小説 働かなきゃいけない日本で勤まる職業はないと思ったひとのためのバイエル


勤労は日本人の義務であるらしい。
不思議だ。
なぜ働かなきゃいけないのだろう。
お金、生き甲斐、さまざま理由はあるけれど働けない人種はいる、と思う。
大きな声では言えないが、僕もその一員だ。すべてが怖い、住んでいる団地の排水溝が老朽化したコンセントが。
仏壇の線香の炎が我が家のごみに引火し、隣家の山田さん宅まで燃やし尽くしてしまうのではないかと怖い。
不安で家から出られない。よって働きに出られないし、内職するには我が家はごちゃつき汚すぎる。
僕の母親は、僕らを置いて二十年前乳がんで他界してしまった。
家事を一切引き受けて完璧主義者だった母は三つ上の姉にも家事をさせなかった、というよりも教えるのが面倒臭かったのではないかと思う。
がんを発症し抗がん剤治療や放射線治療を受けながら、自分の医療費をスーパーマーケットの惣菜部でパートタイマーとして働いて稼ぎ、家のことも全部やってのけていた母のことを周囲の人達は立派だと誉め讃えていたが、僕はそうは思わない。
自分の人生が長くないと悟っていたはずだから、姉や僕に家事を教えておくべきだった。
姉は奇跡的に結婚して年上の旦那さんと生活しているが、専業主婦のわりにはほとんど家事はできていないと思う。
掃除の仕方を娘の文に教え込んだという幸田露伴のような精神性を持った母だったら、姉の生活も変わっていたかもしれない。
姉の旦那さんは、働いていない僕のこと、十年近くひきこもっている僕のことを冷ややかな目で見ていることだろう。
姉に「そんな奴はひきこもってないで働けよ!」と言ったこともあるらしい。
おっしゃるとおりでございます。土下座するほかない。
父親はこんな僕に言う。
「病院に行け。」ここで言う病院は精神科なり、心療内科のクリニックのことだろうが、僕はかたくなにそれを拒む。
僕は人を信用できない、怖い、医者も人だ。
年金はなぜか払っている、父から貰っている生活費の中から。
姉は簡単に「障害年金を貰う気はないの?」と聞いてくる。
今一生懸命働いても給料がたいして払われていない同世代の人たちに申し訳なくて、病気認定されて国民の皆様からお金を貰うのは卑怯じゃないかとも考えてしまう。
僕にも昔友達がいた、みんな家庭をもって立派に家など建てている中、僕は段々取り残されていった。
夢もあったんだっけ。
税理士になろうとして資格の学校にも通ったが、いざ試験の時になると腹が痛くなって問題に集中できなかった。向いていなかったのだと今ならわかる、僕はそれほど頭がよくない。常識も良識も持ち備えていない。
僕は自動車の免許も持っていない。何もない。ITのスキルもない。体力もない。
おまけにアルコールを飲まないと先行きが不安で眠れなくなってしまった。なぜアルコールに逃げてしまったのだろう。アル中を治すのは困難だというのに。
また元気に笑えることがあるのだろうか、この黴と線香の臭いの混じった部屋で。
一昨日洗濯機が壊れた、最近の家電はすぐ壊れる気がする。排水のパイプから水が漏れてしまっている。床板が腐ってしまわないかとまた怖くなる。そういう家回りのことは全て母が対処してきた、僕は何もできないままだ。
なぜ、なぜ、なぜと不安、不安、不安、恐怖、恐怖、恐怖、酒、酒、酒。
僕の飲む酒はでかいペットボトルに入った安い焼酎だ。味なんてどうでもいい、ただ酔えればいい。
ずっと家にいる僕が外に出られるのは夕飯を食べに行く間だけだ。以前は父が仕事終わりにコンビニやスーパーマーケットで夕飯を調達してきた。中飯はプラスチックごみが大量に出るし、虫が湧くのが嫌なので容器を流しですすがなくてはならない。
