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ちぇりがホーチミンを好きな理由 001 おせっかいな人々

ちぇりがホーチミンを好きな理由 シリーズ化

ちょっとネガティブな記事が続いたので、私がホーチミンを好きな理由をつらつらと書いていこうかと。多分一度じゃ書ききれなくて、小さな出来事が逐一積み重なってのことなので、シリーズ化して書いていこうと思います。

そう、一回では書ききれないのです。あまりにたくさんありすぎて。

これは、私の生活の中に起こった、小さな小さな出来事を綴ったもの。一つ一つは取るに足りないかもしれないけれど、それらが少しずつ積み重なったホーチミンでの毎日が、私にはとても大切で、住み続けて8年になろうか等今も毎日この街が好きになってます。

誰にでも起こることではないかもしれませんが、「そんなこともあるんだ」と知ってもられば、もしかしたら、みなさんにも見つけてもらえるかも知れません。そしてホーチミンっていいなぁ、と思ってもらえることが、みなさんに一つでも多くあってくれると嬉しいなと思います♪


ローカル店の小さな出来事

まだホーチミンライフが目新しい頃。目当ての店があっても、言葉ができないのはもちろんのこと(その頃英語はそんなにまだみんな話してなかった)タクシーにも乗り慣れていない、そもそもGoogleマップの使い方もおぼつかない、お店に行ってもちゃんとオーダーできるかわからないなどなど、食事ひとつ食べに行くにも勇気がとても必要だ、という時期がありました。あったんですよ、私にも(笑)

しかし殆ど場合、それらは大して問題にはならず、行く先々で経験する素敵なことに興奮して帰ってくることが常。毎晩、旦那さんが帰宅するごとに、

「聞いて聞いて!今日ね、こんなことがあったんだよ!」

と、子供のように報告するのが日課のようになっていました。旦那さん、お仕事で疲れて帰ってくるのに更にちぇりのお相手、お疲れ様。。
それがどんな話だったかというと…?

例えば、とあるローカル麺屋さん。残念ながらこちらのお店は無くなってしまったのだけど、気に入ったし割に家の近くだったので、1週間と空けずに2回目の訪問をした時のこと。

店に入ろうとするこちらを見つけたお店の人が「あらぁ、また来てくれたの!!ほらほら、こっちよ!」みたいなことをベトナム語で言いつつ、こちらの背中に手を回し、席まで連れて行ってくれたのでした。

え。覚えてるの???
私、まだ1回しかあなたのとこに来てませんが?

と、聞きたいけどベトナム語ができないので、およ?およよ???と訳の分からぬまに着席。さて今日も前回と同じものを食べようかな?と思った時…

「あなた、こないだあれ食べてたじゃない?でもね、今日はこれがオススメよ。食べてみない?食べる?食べるよね?じゃこれね!!」

と勝手にメニューを決められてしまったのでした(笑)
ってか、問題はそこではないの。待って待って。おばちゃん、私の顔を覚えてただけじゃなく、頼んだメニューまで覚えてたっていうの?!まさか?!

偶然だろうか、他の人と間違えたんだろうかと考えてみるも、確認する術はなく、勧められたものも美味しかったのでハッピーな気持ちでその場を去ったのですが、結局その後もそのお店に行くたびに(決して高い頻度ではなかったけれども)まるで親戚の子供が帰って来でもしたような歓待ぶり。

卓上の調味料の使い方に迷っていれば、「この調味料はこれ、この調味料が美味しいわよ!」と事細かに教えてくれ、一人で食べてるこちらを、仕事しながらチラチラと気にしてくれ、あー喉が乾いたなーとでも思おうものなら(言ってない。顔を上げてメニーを探すとかそんな様子をしかけただけ)、様子を察してか「お茶、飲む?」とグラスを掲げて聞いてくれたり。

母ちゃんか。あんた私の母ちゃんか。
外国人で、明らかに様子がおぼつかなかったのもあると思う。言葉もできないようだし、食べ方も知らん。ヨチヨチ歩く子犬を見るとコケやしないかと気が気で目が離せなくなるような感じで、私のことを見てたのかも。

でも、それがその頃どんなに嬉しかったことか。
外にご飯を食べに行くのに勇気が必要だった頃、「あそこに行けば母ちゃんがいる」と思える場所があることが、どんなに心強かったことか。

あのおばちゃん、元気にしてるかなぁ。


街の中には母ちゃんがいっぱい

ちなみに、そんな扱いをしてくれる人はとても特別…と言えば、そのおばちゃんの株はここでグンと上がる訳ですが、実は母ちゃん並みの親切をしてくれる人は、そのおばちゃんだけではなかったのです。

あちこちに出かけるようになってからも、いろんなお店ですぐに顔を覚えてくれる店員さんは少なくなく(あれはベトナム人の特殊能力なんだろうか?)なんなら名前も覚えてくれるし、2度目3度目で、超常連に対するような笑顔と親しみを惜しみなく向けてもらった経験はゴロゴロある。

別に常連扱いを求めてるわけではないのだが…
誰かが気にかけてくれている、と知れることは単純に嬉しい。ましてやそれが、会話も交わせない外国人に対して向けられたものであるとか、ありがたさ以外の何物でもない。

市場で不用意な財布の持ち方をしていたら「ちょっと危ないわよ、ほら、ちゃんとカバンにしまってチャック閉めて!!」と通りがかりに声をかけてくれるおばちゃん。

道端で足を止めて携帯を確認してると「それ危ない!!盗られちゃうよ!ベトナム危ないんだから!!」と、親切に怒ってくれるベトナムの人(笑)

今よりずっとバイクが多くて(もしくは多いように感じただけかもしれない)長縄に入りきれない子供のように、最初の一歩を踏み出せずにオロオロしていた時は、「あらあら、観光客ね(笑)?ほら行くわよ!」とヒマワリみたいな笑顔でこちらの片腕を取り、腕を組んで道を渡ってくれた人もいたな。渡り終えて「ありがとう!」と言っても「なーんもなーんも」って感じで振り向きもせず、去ってった。

腕を組んで歩くなんて、中学生の頃でもしなかったタイプなので最初はかなり面食らったけど…(笑)

明らかに困ってる人がそこにいて、簡単に自分にできることで手伝ってあげられる、から手伝う。

というシンプルなことを、実に軽やかにやってのける人が多い印象。彼女達はそれを「親切でやった」とか、そもそもそんなことをしたということすら記憶してないんじゃないかと思うくらいに、サラリとやってのけていた。


受け取ったものは、誰かにつなぐ

かっこいいっ。

日本に自分がいるときに、困っていたり、心もとなげな外国の方がいらっしゃったら、是非とも、ホーチミンの母ちゃん達のように声をかけよう。そう、私は彼女達から習いました。

またホーチミンで不慣れな人がいて、自分ができる手助けがあれば、あの頃の母ちゃん達から受けたご恩を、そこで返そう。特に強く決意したわけでもないのですが、そんな心持ちでいたことで。。。

この街に、少し馴染めた気がしたのでした。
助けてもらうことを躊躇しない(まぁ母ちゃん達の親切を拒む術は持たなかったが)。その代わり、誰かに手を差し出すことも躊躇しない。自分を起点にして自発的にできる人もいらっしゃると思いますが、私はホーチミンで、人に渡したいと思うものを先に頂いて、少し、それができるようになった気がしています。

目指せ、お節介母ちゃんっ。


2019年5月15日
ちぇり




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