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子犬が吠えるのを防ぐには。引用で作文に客観性を出す方法

 作文の中で子犬が吠えている方、いるのではないでしょうか。説得力に欠け、読み手への訴求度に乏しい文章。大した脅威にもならず、「子犬が吠えているなあ」と傍観されるされるだけの記事。そのような作文は避けたいですよね。

 説得力のある作文を目指したい。読み手に訴え、心を動かし、「なるほど、自分もこんな事してる場合じゃない。動かなきゃ」と渇望させる作文を書きたい。というわけで、説得力のある作文の書き方です。

 説得力のある作文を書くには、主張が客観的でなければなりません。なぜなら、独りよがりの作文では、読み手を納得させることができないからです。例えば、いくら主張に理由を加えたからといって、「私は~だと思うから」という理由だけでは、読み手は納得しません。「ディズニーランドに行くべきだ。なぜなら私は面白かったから」のような意見には「お前は面白いかもしれないけど、他の人は違うかもしれないじゃないか」というツッコミが入れられます。いくら理由といっても、「私は~だと思うから」というだけでは説得力に乏しいのです。

 説得力の欠如を回避するには、自分以外の視点を利用します。第三者の声を文中に入れるのです。例えば「ディズニーランドに行くべきだ。だって、AもBもCも行って面白いと言っていたし。有名インフルエンサーの〇〇も面白いと言っていたし。世界的権威の□□も面白いと言っていたし」のように第三者の声を入れれば、意見が独りよがりではなくなります。自分の意見を支える多くの意見を一緒に載せれば説得力が出る。作文に説得力をもたせるには、第三者の声を載せて「独りよがりではないんですよ」とアピールせねばならない。つまり、客観性を加える必要があるのです。

 「プロギュムナスマタ」という作文訓練方法があります。これはヨーロッパにおいて、紀元前4世紀頃から17世紀頃まで続けられた文章術。例えば、古代ローマにおいてエリート層、あるいはそれを目指す人々は、7歳から20歳頃まで学校で学問を学ばなければなりませんでした。学校で学ぶ最重要学問がレトリックで、そこで教えられていたのが「プロギュムナスマナ」だったのです。

 このプロギュムナスマタを現代の議論文向けにアレンジして紹介しているのが『レトリック式作文練習方法』という本です。本書は1章から5章まであり、それぞれ「寓話」・「物語」・「逸話(格言)」・「反論と立論」・「賞賛と非難(+比較)」。本書全体をとおして、「主張をいかに論証するか」が書かれています。そのうち、「逸話(格言)」の章で、著者は次のように述べています。

「多声的、複声的に書く」ということをプロギュムナスマタにおけるひとつのキー・ワードとしてきた。自分の単調な声だけで書き進めるのではなく、そこに様々な他者の声を組み込み、また自分の声もいくつか調子を変えて組み合わせ、多彩で洗練された文章に仕上げていく。

レトリック式作文練習法ー古代ローマの少年はどのようにして文章の書き方を学んだかー(明治図書)

 要するに、「自分の意見だけでは客観性に乏しいので、他の人の意見もうまく文章に取り入れよう」という意味です。主張を論証する必要のある議論文では、客観性が求められます。なぜなら、いくら主張に根拠をつけたところで、独りよがりの根拠であったならば、それは説得力に欠けるから。論証には客観性が必要なのです。

 『レトリック式作文練習方法』では、寓話・物語・逸話などを引用する方法が紹介されています。馴染みのある出来事で教訓を諭す「逸話」、昔から伝わるお話の「物語」、特定の人物によるエピソード「逸話」。これらは、主張である自分の考えとは別に存在する、他人によって考えられたストーリーです。引用とは、第三者の視点を自分の作文に引っ張ってきて、論証の材料に利用する方法なのです。

 本書の内容に則って、実際に論証してみましょう。例えば、この記事における私の主張は「引用で作文に客観性を出そう」です。この主張に、第3章「逸話」に則って引用を加えます。引用をうまく作文に組み込むには、引用を引き伸ばす必要があります。本書には8項目の引き伸ばし方法が記載されており、それぞれ賞賛・言い換え・直叙(じきじょ)・対照・譬え・実例・権威・勧告です。

