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神という謎とペルソナ設定。膨大なシミュレーションを出来ないがゆえに

ペルソナ設定というマーケテイング手法の不思議

 「ペルソナ」というのがあります。これは「理想の顧客像」のこと。ペルソナを決めることが商品づくりをする際の基本だと以前、教えられたことがあります。「こういうお客様がいたらいいなあ」とか「こういうお客様なら自分の商品が力を発揮できる」「こういうお客様に商品を売りたい」という顧客像を細かに決め、それに対して商品づくりをするのです。性別、年齢、家族構成、仕事、ライフスタイルに至るまで。このペルソナの設定が、ヒット商品を作るポイントなのだそうです。

 で、私はこのペルソナ・マーケテイングがずっと不思議でした。というのも、「ヒット商品を生む」というマーケティングの精神に反しているように思われるからです。だって、商品は顧客に合っていなければならないし、顧客は一人ではなく多い方がいいではありませんか。

 商品は顧客に合っていなければなりません。顧客に合っていなければ選ばれないからです。誰も自分に合わない商品なんて選ばないですよね。それに、買った商品が自分に合っていなければ、もう買いません。

 顧客は一人ではなく多い方がいいですよね。多く売れる方がいいし、多く売るのがマーケティングのはずです。「ヒット」商品とは、多くの人に求められる商品のはず。少なくとも、特殊な場合を除く限り「顧客が一人がいい」なんて状況はないと思います。「顧客がそれほど多くなくてもいい」はあるかもしれませんが。

 そうすると、ペルソナを決めることは、マーケティングにおいて逆効果になるはず。というのも、理想の顧客を1人に決めて、その顧客に対して商品づくりをしたら、その顧客以外には商品が合わないことになります。でもって顧客は一人では無い方が良いし、実際に顧客が1人しかいないなんてことはありません。よって、ペルソナを決めることは、マーケティングにおいて逆効果でしょう。

 けれど最近、実際にペルソナ設定の効果を実感しました。ペルソナを決めて、商品づくりが進んだのです。私は作文の書き方を教えています。今度、オンラインで作文の授業をするに当たり、悶々としていました。「こういう児童がいたらこういう授業構成にして……」「それとは反対に、こういう児童がいたら今度はこういう返答をして……」と考えていて、なかなか商品づくりが前に進まなかった。ところが、ふと「ペルソナを決める」ということを思い出して、その悶々状態を脱することができました。理想の顧客「こういう児童がいたら私の授業は成功するだろう。こういう児童に僕は授業を提供したい」というのを1人決めることで商品作り、つまり授業構成を練るのを進めることができました。

 ここから、ペルソナを決めることの理由を見出せたのです。それは、私らは神さまじゃないんだから、というもの。ペルソナ・マーケテイングの理由は、私たちが神では無いことによるのです。

モリーナの解法とは何か


上枝美典・「神」という謎

 「モリーナの解法」というのがあります。これは、西洋有神論における「神の予知(あるいは摂理)と人間の自由の問題」に対する、16世紀のイエズス会士ルイス・デ・モリーナが説いた解決法のこと。

 西洋有神論には、理屈で神を証明しようという伝統があります。「神はこういう存在だ」「神は実在する。それはこういう根拠による」というのを、論理的に説明しようという伝統です。職場の上司のように、頭ごなしに指示命令するのではなく、言葉がもつ説得の力によって「コレコレこういう理由から、神の性格がうかがえる」「神の存在を主張できる」というのを論証するのです。
 この、論理によって説得するという伝統に、西洋有神論の魅力を感じますよね。

 で、「神の予知(あるいは摂理)と人間の自由の問題」とは何か。これは、神の全知と人間の自由は両立しないのではないか、という問題です。
 西洋有神論において神は、全知全能至善であると考えられてきました。「何でも知っている、何でもできるし、善いことをする。そういう存在が現実にある」と考えるのです。
 それと同時に、人間は自由だとも考えられてきました。人間の自由は、現代の私たちでも価値あるものだと感じられます。誰にも束縛されないし、自分の意志で動く。「自由の国・アメリカ」という言葉もありますし、西洋っぽい香りのする言葉ですよね。西洋において自由という考えは、宗教における「悪の問題」から生まれたとの説があります。
 「悪の問題」とは、「神がいるのに、どうして世の中に悪がいるのか」という問題です。「悪」という言葉は「苦」に変えた方がわかりやすいかもしれません。神がいるのに、どうして世の中に悪がはびこっているのでしょうか。だって、もしも神が全知全能至善で、世界は神が作ったのであれば、はじめから悪のいない世界を作ってほしいです。戦争、テロ、飢餓、事故、病気、犯罪……。どれも苦痛です。これら悪がない世界を、初めから作ればよかったのです。けれど、実際に世の中には悪がはびこっています。これはどういうことでしょうか。神が全知全能至善ではない、ということでしょうか。
 この「悪の問題」に対する答えが「人間は自由だから」なのです。人間は自由であり、自分の意志で行動できる。故に、悪は神の責任ではなく、人間の問題。悪を作ったのは人間である、というのです。修学旅行の生徒のようなもの。修学旅行で生徒がバカなことをしたとして、その責任は修学旅行を計画した先生ではなく生徒にある。同じように、人間を作った神に責任があるのではなく、自分の意志で悪を働いた人間に悪の責任がある、というのです。

