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記憶、追憶、ハイオク満タン

大学3年生が終わった。日を跨いでいるので昨日のことだ。こうしてnoteに文字を打ち込んでいるのも、春休みになってだいぶ心にゆとりがあるからだ。

よく考えてみたら大学3年後期は授業を2個しか取っていなかったのに人生で1番色んなことが起こった6ヶ月だったと思う。インターンに行ったり、サークルを立ち上げたり、大切なものを失ったり。いいことも悪いことも瞬く間に過ぎていった。どうやら人間は考えることが増えると過ぎる時間の体感速度が上がるように出来ているみたいだ。

今年のお正月は家族とひさしぶりに再会して、めちゃくちゃダラダラした。1番落ち着く場所はやっぱり実家のリビングのこたつなんだな、としみじみと感じながら昼のワイドショーを眺めていた。CMが流れる。どうやら今日の金曜ロードショーは千と千尋の神隠しらしい。あの映画、小さい頃から何回も観たことあって、セリフもところどころ覚えているくらいなんだけど、ちょっと怖いんだよなっていうイメージが残っている。他に観たい番組もなかったし家族で千と千尋を観た。よく考えると中学校ぶりくらいのその映画は、今までよりも感じるものが明らかに増えていて、違う映画を観ているようだった。あとジブリ映画あるあるで、巷に映画の伏線とか背景の考察をしてる人がいて、そういうの意識しながら観てたのもあるかもしれない。ハクは昔亡くなった千尋の兄弟とか。

そんなこんなで割と食いつきながら千と千尋を、観ていたら、終盤に湯婆婆の姉の銭婆がこんなセリフを口にした。

一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで。

このセリフは、ハクと昔会ったことがあるという事実を思い出せない千尋が銭婆に相談した時のセリフだが、個人的にかなり心にぶっ刺さった。あとから調べたら割と名言的な感じで扱われていたのでぶっ刺さったのは僕だけではなさそうだった。

「思い出せない=忘れた」という構図は日本語として違和感がないし、当たり前にそう感じるだろう。
でも、確かに、「思い出せない=忘れた」は成立しないこともあるのかもしれない。

きっかけがなければ一生思い出すことの無いはずだった記憶は、誰の頭の中にもきっと存在する。昔住んでいたマンションの匂いとか、コンビニが建つ前にそこにあった田んぼの景色とか。ハイオクとレギュラーの違いをお父さんに聞いたこととか。

そういう記憶はきっかけがないと思い出すことは無いし思い出すことは出来ない。でも決して忘れた訳ではなくて、何かの拍子に思い出すことが出来る。忘れたと思っていることはじつは忘れている訳では無い。ということを銭婆は言いたかったんだろうなと、思った。

そんでもってその違いはすごく大切で、忘れたくないことも、思い出したくないことも、同時に記憶のどこかには残っていて、けど追憶にふける時には出てこない。そんな曖昧でどこか切ない構造をしているんだな。人間は。

こうやって夜中に薄い布団にくるまりながらnoteを書いていることも、何年か後には思い出せなくなっているんだろう。それでもいい。多分、思い出さないといけないことは、ちゃんと最後には思い出せるんだから。


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