1 賞賛……逸話の主を簡単に賞賛する。
2 言い換え……逸話の「意味や重要性を分かりやすく解釈・説明するような調子で、自分の言葉に言い換え」る。つまり、説明的に敷衍する。
3 直叙……逸話で示されている「発言や行為の正しさを率直・簡潔に説明する。」直接照明。
4 対照……逸話で示されている発言や行為と反対の例をあげ、それを否定する。反対証明。
5 譬え……譬えによって証明を補強する。
6 実例……具体例をあげて証明を補強する。
7 権威……権威ある古人の判断を引用して証明を補強する。
8 勧告……この発言、または行為に従うべきであることを告げて結びとする。

〈引用〉『レトリック式作文練習法』という本の中に、つぎのような記述があります。『「多声的、複声的に書く」ということをプロギュムナスマタにおけるひとつのキー・ワードとしてきた。自分の単調な声だけで書き進めるのではなく、そこに様々な他者の声を組み込み、また自分の声もいくつか調子を変えて組み合わせ、多彩で洗練された文章に仕上げていく』と。

〈賞賛〉本書の共同著者である香西秀信氏は、レトリック学者です。香西氏の著書の多くは議論やレトリックに関するもの。これらの著書には知性・ユーモア・情熱があり、「口が悪い」と思うこともありますが、読中読後は心地よい知的興奮を味わうことができます。

〈言い換え〉要するに香西氏は「主張を補強するために、引用で客観性をもたせよ」と言っているのです。「他の人も同じことを言っているよ」と言うことで、主張が独りよがりでないことを示します。

〈直叙〉というのも、自分の意見の補強として他人の声を文章に組み込むことで、主張に客観性が出るからです。主張は客観的に論証されて説得力をもちます。「他の人も同じことを言っている」と示されて、読み手は「なるほど」と思うのです。

〈対照〉主観ばかりの主張では、読み手は「なるほど」とは思いません。いくら自説を熱弁したところで、根拠の出どころも自分では、何も論証したことにはなりません。「結局は自分がそう思っているだけでしょ?」と軽くあしらわれるのがオチです。

〈譬え〉客観性が伴わず、論証できてきない主張は、子犬が遠くで吠えているようなもの。いくら子犬が頑張って吠えたところで聞いている側の脅威とならないように、論証できていない主張は読み手の琴線には触れません。「何か吠えているなあ、何か言っているなあ」と思うのみです。

〈実例〉実際、朝日新聞の一面コラムである「天声人語」には、引用で始まる文章が多く見られます。一見、無関係に思われるエピソードが主張を補強しており、読後に「そういうことか」と納得感を引き出すのです。2023年5月25日の天声人語は「マーフィーの法則」という本からの引用で始まっていますし、翌26日は「今昔物語」から引用です。

〈権威〉「万学の祖」と言われる古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「理性は、神が魂に点火した火なり」という言葉を残しています。理性でもって物事を理解することは人間が動物と区別される所以であり、アリストテレスは理性的・論理的に考えることで、人生が豊かになると考えました。うまく主張を論証することで、私たちの生活は実りあるものになるのです。

〈勧告〉このように、私たちは主張を論証するため、引用によって客観性を出すべきなのです。

レトリック式作文練習法ー古代ローマの少年はどのようにして文章の書き方を学んだかー(明治図書)

いかがですか? 第三者の意見が取り入れられ、私の文章にも多少は客観性が出ているでしょう。私が「引用によって客観性をだすべき」と言っているだけでは、何の説得力もありません。どこの誰かもわからない者の意見を鵜呑みにする理由なんてありませんから。他人のお話を引用して後ろ盾をつくることで、主張が補強されるのです。(〈権威〉の部分が、主張との繋がりが薄くて苦しいですけどね)


参考

「引用」からの論証方法を詳細に説明する内容は珍しいと思い、紹介させていただきました。興味ある方はぜひ。

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