キッチンが汚れると衛生面が不安で僕は困る。父は無頓着でお構いなしだから、僕が少しでも注意すると二人の関係は悪くなる一方だ。
だから夕飯をそれぞれ外食ですますことにした。貧乏なのに贅沢。コンビニ飯より高くつくけれども僕はもう疲れたのだ。
外食は面倒だ、注文するだけで口が乾く。俯いて挙動不審な中年男、顔がパンパンに浮腫んだ僕。白目が濁っている僕の眼もみて欲しくない。
牛丼屋の店内では作業着姿で労働を終えたばかりと思われるがたいのいい男や細身のスーツに身を包んだ男が箸を動かしている。
僕は日中ほとんど寝ていて動いていないのに、その男たちに負けず腹は減る。
彼らに申し訳なく思い、自分のふがいなさを恥じる気持ちも段々うすれていくことに気がつき、終わっているなと思う。
夕飯を終えたあと、貝塚公園の丘に上る。ここは僕のお気に入りスポットで唯一心が落ち着く場所である。家にいても公園のベンチにいてもマイナス思考の堂々巡りは止まらないのだが。
やぶ蚊に辟易しながら土で汚れた偽物コンバースの右足の靴紐が緩んでいるのを無視した。ベンチに座るのに飽きたらできるだけ時間をかけて家に戻る。これが僕の毎日の習慣だ。

いつものように、晩飯を食べたあと、歩いて公園に向かっていたら丘の上に人影を発見した、先客だろうか。
最初は近所の子供が遊んでいるのかと思った。しかしもう時刻は午後十時を過ぎており、人影は一つだ。
夏とはいえ子供が外に出るには遅い時刻だろうと思うが、そろそろお家に帰りなさいなんて人様に注意のできる立場ではない。
よくよく目をこらしてみると子供のシルエットではない。街灯が暗いからぼんやりとしか見えないけれども、女のようだ。
彼女は、踊っていた。それもむちゃくちゃに踊っている。お世辞にも格好いいとは言えないダンス。
危ない人だろうか…。
いや、僕の方が十分危険人物か、職質が似合うのは僕の方だ。
「おんみょーどー、つちぃぃ!」
その人物は突如叫んだ。
その声は閑静な住宅街にある公園に響き渡った。僕は丘の麓で彼女の動向を見守っていた。
あんまり大きな声をだすと通報されますよと助言したくなったが、黙って立ち尽くしていた。
そのうち僕に気づき、逃げ出すことだろう。この丘は僕のお気に入りだから、彼女が消えたら是が非でも登りたい。
そう考えた矢先、物凄い速さで彼女は僕めがけて丘のてっぺんから駆け降りてきた。
「どうでしたか?」息も切らさないで彼女は問う。
「え?は?何がでしょう?」
僕はここのところほとんど誰かと話していないので、縮こまった舌を動かし何とか答えた。逃げることも考えたが家に帰りたくないし、丘に登りたいしで踏みとどまる。頭もうまく働かない。
「私の動き。」
彼女はがりがりに痩せていて、明るい茶色に染められた極端に短い髪型をしていた。
ファンキーな海外の板前のようにも見える。
半袖の黒いTシャツ、黒いもんぺみたいなズボンをはいていて、白いヘッドホンが首に掛けられている。どすのきいた低い声にきつい目をしている。
ネコ科の動物を思わせるが、若干猫背なのもその要因か。
久々に他人と対面する緊張感。
彼女の質問に無反応でいるのも失礼かと思い言葉を選んだ。
「なんというか、味?味がある踊りだと思いましたが。」
「笑えました?」
「人が一生懸命やっているのを、そういう頑張っている人を見てですね、笑えはしないです。」
「そっすか。」
彼女は頭をかきむしった。その指の動きに力が入りすぎていたので頭皮から血が出るのではないかと僕は心配した。
「じゃっ!これにてごめん。」
彼女は右手を挙げて、僕の横を駆け抜けた。軽く汗の臭いと煙草の香りがしたが、不快ではなかった。
