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「エモい」で片付けられる感情を。
なんだか最近のインスタを見ていると、レトロな喫茶店とかフィルムカメラ風の加工が流行っていて、流行は繰り返すって言うけどこういうことか!と感じる今日この頃です。
さて、今もちょっと触れましたが、古っぽい雰囲気とか、レトロな空間とか、ちょっと感傷に浸るような空気のことを「エモい」と表現する人がとても増えたと思います。2年前くらいに突如現れた「エモい」という言葉は、その汎用性の高さから多くの人に多用される若者言葉の代表のような言葉になり、最近では息をするようにエモいエモいと言っている気がします。
そんな「エモい」という言葉。どういう意味なんですか?と聞かれた時に的確に説明できる人って少ないんじゃないでしょうか。なんかいい感じの時に使う、とか、オシャレなものを見た時に言うとか漠然とした、説明にすらなっていないような説明しかできない人が多いと思います。そんなことをふと思って僕なりに「エモい」という言葉について考えてみることにしました。
例えば次のような文があったとします。
氷が溶け切ったグラス。コースター代わりのペーパーナプキンは波打っている。右隣に座る客は何人変わっただろうか。
この文を見た僕はなんだかエモいな…と感じました。なんでだろう。
あと、次の文章は曲の歌詞からの引用なんですけど、これもエモいと感じました。
無駄な話をしよう 飽きるまで呑もう 僕らは美しい
これは僕の大好きなバンドのマカロニえんぴつのヤングアダルトという曲の歌詞です。良かったら聞いてみて下さい。 という余談は置いといて…
じゃあなんでこの上の2つの文を見てエモいと感じるのか。
それは、自分の記憶とのリンクがあるからではないでしょうか。上の文の、"氷が溶けきったグラス"という表現は、時間の経過を暗喩しているんですけど、この文を見てエモいと思う人は多分、氷が溶けきったグラスをどこかで見たことがあって、その記憶と文字がリンクすることによって、「あ、時間が経ったことを表現しているんだな」と思うことができます。その記憶と文字がリンクして始めて、時間の経過をこんなふうに表現するなんて洒落てるなって思ったり、その記憶を回想する事で、感情が昂るのでは無いでしょうか。
でもこの感情の昂りはなかなか表現するのが難しいです。例えばムカついたとか、楽しかったとか、単純な思考なら言語化出来ますが、さっきのような感情は言葉にしにくいし、言葉にしにくいからこそ貴重な感情だと思うんです。だから人はそういった言語化出来ない、心をゆさぶってくるもののことを「エモい」という3文字で代弁しているって思いました。
でも不思議なことに自分が体験したことが無い、記憶とリンクするはずがない映像や音楽、文章を見てエモいと感じることもありますよね。夕方の海辺を歩く高校生カップルとか。なんかエモいと思いませんか?でも実際にはそんな人見たことないし、僕とは縁遠い存在です。そういう自分の体験以外の情報は、SNSとか、インフルエンサーの発信する内容とかを色んな人が「エモい」と呟いたり言ったりすることで出来上がった共通の虚像みたいなもので、ひとつの価値判断の基準になるようなやや曖昧な概念として成立しつつあるんじゃないかとも同時に思うわけです。
長々とまとまりのない文を書きましたが、最近の若者言葉と言われる言葉は、音をはしょったり、「エモい」のような多くの意味を含有するような言葉が多くなっていて、言葉の重みが変わってきているのかなということが言いたかったです。別にそれがいいとか悪いとかじゃなくて、前よりも簡単に自分の気持ちを伝えるツール(言葉)が増えたけど、誤解や人による認識の違いも生まれやすくなったんじゃないかなと思います。
僕はそんなちょっとあやふやな日本語も、昔から使われている綺麗な日本語も大好きなので、もっと日本語に触れて、自分の気持ちを上手く表現できるようになりたいなって思いました。
ふと思ったことをつらつら書き連ねました。いま夜の1時です。こうやって夜にのんびりnoteを書くってのも、なんかエモいですね。最後まで読んで頂きありがとうございます。おやすみなさい。
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