「あきらめない」を教えてくれた先生
しんみりしています。
明日の小学校の卒業式を控え、大好きな先生(ここではビックマムと呼びます。というかわが家では結構ビックマムって呼んでる。)への感謝の気持ちを色紙にこめるために、昨日から色紙を作り始めました。
何で卒業式の2日前にそんな大事な作業やり始めるんや、もっと早う取り掛からんのか、と思われるかもしれませんが、2日前が限界でした。
思い出ぽろぽろ、涙ぽろぽろで、作業が進まねえ。
「〇〇先生へ」と色紙に書くだけで泣き出した私のことを、夫は奇妙な生き物でも見たかのような目で見てきました。わかっとる…わかっとる…泣くの早すぎや…自分でもわかっとる…
ビッグマムとの出会いは次女が小学校に入学するときのことでした。特別支援学級の担任の先生として初めて出会いました。でも、それまでの私は、先生という人になんの期待も抱けない育児をしていました。次女の障がいのことが気になっても、誰にも何の相談もできませんでした。多分今の私の姿を知る人からすると「えそうなん信じられん」というような生活を送っていました。
それまでの先生は、次女のことをあまり見てくれませんでした。次女の「障がい」のことはしっかりと見てくれました。自閉症スペクトラム、知的障がい、発語が遅い、クレーン表現、目が合わない、パニックを起こすなどなど。「障がい」というよりも「不適応行動」にフォーカスしてくれる先生が多かったなあと思います。
ビックマムは、それまでの先生とは全く違う関わりを、私たち親子にしてくれました。
どうやって私がビックマムに心を開いていったのかは、今後いくつかのエピソードをご紹介していきたいと思います。いずれも私の中では、光り輝く宝石のような宝物です。もったいぶらずにいま書けばいいやんけと思いますよね。ええ、もったいぶってます。宝物すぎて簡単に書けん…
ビックマムに教えてもらったことのひとつに「あきらめない」ということがあります。
障がいを持つ子どもがいる親御さんは、いくつかの「あきらめ」と共に育児をしています。誤解しないでいただきたいのが、子どもに対してあきらめの気持ちを持っているわけでは、ありません。でも、いくつかの点であきらめないといけないことが、あるのは確かなのです。
特別支援学級というところは、特別支援教育を必要とする子どもが特別な配慮を受けて過ごす学級だと思っていました。実際そうなのですが、特別支援学級の担任には、特別支援学校教諭免許が要りません。通常の教員免許だけでそれになれるのです。
特別な配慮を求めても、それが叶う環境は簡単には用意してもらえない。
入学する前に、先輩お母さんから聞かされていた言葉です。
だから、私は「あきらめて」いました。先生に期待するのを、環境に期待するのを、「無駄なこと」と思っていました。それまでの育児人生において、「あきらめる」ことのほうが楽だということを、無駄に悟っていました。
でも、すったもんだあって、ビックマムは私たち両親の心(次女含む)をわし掴みにしてくれやがりました。(だから何があったか書けってね)
ビックマムも、特別支援教育が十分に浸透していない事実を知っていました。技術や、時間や、余裕が足りない先生たちや学校の状況を知っていました。だからこそ、「お母さん、あきらめないで」と何度も言われました。
伝わらないと思ってもあきらめないで、あきらめずに伝え続けて。
それが一番、子どもたちのためになると思って言い続けてくれました。
だから私は、何があってもあきらめません。ビックマムが担任を離れ、十分な配慮がもらえなくなった状況になっても、それでも伝え続けるのをあきらめないことにしました。それで何も変わらなくても、大事なことを分かってくれなくても、あきらめないことにしています。だって、先生と約束したから。明日の卒業式は、「あきらめないよ!」というのをしっかり伝えてこようと思います。