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この戦闘シーンは論文か。 中島敦『山月記・李陵』

 『山月記・李陵』を読んで、中島敦が本当に33歳で亡くなったとは思えませんでした。というのも、書かれている文章が老獪だからです。

 本書の末尾に「解説」が載っており、本書に選んだ中島作品の基準として以下の3つがあげられています。これら3つがよく表れている作品が、本書に載せられたようです。

1つ目に、「彼の文章の特色、すなわち漢文調にもとづいた、硬質な、簡勁な、打てば錚々と鳴るような〈中略〉文体のもの」
2つ目に、「それは南洋的なもの」
3つ目に、「彼のメタフィジックな懐疑や存在論的な思索に根ざしているもの」

 これらがそのまま中島敦の特徴と言えます。つまり彼の作品は、(漢文調の)硬質的で、南洋的で、哲学的なのです。

 このうち、2つ目の「南洋的なもの」は、本書を読んでも感じられませんでした。本書において南洋的な雰囲気がするのは『環礁』の1つだけでしたし、それが中島敦の特徴であったとしても、魅力であるとはどういうことかわからなかったので。

 けれど、1つ目と3つ目の特徴は本書を読んで十分に魅力として感じられるのものでした。そして、この硬質で哲学的な魅力が、彼の老獪さを感じる理由なのです。まずは、哲学な魅力を感じる部分から紹介します。

 『李陵』に次のような一文があります。これは、漢出身の主人公・李陵が、匈奴の捕虜になった際、匈奴の王である単于から言われた、漢に対する皮肉です。

漢の人間が二言目には、己が国を礼儀の国といい、匈奴の行を以て禽獣に近いと見做すことを難じて、単于は言った。漢人のいう礼儀とは何ぞ? 醜いことを表面だけ美しく飾り立てる虚飾の謂ではないか。利を好み人を妬むこと、漢人と胡人といずれか甚だしき? 色に耽り財を貪ること、またいずれか甚だしき? 表べを剥ぎ去れば畢竟何らの違いはないはず。ただ漢人はこれをごまかし飾ることを知り、我々はそれを知らぬだけだ、と。

山月記・李陵 他九篇(岩波文庫)

 現代語に訳すと(訳さなくても通じるでしょうが)「漢人は我々匈奴を野蛮だと見下しているが、自分たちだって醜い部分をもっているではないか。違いは、我々匈奴はそれを隠さないし、漢人は隠すことによるもの。どっちが野蛮だ。隠す方がよっぽど野蛮じゃないか。」となります。

 30代前半の、まだ青臭さの残る年頃に、どうしてこんな人生を悟ったようなことが書けるのか。中島敦が『李陵』をいつ書いたのか正確にはわかりませんが、遅くとも30代前半です。30代前半と言えば、20代の名残もあり、まだまだ人生を達観するには早すぎます。現代のビジネスマンで30代前半といえば、仕事を精力的に数や勢いでこなしている頃でしょう。

 それなのに、中島はすでに人生を達観しています。マウントを取る側と取られる側の関係を、表面的だけでなく、その内部にも入って分析している。しかも、その分析を読み手が「なるほど」と納得する程度に表現しているのです。

 次は、『弟子』という作品からの一文。

「生涯孔子の番犬に終わろうとも、いささかの悔も無い。世俗的な虚栄心が無い訳ではないが、なまじいの使官はかえって己の本領たる磊落闊達を害するものだと思っている」

山月記・李陵 他九篇(岩波文庫)

 孔子の弟子である主人公・子路(しろ)の気持ちです。子路は元々、「稚気満々たる人物」でありましたが、孔子に出会い、その大きさに圧倒されて弟子になった者。その子路が葛藤し、子路の内面が描かれた場面です。これも30代前半の若書きとは思えません。上昇志向を虚栄心などと悟るには、まだまだ30代は早すぎる年頃だからです。「虚栄心」を「世俗的」だの、「使官はかえって……磊落闊達を害する」だの、一般的に言われる華やかさを俯瞰して虚しいと見ており、人生を一通り経験してきたかのような書きっぷりです。

 最後に、(漢文調の)硬質な魅力を感じる一文を紹介しましょう。哲学的な魅力として紹介した上記二文からも、硬質な魅力は伝わると思います。それにつけ加えて紹介する一文です。『名人伝』の中の一文。

『やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月の如くに絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石の如くに落ちて来るではないか』

山月記・李陵 他九篇(岩波文庫)

 弓の名人である主人公・紀章が、弓の仙人・甘ようが弓を射るのを見た場面。手に何も持っていないはずの甘ようが、上空のトビを射たところ。この後、紀章は「慄然」とし、「芸道の深淵を覗き得た心地」をして、この甘ように弟子入りすることになります。

 この一文を硬質さを伝える例としてあげたのは、これが本書の中で一番くだけた場面だからです。もっとも硬質さを伝えにくいシーンのはず。甘ようの弓矢の凄まじさを表現したく、「ひょう」という擬音語まで使っています。擬音語を使うと、大抵はその場面がくだけるもの。ドラゴンボールのような少年漫画で言えば、「ドカ!」「バキ!」の戦闘シーン。堅苦しい論文で擬音語は使われないように、擬音語は硬質さとは真逆の関係にあります。けれど、そんな擬音語を使って一般的にくだけるような場面でさえ、中島作品においては、この程度のくだけ具合なのです。くだけたシーンでさえ、漢文調の、まるで気難しい老人が口を「へ」の字に曲げて、筆で人生訓を紙に書くような、一般的なレベルから言えばだいぶ「かってぇなぁ」と言えるレベルなのです。

 というわけで、哲学的な魅力と硬質的な魅力を感じる場面でした。このように中島敦の作品は、哲学的・硬質的で、すでに人生を一通り経験したような書きっぷり。つまり老獪さを感じさせます。故に、33歳で亡くなった人間が書いたとは思えない作品群だったのでした。


参考


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