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ちぇりがホーチミンを好きな理由 003  2度目で常連???

孤独だった最初の半年

ホーチミンに来てから半年くらいは、旦那さん以外に友達もおらず、日中は殆ど一人で過ごしてました。もともと一人旅が好きだったし、一人行動は嫌いじゃないので特に苦でもなかったけれど、思うところはあったのです。

例えば、ちぇりの名前で活動していた日本を離れてしまい、◯◯さんの奥さんという名で呼ばれる違和感。それが嫌だったわけじゃないけど、なんだか別人の名を呼ばれているよう。

アイデンティティ、なんていうと大げさですが、どうにも所在ない日が続き、挨拶をするのはレジデンスのスタッフくらい、という毎日でした。

それでもネットは身近にあったし、SNSでの居場所もあって、暗い意味での孤独ではなく、単に事実として孤独に過ごしていた「だけ」でした。そう、「だけ」なんだと思ってました。

自分の芯にある気持ちって、自分把握でききないこともあるもんですね。


楽しみは日々のご飯

そんな毎日の中で楽しみだったのは、今と変わらず、ベトナムのご飯。

まだまだ慣れていなかったので、近所の、しかもガイドブックにあるお店に行くにも大冒険の面持ちでしたが、初めて食べるものや、事前に調べて狙いを定めたものの味を確かめるのはとても楽しく、嬉々として日々、違う店を巡ってました。

が、行動範囲がそんなに広いわけでもなく、自分はとっておきの方向音痴だし、まだGrabの無い時代。タクシーに乗るにもちょっとばかりの勇気が必要だったので、だんだん2度目を訪れるお店が増えてきました。

そんな頃、あることに気づいたのです。
ある現象が、あちらこちらの店で起こる。

でもそれ、自分には真似ができそうに無いことだったので、ちょっと驚いたんですよね。


たったの2度目で常連扱い

ホーチミンのローカル飯は薄利多売。人気店ともなれば一日100人、200人では足らないくらいの客が来るはず。それに対して、まだ1度しか行ったことがない私は、数千、数万を分母にした上の一人。当然お店の方が覚えているはずもなかろうに…

「あーらあんた、また来てくれたの!こっちこっち!」

2度目に行ったお店で、そんな風に迎えてもらえることが度々あったのです。なんだか最初の時とは違う対応。ちなみに、上の台詞は意訳です(笑)

でも恐らく間違ってはない。明らかにこちらを知ってる風情。なんだったら片手でこちらの腕を取り、片手でポンポンとこちらの背中を叩きながら、まるで親戚の子でも遊びに来たような歓迎ぶり。近い。

挙句に、こんなことを言うのです。

「こないだはあんた、あれ食べてたでしょう?でもね、うちはこれも美味しいのよ。どう?食べてみる?」

はい、これも意訳です(笑)
でも料理名だけは何とかかんとか聞き取れた。そしてお店の人が、それとは別のものを勧める時は、メニューを指差してくれたりしたので、(ああ、あれも美味しいよと言ってるんだろうな)と推察。

ってか、待って!!
たった一度しか来たことがない客を覚えているだけじゃなくて、食べたものまで記憶してる…だと?

いやいやいやいや、そんなことがあるわけない。最初は人違いをされたのだろう、食事も適当に勧めたのだろう、と思ったのだけど、その後同じようなことがあっちこっちの別のお店で頻発し、どうやら…

これはベトナムの方の特技だな?と思うように。
だってそうじゃないと説明つかない。食堂のおじちゃんやおばちゃんが(特におばちゃんのことが多かった)なぜにそんな、一流ホテルのサービスのようなことができるのか。特技、とでも言わないことには説明つかない。


ローカルご飯を噛み締めて

戸惑いつつも分からないなりに笑顔を返して、勧められるままのものをいただき、それは反論する語学力がないので、適当にオッケーオッケーと言ってたら出てきたものだったのだけど、それがまた美味しくて驚いたり。

そんなこんなで、やいのやいのと歓迎されている時は良かったんです。困ったのは、いざ料理を一口、食べたとき。

人間美味しいもの、温かいものを食べると無防備になるのか、途端に、ブワッと泣きそうになることがあって、大変困った。悲しいとか辛いとかじゃなく、何かが堰を切ったようにブワッと込み上げて来て非常に困った。

今思うと、あれは多分…自分を覚えててもらえたことで、料理のことまで気遣ってもらえたことで、なんだかこの街に、自分が受け入れてもらえたような気がしたからじゃなかったのかなと思う。

寂しいどころか、むしろ楽しく過ごしていると思っていたし、そのころのSNSを振り返っても、あまり愚痴めいたことは言ってなかったんじゃなかろうか。それでも…

居場所を見つけられない所在なさってのは、この図太い私でも相当不安だったんだろうな。日本で築いたものはとても小さいものだったけど、それでも思う以上に自分にとってそれは自分には大切で、自分の選択で手放したつもりでも、結構きつかったんだろうなと今は思う。

だから、袖触れ合う程度の人であっても、言葉がわからない間柄でも、「受け入れてくれる人がいる」と言うことが、凄まじく心に刺さったのだと思う。そのくらい、色々迷ってたんだと思う。


Ngon!でお礼

そんな自分の無自覚な気持ちに気づかせてくれたのが、彼らの驚異的な記憶力。物怖じのなさ。親切心。言葉のわからない外国人が何を頼んでいいかわからない、なんて状況を面倒臭がるどころか、既知のように迎え入れる寛容さよ。

もちろんこっちの心情など彼らに伝わるわけもないので、いきなりこちらから「ありがとう」と言うのもなんか違う。だから店を出て行く時に、精一杯のお礼を込めて、「Ngon(美味しい)!」と言ってから店を出てた。それが彼らに一番喜んでもらえる言葉だと思ったから。

まぁ、よほど美味しそうに食べていたのか、こちらが食べてる途中から側に立ってニコニコ笑って見守られることが多かったけど、数少ない自分にも使えるベトナム語だったので、親指立ててめっちゃ笑顔で「Ngon!」って伝えてたな。ウルウル仕掛けた照れ隠しも兼ねて。


無意識のは無意識だから改善しにくい

自分がわかってあげることができない自分の孤独や不安なんかのマイナスな気持ちは、気づかぬ内に自分を蝕むことがあるよね。上手に発散してあげないと、知らないうちにひどく深手を負うこともある。

わかっているつもりの自分は表面にある、自分の一部でしかなくて、自分の知らない自分もいるというストラクチャだけでも意識ないと、意図せぬ不具合を背追い込んだりもしてしまう。

もしも誰かに、何かに「受け入れられた」と思えることがあの頃一つもなかったら、その後自分はどうなってたかな。なんともならなかったかもしれないし、残念なことになっていたかも。それは誰にもわからないことだけど…

とりあえず、今はとてもご機嫌さんな毎日なので、それに繋がるあの頃のことは、やっぱり自分にはとても大事で、ありがたかったなぁと時々、思い返しては手を合わせたくなる気持ち。

味以外に関して記憶力が極端に弱い私には彼らの真似はとてもできそうに無いけれど、何か別の形で、いろんな立場にある人に、あんな風に両手広げて居られる存在であれたらいいなあ、とも思う。

見習いたいことが多いベトナの人たち。
私がホーチミンを大好きになった、最も大きな理由が彼らです。

2020年5月22日
ちぇり







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