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日記 言葉の精進/焼尽

 おのれの貧弱な脳みそを棚に上げて、言葉への悪質クレーマーになってみようか。『つち式』を出しておきながらこんなことをいうのは不届きであるが、わたしはずっと言葉への不信感を拭えないでいる。こんなものが何の役に立つというのか。わたしは物書きではないし、まして研究者でもなく、ただの農耕者である(農業者ではない)。言葉は食えもしなければ着れもしない。陽射しや春の訪れのように素朴な感激を届けてくれるわけでもない。にもかかわらず、どこかから俺の頭の中にやって来て、我が物顔で巣くってやがる。この傲慢な役立たずに、わたしは人生を削り取って給餌しているのだ。
(そういえば、わたしは雑誌『たぐい』の寄稿に「言葉は、実践における精神的な力たりうる」と書いたのだった。必殺、手の平返し!……けど「たりうる」やし……。まあ今俺がちょっとバグってるだけです。あるいは、これが言葉の信用ならなさの証拠だ!!!)

 さて、言葉への悪口を書くという笑止千万なことをしている(それこそ不毛!)のは、ここ最近、四月の東京遠征へむけた準備に追われて、わが脆弱な脳髄がなんとか自衛(逃避)しようとしているからだろう。東京遠征というのは、4/6のトークイベント4/8の研究会発表のことで、準備とは本を読んだり資料を作ったりすることだ。なにそれだけのことかと思われるかもしれないが、日頃地べたを這っているだけの人間がいきなり脳みそを使うから、脳みそからわたしは不服を申し立てられているのだ。中間管理職は辛い(?)。
 だからこの土日は脳みそに休暇をやった。大阪から若い衆が二人あそびに来てくれたから、それをいいことに野良仕事にうつつを抜かした。やはり四肢を動かすのは言葉を操るよりいいものですね☆

 とはいえ、羽目を外そうとしていたわたしは出鼻に冷や水(氷)を浴びせられた。

 土曜日、朝起きてしばらくすると雪が降ってきたのだ。みるみる積もった。一時間半ほどのことだったが、わたしの儚い意気が挫けるには十分だった。頭に暗雲を載せて、最寄りの駅まで二人を迎えにいったのだった。
 それでもその後、時折陽が射して昼食の頃にはすっかり雪は解けてしまっていた。気をとりなおして、懸案だった棚田の崩落箇所の修復をした。一人ではやる気も起きなかったが、三人でかかれば半日で済んだ。

 夕方、ちょうど作業を終えた頃に再び雨が降り出し、すこし早めに切り上げ、晩飯にした。

 昼間の慣れない仕事がこたえたのか二人は早々に撃沈。その横で、この週末はあそぶと決めたのにもかかわらず、小心者のわたしは本を読み進めたり資料に加筆したりしていた。しかしおもしろいもので、ぞんぶんに野良仕事をしたあとには思考が拓けて、考えあぐねていた部分が鮮明に見えた(気がした)。つくづくわたしにとって言葉は副次的なものなのである。

 一夜明けてきょうは、朝から小雨が断続的に降っていた。一日曇りと気を持たせた天気予報を恨みながら、このまま無為に引き下がるのは癪なので、きのう伐ったヒノキの枝で焚き火をすることにした。

 ついでに、邪魔な梅の枝を払って一緒に燃やした。人間に内在する過剰さを焚くのにも火はうってつけだ。
 昼前にまたしても看過できない雨脚になってきて退散、ファミレスで飯を食ってから二人を駅に送った。

 それにしても、こうして高校生たちが大阪からわざわざ来てくれるのはありがたい。おかげでよい「休暇」になった。彼らは来週末も来てくれるようだ。

#日記 #エッセイ #随想 #農耕 #つち式 #焚き火 #棚田

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