 ただ、この「人間は自由だから」という考えを受け入れると、今度は別の問題が生まれます。それが、「神の予知(あるいは摂理)と人間の自由の問題」です。「人間の自由と、神の全知は両立しないのは?」という問題。これは正論に思えます。人間の自由と神の全知。これって両立しないですよね。もし人間が自由な言動をできるのであれば、それらに神は感知できないことになります。神は人間の未来の行動を知らないことになります。というのも、もしも神が、人間が何をするかあらかじめ知っているのなら、それって「自由」とは言えないですから。もし私がラーメン屋でこれから何を注文するかを神が知っていたら、それって私が自由に自分の意志でラーメンを注文したことにはなりません。神、或いは運命に束縛されていることになります。神は何でも知っているのでしょう。もし人間の自由を認めるのなら、神が全知とは言えなくなる。それが「神の予知(あるいは摂理)と人間の自由の問題」です。

神の全知と人間の自由は、どのように両立するか

 この問題への一つの回答、つまり「神の全知と人間の自由はどのように両立するのか」の1つの考え方が、「モリーナの解法」です。それは、神は「気が遠くなるほどの巨大で膨大なシミュレーションをしている」というものになります。

 神はどのようにして、人間の自由な行為について知るのだろうか。それは、「もしCという状況になれば、Sという主体はAという行為をす自由意志によって行うだろう」というタイプの膨大な知をすべての人間のすべての状況について所有していることによる。いわば、気が遠くなるほどの巨大で膨大なシミュレーションを、神は個々の人間について行っているのである。

上枝美典・「神」という謎

 たとえば、私がラーメン屋で味噌ラーメンを注文したとします。私は自由な存在だから、どのメニューを選ぶことも強制されません。選ぶのは神ではなく私です。もしも私が味噌ラーメンを選ぶことが神の知に含まれているならば、私は自由ではないことになります。そこでモリーナの解法。モリーナの解法によれば、「私が味噌ラーメンを選ぶ」という知は、「もしCという状況になれば、SはAを自由意志によっておこなうだろう」という条件文のかたちで、神の中にあります。今、私がラーメン屋にはいりました。そのとき神は、この条件文と、私がラーメン屋に入ったという事実から、「私が味噌ラーメンを選ぶ、という行為を自由意志によって行う」と知る。それでいて私は、自由意志によって味噌ラーメンを選んだことになる。味噌ラーメンを選ぶのは、あくまでも私の自由意志なのです。

 神は気が遠くなるほどの巨大で膨大なシミュレーションをできる。けれど、神ならざる私たちは、このようなシミュレーションをできません。顧客一人一人に対しての細かいシミュレーションは無理です。「こういう顧客がいたら、こういう商品構成にしよう」「それと同時にこういう顧客が来たら今度はこういう商品を出そう。」「その顧客がこう言ってきたらこう説明しよう」という、すべての顧客のすべての状況について具体的にシミュレーションすることはできません。私たち人間にとって、脳ミソも時間も有限なのですから。

だからペルソナが必要

 なので「ペルソナを決める」つまり、理想の顧客像を1つに絞る、というのが必要なのです。
 もし可能なのであれば、ペルソナなんて決めない方がいい。商品は顧客に合っていなければならないし、顧客は一人ではなく多い方がいいから。やってくる顧客に対して合う商品を考えた方がいい。想定できるすべての顧客に対して、その時々の展開を、個々具体的に考える。そんなシミュレーションが理想です。
 けれど、そんなことはできません。神さまでない私たちは、一人ひとりの顧客について、気が遠くなるほどの巨大で膨大なシミュレーションは不可能です。そんなことをしていれば時間がいくらあっても足りないし、そもそも脳ミソがパンクして前に進まないでしょう。
 故に、私たちはペルソナを作った方がいいのです。商品づくりにおいては理想の顧客像をつくり、それに向けた商品構成にした方がいい。氏名や年齢だけではなく、ライフスタイルや価値観など多様なデータを重層的に設定する。そうでなければ、出来もしないことをしなければならず、それによって永遠に悩むことになるでしょう。
 ペルソナ・マーケテイングの理由は、私たちが神では無いことによるのです。



参考

 今年の最後に、この本を紹介したかった。

「神」という謎

 私も毎年本を読んでいますが、毎年ごと、「これは良い」と思う本、或いは著者にめぐり逢います。三浦俊彦、香西秀信、サイモン・シン、細田功、ちきりん……。今年のベストはこの本。常日頃持っていたモヤモヤを解き明かしてくれました。私の興味や悩みが、西洋有神論の方向と合っている事を気づかせてくれました。「死んだらどうなるのか」「どうして世の中で宗教が幅を利かせているのか」「魂はあるか」……。そして、これらの問いに西洋有神論は論理でもって答えようとしている。そんな伝統が魅力ではありませんか。とりあえず3回、読み通しました。章ごとの復習問題も問いています。この本の内容を事あるごと引用できるように、私の血肉にしたい。

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