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大内田わこ『アウシュヴィッツの画家の部屋』(東銀座出版社 2021年)

ホロコーストに関する本を次々に出されているジャーナリスト、大内田わこさんの『アウシュヴィッツの画家の部屋』。

同じ著者のホロコースト本はこれで5冊目となりました。おそらく全作品を読破できていると思います。

ほとんどが小さく薄く字の大きい本なのですが、どの本も、知ることができて良かったと思える内容ばかりです。

『アウシュヴィッツの画家の部屋』は、アウシュヴィッツ強制収容所内に設けられた「美術館」の存在と、そこで生み出された作品、画家たちの経歴などを紹介しています。


多くの人々を殺害し、過酷な状況で強制労働に就かせていたアウシュヴィッツで絵を描かされていた画家たちがいました。

彼らに課されたのは、監督者(ナチの親衛隊)が必要とする図面や模型の制作であったり、医学実験のためのスケッチであったり、私的に命令された肖像画や風景画や細工物の制作であったりしましたが、監視の目を盗んで描かれた絵もあったそうです。

以下、自分のための覚書。

ペーター・エデル ドイツの著名な芸術家ケーテ・コルヴィッツにも師事した。1943年にアウシュヴィッツからザクセンハウゼン、マウトハウゼンと移送。1945年5月、オーストリアのエーベンゼーで解放された。

ブロニスラウ・チェヒ ポーランドの画家であり、スキージャンプのチャンピオンでもあった。1944年6月5日、アウシュヴィッツの診療病棟で死亡。

ジャック・マルキェル 彼が描いたゲザという少年のスケッチを、少年が移送される際に、なにかと彼を気にかけてくれていたポーランド人女性に贈る。その女性はスケッチを大事に保管し、1960年に博物館に寄贈する。後に、その絵がハンガリーの雑誌に掲載され、ゲザは自分の肖像画と再会する機会を得る。絵を描いたマルキェルは1945年、ブーヘンヴァルトで解放された。

ミェチスラフ・コシチェルニアク コルベ神父の希望で、聖母子像を贈る。コルベ神父は脱走者が出たことに対する報復で餓死刑を命じられた収容者の身代わりを申し出て獄死する。コシチェルニアクは、コルベ神父が申し出たそのときに居合わせた。コシチェルニアク自身はいくつもの収容所をたらいまわしにされたが、終戦まで生き延びた。彼の描いた聖家族像が、八ヶ岳のふもとにあるフィリア美術館に所蔵されている。フィリア美術館には、ケーテ・コルヴィッツのピエタ像もあるとのことなので、これはぜひ行きたい。

・ヤン・コムスキ レジスタンスとして活動していたが逮捕されてアウシュヴィッツへ。収容所内でも抵抗組織の一員として活動する。一度、アウシュヴィッツから脱走に成功し、偽名でレジスタンス活動につくが、再び逮捕される。幸い、脱走者であることを見破られなかったため、偽名のまま収容される。1945年4月、ダッハウ強制収容所で解放される。戦後は、アメリカに渡り、ワシントン・ポストのイラストレーターとして働きながら、ホロコースト関連の絵を描き続けた。2002年に没。

※ヤン・コムスキの絵に関しては、チェコのテレジーン・ゲットーに関してたくさんの著書を出されている野村路子氏の本でもよく登場しているが、こちらでは収容所内外でのレジスタンス活動について書かれているところが特徴。

・収容所で極秘裏に描かれた絵は、出入りを許された民間人らによって持ち出された。親衛隊の洗濯物に紛れさせるのが成功率が高かったらしい。

・収容者たちのために食べ物を提供するなど支援したことで捕らえられた女性ヘレナ・プオトニカとその娘ヴァンダのエピソードもあり。


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