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温室育ちのお坊ちゃんvsストリートカルチャー。学歴社会をどう崩すか

 子ども向けの事業をしていると、「学歴社会をどう崩すか」を考えるようになります。学歴社会が事業の前に立ちはだかっていることに気づくんです。というのも、一般的に子どもの習い事は「受験にも通用するか」で決められることが多く、けれども子ども向けの事業は、受験とは関係のない価値を提供しようとすることが多いからです。

 親は子どもの習い事を、受験を軸に考えます。「受験に役立つかどうか」という軸です。もしも子どもが「通いたい」と希望した習い事が受験に直接役立つ、例えば学習塾であれば、親としては問題無しでしょう。直接役立ちはしないけれど、間接的に役立つものでも「まあ、いいでしょう」となる。例えば「論理的思考を育む」とか「数学脳をつくる」なんて効果のある習い事であれば、直接受験に役立ちはしないものの、学習効果を高めるのでオッケーと言えます。これらとは逆に、受験とは関係のないものを習い事として子どもが「やりたい」と言ったとき、親としては二の足を踏むのではないでしょうか。例えば「ギターを習いたい」と子どもが言ったとき、親としては首をひねるでしょう。受験に向けて勉強の時間も作らなくてはならないのに、どこにギターを練習する時間があるのか。しかもサッカーや野球と違って、体力がつくわけでもない。友人関係がそれほど広がるわけでもない。もちろん受験には役立ちそうにない。そんな習い事であるギターに子どもが時間を使うのは「もったいない」と、親としては思います。

 けれど一方で、私のような個人の子ども向けの事業提供者は大抵、受験とは関係の無いものを提供しようとします。私の作文教室も、受験とは直接関係のないもの。作文を習ったからといって、受験対策を教える国語の学習塾以上に受験に役立つとは思えません。

 ここに、受験軸と事業軸の葛藤が生まれます。学歴が人生において大事だと考えるが故に、子どもに対しても受験を優先した習い事を推奨します。受験に役立つ習い事を子どもにさせようとします。それと同時に、事業では「学歴じゃない軸を提供したい」と考えます。勉強ができるだけで人生は渡っていけません。数学や国語の点数が良いだけで幸せはつかめません。広い交友関係のためには社交性が必要ですし、ストレスなく生きるには広い視野やタフさが必要です。このような、受験軸とは別に人生で必要なものをこそ、私のような者は、提供しようとしているのです。子ども向けの事業を提供をしている者にとって、「学歴社会をどう崩すか」は身近な問題なのです。受験は大事だけど、受験とは関係のない価値を提供したい。どうすれば学歴社会を崩せるのか。

 私は、学歴社会を崩すヒントはストリートカルチャーにあると考えます。というのも、ストリートカルチャーには「持たざるものの方が格好いい」という精神があるからです。

 ヒップホップやスケボーなどのストリートカルチャーって、持たざる者の文化ですよね。「むしろこっっちの方が格好いいだろう」っていう富裕層に対するアンチテーゼ。そこでは、何でもそろった環境で育ったお坊ちゃんは敬遠されます。

 最近、ウチの次男がバスケクラブに通いはじめました。クラブ選定の候補にはHチームとLチームがあり、結局は値段の安いLチームに通わせることになったのですが、その決め手になったのが「バスケは貧乏人のスポーツだしね」という妻の一言でした。若干、言葉足らずに感じるこの発言は、バスケがストリートカルチャーだということを意味します。Hチームは値段が高額だったんです。Hチームを経営しているのは企業。入会金8,300円、月謝8,290円、ユニフォーム代17,889円、冬用ジャージ16,245円、さらには年会費8,080円。「通う」と決めただけで58,804円が要求されます。それに対してLチームは、月謝の1,000円のみです。入会金なし、ユニフォーム代なし、冬用ジャージ代なし、年会費なし。「通う」と決め手要求されるのは1,000円だけ。Lチームの指導者は「近所のバスケが得意だった人」です。想像してみてください。Hチームのように、値段が高額で何でもそろった練習環境って、格好悪いのではないでしょうか。バスケに足を突っ込んだばかりの小学生たち。どこまで本気でバスケをしているのかもわからない子どもたちが、おそろいの新品のユニフォームを着て練習する。それって温室育ちのお坊ちゃんですよね。滑稽に見える。それに対してLチームは、出来合いのもので環境を切り盛りします。練習する体育館も地域を点々としているし、教えるのもバスケが得意だった人。やめるも良し、続けるも良し。ただし、上手くなりたかったら自分でするしかない。そこが格好いい。これって、「持たざるものの方が格好いい」ストリートカルチャーの精神だと思うんです。

