Hi、ラストサムライ


みなさんこんばんは。
正直な話、最近というもの学びに対するモチベーションが下がっております。しかし、そんなときは、頭の中で株価チャートとか三角関数のグラフをイメージして、悪い時の後にはいい時がやってくるんだぜ!と自分を許しながら生きていきたいものですね!

最近、立て続けに歴史上の人物の精神や心構えに関する本を読んでみたので、簡単にまとめておこうと思います。

1冊目は、1899年に旧五千円札でおなじみの新渡戸稲造が英文で書いた本、『武士道』です。本書は、その現代語訳版で2005年に発行されています。

2冊目は、1916年に渋沢栄一(実業家)が出版した『論語と算盤』の現代語抄訳版で、2010年に初版が発行されています。

名前くらいは聞いたことがありましたが、両名が何を成し遂げたのかについては一切しりませんでした。意図的ではありませんが、2人とも同じ時代を生きた偉人で、冒頭に述べたように日本人の『精神』について論じた本という点から共通点が多くありました。

2冊の本を読んだ感想としては、「ここ100年で、考え方が大きく変わってきているなあ」と改めて言葉で実感しました。特に感じたことは、今の時代が他者よりも自己に重きを置き始めているという点です。これについては、自分だけに当てはまるものではなく、社会全体にもいえる話のように思います。自己実現欲求というものは、かつての日本にはあまりなかった思考ではないかと思います。

特に、本書で書かれていた忠誠心や愛国心という言葉は、今や時代錯誤のフレーズと揶揄されるまでになっているように感じます。考えてみれば、自分自身も”愛国心”や”愛社心”、”敬服(目上の方を敬う心)”があまりにも希薄になっていることに気づかされました。社会や他者を敬い、他人や組織や国家のために努力する、という思考はもはや意識はできても、行動を起こすことが難しくなっている時代のように思います。日本という国の成熟と国際化が原因なのでしょうか?

『武士道』の中でとても印象に残ったエピソードを紹介します。

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父の仇をもくろんだ兄弟が徳川家康の陣屋に忍び込みました。しかし、無念にも途中で捕らえられ処刑されることになりました。家康は、大胆にも自分の命を狙った若者の勇気を讃え、名誉ある死を許すことを命じました。こうゆう場合、一族の男は全て死刑となるため、末弟(8歳)も同じく切腹することになります。

最後の時を迎えた3人が並んで座ると、左近(長男、24歳)は末の弟に向かっていった。「まず、八麿から腹を切りなさい。切り損じのないよう兄が見届けてくれよう。」すると、幼い八麿は、自分はまだ切腹を見たことがないので、兄たちの作法を見てから続きたい、と答えた。2人の兄弟は涙ながら微笑んで、「弟よ!よくぞ申した。それでこそ我らが父の子ぞ」と言った。
 そこで、2人は末弟を間に座らせると、左近は短刀を自分の左腹に突き刺した。
「みよ、弟よ。わかったか。あまり短刀を深く押し込みすぎるな。後ろに倒れたら無様だ。前にうつ伏せ、ひざを崩すな。」内記(次男、17歳)も同様に腹を切りながらいった。「目をカッと見開け。力尽きようとも、勇気を奮って力で掻き切れ」
 2人の兄が果てたあと、八麿は静かに上体を露呈し、手本通りに切腹した。

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もちろん、このエピソードが後世にまで残っているということは、珍しい話であったため美談として語り継がれている可能性はあります。しかし、敵討ちや国家を想った先に、顔色一つ変えず切腹していった若者達が多くいたことに驚きを感じます。それと同時に、週末になると、白米を多めに炊いて、サランラップで小分けにして冷凍庫に保存しておく自分が非常に虚しく、めめしく感じます。倹約家という意味では、ある意味武士なのかも知れません。笑

時代とともに、道徳というのは変わっていくと思います。ましてや、『切腹できない人間が増えている!』なんていうのは、暴論であり、わけのわからない話です。

しかし、サムライ達が大切にした、仁(おもいやり)、義(ただしい道)、礼(礼儀)といった武士道は、現代においても、決して色あせることなく素直に「かっこいい」と思います。バランスが大切といってしまえばそれまでですが、古いと一蹴するのではなく、日本ならではの心構えというものを大切にしていけたらいいな、と思わせてもらえる本でした。

もうちょっと、倒幕あたりの歴史上の人物の話も読んでみたいな!
背筋を正して、明日からまた頑張っていきましょう!

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