不登校からワーママの変遷

発達障害と気付いたのは24歳、それまでどう過ごしていたか。
転職や浪人や不登校を経験しました。

今の私は正社員として働きながら主人と共に1歳児を育てています。
生存バイアスなんて言葉もありますが、一例として書きたいと思います。

なぜ不登校になったのかは自分でもよくわかりません。中学校はあまり通っていません。
イジメはありました。小学校の先生と、中学校の同級生と。そんなに壮絶ではなかった気がするけれど。中学時代は部活内の揉め事だったので部活を辞めました。
それでもただ学校に行きたくありませんでした。

私にはもう一つ持病があります。POTSと呼ばれる、起立性調節障害のサブタイプ「体位性頻脈症候群」です。横になってる状態と起き上がった時の脈拍の差が大きく、いわゆる立ちくらみを起こします。
立ちっぱなしが苦手で突然倒れる事もある為、電車は降りながら移動する事が少なくありません。

この病気は朝の調子がイマイチ良くないという症状が出ることもあります。夜は元気です。
朝起きるのもしんどくて学校に行きたくなかったのかもしれません。でも周りから見ると怠けてるようにしか見えないです。自分自身そう思っていました。

この持病がわかったのは21歳の頃でした。実験中に倒れて危ないのでいくつか病院巡りをして突き止めましたのですが、わかってから病気について調べ「思春期頃に発症し、多くは成長に伴い治っていきます。」との記載に首を傾げたことを覚えています。

そんなこんなで色々な要因が重なった結果の不登校だったのでしょう。

幸運な事に元々成績が悪い方では無く、中学時代不登校でもそれなりに点数は取れました。3年生からは塾に通い、一般受験で地元の公立高校に入学しました。

高校は休みがちながらもギリギリ単位を取りきり卒業しました。ここでも部活は数ヶ月で辞めました。
ただ、大学受験には失敗し浪人。

浪人後も受験は上手くいかず短大に進学しました。短大では周囲の同級生は学部編入を目指す中で就職を選択しましたが、これもまた上手くいかず、経験・学歴不問のシステム開発会社に入社しました。

ここまで私はなにかをやりきった事がなく、不登校後は親に心配をかけていて、そろそろ自立しなくてはと考えていました。

就職して、しっかり働いて、一人前の社会人になれば、親も安心してくれるかな。

そんなことを考えて入社した会社でしたが、

半年で辞めました。

朝はキツいし電車もツラいし、先輩は遅延での遅刻に怒るし、適応障害になってご飯食べれなくて現場変えて欲しいってお願いしても聞いてもらえないし。

そんな中、祖父が亡くなりました。

忌引きの間、ご飯が食べれたんです。ずっとスープを飲むのがやっとだったのに。

「辞めよう」
って思いました。

プログラミングは楽しいと感じていたので転職先もシステム開発の会社です。今もその会社で働いています。

上司のことが大好きです。技術者として尊敬できて、穏やかで頭が良くて冷たくて。一定の距離感を保って接してくれます。

この上司の下で、なんとか働いています。

それから、家庭が出来ました。

主人とは前の会社に就職した頃に知り合い、転職前後の私の姿を見ています。不安定さを知った上で受け入れてくれた事については、素直に「凄いな」と思っています。

私には出来ることと出来ないことのギャップが大きいです。

主人は、出来ないことを責めるのではなく出来ることを沢山褒めてくれました。少しずつ自信が持てるようになりました。

逃げて逃げて、ここに辿り着きました。
やっと居られる場所を見つけられました。

開き直って、自分の事を認めてくれる人達の中で過ごしています。この環境は生きやすいです。

私を嫌う人は沢山いるかもしれないけれど、好いてくれる人に囲まれていればいい。そう考えるようになりました。

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