 「持たざるものの方が格好いい」感覚は、仕事をしていても湧いてきます。皆さんもインターネットニュースで、「最近の新入社員は昇任する気持ちがない」という類の記事を見たことがあると思います。私自身、以前、警察官をしていた際に、「警察幹部に昇任するよりも普通の警察官でいた方が格好いいな」と思うことがよくありました。警察幹部は、威厳を身につけて仕事をします。アイロンとノリの効いた制服を着て、高価そうなボールペンとノートを携えて会議に出席します。会議に持っていくのは、分厚い法律の本(わざとらしく付箋をいくつも付けている)です。そんなビシッとした姿こそが、警察幹部としての威厳形成になるんです。

 それに対して幹部でない普通の警察官は、アイロンやノリの効き目がとっくになくなった制服を着ています。ボールペンもゼブラの200円です。分厚い法律の本は、支給された時からロッカーにしまってあります。幹部のような威厳は無いほうが格好いいと思っているのです。これって「持たざるものの方が格好いい」というストリートカルチャーの精神ですよね。

 この「持たざるものの方が格好いい」という風土を学歴にも起こせれば、学歴社会に風穴が開くのではないでしょうか。学歴社会は強固です。いくら論理的に考えても「学歴は無いよりかはあった方が良い」という結論に至ります。と同時に、私たちは「学歴が幅を利かせる人生ってどうなの?」との疑問を持ちます。「どの大学に入った」「どの大学を卒業した」という基準だけの評価など信じたくないし。社交性も、タフさも、倫理観も、すべて学歴に比べればおそまつなものとして片付けられてしまう社会は間違っているに違いないと思いたい。

 学歴での「持たざるものの方が格好いいい」という感覚も、いずれ理論化されるのではないでしょうか。職場での「普通の警察官の方が格好いいな」という気持ちも、以前は理由の無いものでした。なんとなくの感覚でしかなかった。それが、何年かするうちに「実際、普通の警察官の方がストレス軽いし」「実際、普通の警察官の方が現場を経験できるし」と、格好良さの理由付けができるようになりました。インターネットニュースの「最近の新入社員は昇任する気持ちがない」という類の記事。この記事にも、「平社員のようにフラフラしていた方が、一つの会社に縛られないので視野が広がる。手広く副業・兼業ができる」などと理由づけがなされるようになりました。この「最近の新入社員は昇任する気持ちがない」という風潮も、数年前まではなんとなくの感覚でしかなかったはずです。理由付けができないものでした。明確に理由を語れるようになったのは最近でしょう。

 ですので、もしも学歴にも「持たざるものの方が格好いい」という雰囲気を起こせれば、なんとなくの感覚でしかないものも、いずれは明確な理由付けがなされるようになるのでは、と思うのです。「学歴はあった方がいいに決まってるじゃん」「学歴が無い方がいいなんて、ひがんでいるだけじゃん」という声も、「持たざるものの方が格好いい」という文化が根付けば「学歴は無い方が良い」という理屈を語れるようになるのではないかと思うのです。

 というわけで、子供向けの事業を提供していると向き合わざるを得ない「学歴社会をどう崩すか」のヒントはストリートカルチャーの「持たざるものの方が格好いい」にある、という話でした。会社での昇任と同じように、学歴も「持たざる者の方が格好いい」と思えるようになれば、いずれ明確に「学歴なんて無い方が有利だよ」という理論化ができるようになる、のでは。

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