストレスを溜めた母による不用意な発言で、私が決定的に傷ついてしまう日が訪れた。
「私を尊重しない人とは話したくないの」と距離をおいたところ、それが母のプライドを大きく傷つけたようで、連絡が途絶えている。
今では子育てに失敗しない親などいないだろうと思うし、母が死ぬ前に本人に怒ることができてよかったと思っている。適切に怒らなければ、許すチャンスすら得ることができなかっただろうと思う。ちなみにまだ怒ってるので、許すチャンスは訪れていない。

学んでみたら、苦しくなったことが多い

以上のように、社会の解像度が高くなったことで世界は思っていたよりずっと悲観すべきものだということがわかってしまった。取引先や周囲の人たちの男尊女卑的な態度にもすぐ気付いちゃうし、気付いたら傷ついちゃうし。
正直、世界の解像度が低い方が社会は生きやすい。そしてその解像度の低さゆえに他人を傷つけることが多くなると思う。人が親切であることは、生まれながらの性質や才能ではない。親切とは学んで身につけるスキルだ。大事な人を守りたければ、人は学ぶしかない。
日本人は大人になると最も学ばない民族なのだが、だからこそ学んでいる人は学ばない人と大きく差が開いていく。苦しみながらも学んで社会の解像度を高める人は、賢く親切で、とても美しい。私もそういう人間でありたいと思う。

学び方を覚えたら、その先はひとりで学んでいける

修士論文を書き上げて卒業したが、卒業後も修論のクオリティがいまいちなのを悔いていた。研究に協力してくれた人たちに、報いてない気がして。
そのため修論をブラッシュアップして学会に提出したく、卒業後も私は学び続けているし、これだけは何年かかってもやり遂げようと思っている。

私の変化は、身近な人間ほど強く感じているようだ。
話す内容も、読む本も、関心を寄せるポイントも、以前とはまるで違うんだそう。特に言語化するスキルが高くなったため、夫は私を恐れている(笑)
時々、夫は仕事に関しての問題をシェアし、その問題を構造化したり言語化したりしながら、私がどんなことを考えたのかを聞いてくる。そんなふうに、毎週金曜の夜はレストランでその週にあったモヤモヤを夫婦で整理する時間になっている。私が学んだことによって、夫婦の仲は確実に強くなった。
夫もチャンスがあれば大学を受験したいと思っているようだ。
最後に余談だが、たまたま私の夫は、妻が学ぶことを好ましく思う人だったが、おそらくそうでない夫も意外と多いのではないかと思っている(手強くなるから)。
他人の学びと成長を喜んでくれる人は、幸福を分かち合える稀有な人だと思う。
もしあなたが学んでいる時、そっとサポートしてくれるような他者がいたとしたら、その人はきっと愛するに足る人だと思うので、決して見逃さないで欲しいと思う。


#創作大賞2023 #エッセイ部門 #私の学び直し


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