風の時代
少し前に、風を感じることこそ生きる意味というような話を書いたところ、どうも今風の時代らしい。
目に見えないものが重視され、知ることに価値を見出す、形のないものが意味をもつというような時代のようだ。
身近にもその感覚はある。物を得る、所有するというようないわゆるインプットでの幸せには限界を感じている。何かを発信したり、創作したりとアウトプットすることで幸せの価値を見出すようになっていくようになるだろう。そして、手放して自分自身がシンプルでいることでさらに内面の充実、さらなる創作へつながるような気がしている。
私はというと、まだ俗世にまみれているのが現実だ。欲しいものは絶えずあるし、執着もなくならない。ただ、どんなにモノに囲まれていても、満足できない気持ち、手に入れることの快感この矛盾に翻弄されながらも、この文章を書くというような、アウトプットにより得るの価値は少しずつだがわかり始めてきた。
風の時代を生き抜くには、より柔軟な心が必要だろう。何が正しいとか、常識、スタンダード、価値観は人それぞれだ。みなが同じ価値観を持ち同じ方向を見て歩くより、様々な考え方を持つものが、いろんな側面を見て、同じ時代を生きながらそれぞれを受け入れる。
同じじゃなくていいのだ。あなたはあなたの考えがあり、私は私の考えがある。違うということは、はたして自分の人生の邪魔になるのだろうか。きっとそんなことはなく、多様な価値観がある方がより素晴らしいものが生み出されるのではないかと思う。
私は今吹き抜ける風をまっさらな気持ちで受け止めたい。
それは、次なる創造へつながってゆくにちがいないのだ。
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