目標なんかあってもなくても、生きてはいけるけど
新年明けました。
この1週間あちこちで目標やら、抱負やら、やりたいことやら、未来への決意表明をたくさん見かけて、なんだかちょっと心がざわついています。
最初は、おぉ、すごいな〜!私も私も!と燃えていたんですが…
なんか、「正しい目標設定の方法」とか「叶う目標の立て方」みたいなのを見ると何だかわからないけど怖くなってきた。
この気持ちはなんだろう…。
とはいえ、例にもれず、私も今年の目標というのか、2023年の自分のテーマを年越し前の勢いでツイートしてました。
そして、今、受講中のコーチング講座の課題であるドリームツリーという目標設定のワークとも年越し前から向き合い、年が明けてやっと完成できました。
今まで、まともに目標立てて、今年一年頑張るぞー!ってなことをしたことがありませんでした。(多分)
というより、目標にしたことをその年が終わる頃にはすっかり忘れている。
下手したら3ヶ月後、いや、もうバレンタインの頃にはあやふやになっている。
私はそんな、ポンコツ野郎です。
でも今年は、今、自分が身を置いている環境が「目標を立てなくては!」という心理状態に追いやってくれた感じがしています。
年末年始の2週間ほど燃えてました。
で、実際、私なりにいろいろ考えて目標を立ててみたんですが、この目標に向かおうと思うとなぜか手が止まる。
これ、きっと慣れないことするから目標立てて燃え尽きちゃったんだなあ…。
それに、なんだか、目標に近づく自分が怖い。
何でよ、目標の姿が手に入ったらワクワクするんでしょ?ハッピーなんでしょ?
そう、想像したらワクワクするのに、なぜか怖い。
人間弱いもので、新しい変化を起こそうとすると、不安や恐怖を感じるのでしょうか。
目標という自分で描いた自分の向かう先に辿り着かなかったらどうしよう、そんな怖さもあるのでしょう。
こりゃ、厄介だなと自分でも感じています。
そもそも、なんで目標なんか立てるの?
できるかどうか分かりもしないこと考えてどうなるの?
それでも、今の状況を変えたい。
変わりたい。
そう願うから、目標を立てて、進む先を明確にしたいんだと私は思います。
ふと気づいたことがありました。
何となく「目標」として、言語化して目に見える形にしてみた時より、来年はこんな感じでいこ〜ってふわっと思って「テーマ」を掲げた時の方がなんかやる気が出てきていたような…
自分で描いた目標に向けて自分自身を縛ってしまうよりも、一つのテーマを掲げてそこに合うか合わないかそんな判断基準で前進する方が私には合っているのかもしれない。
結局、目標を立てることが大事なわけではなくて、目標に対してどれだけ行動できるかが重要なわけです。
その時々で興味のあること、気になったことに飛びつきがちな私には、ひとつテーマを決めてどれもが中途半端でとっ散らかった状態になるのを防ぐぐらいがちょうどいい。
飛びついて、終わりにしないために。
何のために、それを選ぶのか。
それを選択して自分はどうなりたいのか。
そこがブレないようにしたい。
そのためには、あんなことをする!こんなことを叶える!という「目標」よりも、もっと抽象的なこんな感じでやっていきたいよ〜という「テーマ」の方がいい。
私の今年のテーマ
「書いて、描いて、伝える、届ける」
これぐらいざっくりしておけば、書くことや描くことを軸として、自分の想いを伝える、人の想いをその先の人に届ける、という行動の範囲を広げていけそう。
書くことも、描くことも、自分がナチュラルにしてきたことが誰かの役に立つのかもしれないという去年得られた気づきを、今年は何か形にしたい。
そんなまだぼんやりした状態だからこそ、今年のテーマを胸に可能性を狭めずに、時間と体力が許す限り、行動し続けたいと思います。
年末には、いっぱい書いて、描いて、かきまくったぞー!楽しかったー!と笑える一年になっていますように。
目標を立てるのが、なんか怖い。
そんな目標とか必要ある?
そんな風に思っている方も、こんな感じで過ごせたらいいな〜というふんわりしたテーマを考えてみてもいいかもしれません。
そうすれば、自然とやってみたいことも思い浮かんできちゃったりして…。
それはもう俗に言う目標ってやつです。
別に目標なんかあってもなくても、生きてはいける。
でも、どうせ生きていくなら、楽しく、やりたいことに満ち溢れている、そんな人生にしたい。
目標があった方が前進できる人もいる。
目標があると立ち止まってしまう人もいる。
どちらにせよ、目標を立てる過程で自分のありたい姿と向き合う経験が何より大切なことなのかもしれません。
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