ゆっくりと彼女の消えた方向を振り返ろうと思ったがよした。
今の僕は全力でこの小さな丘を駆け上がることが大切で、他のことはどうでもよかった。
萎えた脚で何度もつまずきながら、両手を使わないで登りきれたら明日から変わる、僕は変わる、そう願掛けしながら丘の頂上にたどり着いた。
滅茶苦茶な彼女の踊り、時々たこのように腕を動かしていたっけ。僕にはダンスの経験もない。さっき見た踊りの再現なんて出来やしない。
それでも、僕は見様見真似で体を動かしていた。ほんの少し踊っただけで体がばらばらにほどけてしまうのではないかと思った。
今日はずいぶん月がくっきりと見える。ここのところ、空なんか見ていなかった。
自分の足元ばかり見ていたなぁ。
この丘は誰かが草刈りをしたようだ。業者かな、草ぼうぼうだったものなぁ。刈られた草の香りがする。
僕が今よりまだ元気だった頃、夕方ここでずっとsyrup16gの曲を聴いていた。焦燥感にも落ちた気持ちにもフィットする音楽だった。
僕は今音楽を聴くパワーすら不足している。ほんの数分のものまねの踊りで何日か後には筋肉痛だろう。
僕はあの板前のような女の子に会ったら、次は何か僕の方から声をかけることができるかなと考えたが、彼女の眼を見ることすら無理だろう。
願掛けの希望はあっという間に消え去り、いつものベンチではなく地べたに座った。家のことになると潔癖すぎるのに、何故に草の上に座るのは平気なのか、我ながら矛盾している。
しばらくの間、草の香りを吸い込んで月齢何歳かの月を見続けていた。
宇宙人よ、僕をここから連れ出してくれないか。
サタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタのあの有名なポーズで待ってみたものの誰も助けに来なかった。

家に帰って、いつもなら険悪なムードになりがちな父と僕は珍しく一緒にテレビのスポーツニュースを見た。僕にぐちぐち文句を言われるのが父は一番嫌なはずで、僕も父に文句を言った後の食わせてもらっている分際でまたやってしまったという後悔が嫌だから、最近では顔を合わせるのを避けていた。でも今夜は板前ガールのおかげでほんの少しだけ柔らかい気持ちでいられた。家族間に会話はなかったが。父は僕の機嫌を伺い、眉間にしわが寄っていないのを見るとほっとしたようだった。
父が風呂に入りに行った。父も老けた、歯も二本抜けたまま治療しようともしない。金銭的な余裕がないのだろう。僕のせいだ、それは確実だ。また不安な気持ちが押し寄せてくる。
明日また貝塚公園の丘で板前ガールのダンスは見られるだろうか。彼女は何の音楽を聴いて踊っているのか。頭の中で彼女が動き続ける。
コ、コンテンポラリーダンス?
違うよなぁ。かっこよくはなかったものなぁ、悪いけど。
彼女は煙草を吸っている少し不良な高校生でダンス部。だが皆と同じにダンスが踊れない。だから必死に練習していた。自分のダンスがどうであったか唯一の観客であった僕に確認した?
僕が励ましの言葉を伝えられなかったから、ショックで帰っていった?
振り付けの中にコマネチがあったような気がするが、それは彼女の再現性がなかったからクールな動きがコミカルに僕の目に映っただけ。
大人としてきちんと励ました方がよかったのだ。練習を続けていればキレとかはあるんだから皆と同じ動きができるようになるよ。
板前ガールよ、君のおかげでいつもの憂鬱を少しの間忘れられたよ。明日も稽古していれば僕は君の踊りを見よう。

それから、同じ時刻に貝塚公園に行ってみることはなかった。
女子高生に気持ちの悪い男と思われるのはまずいと判断したからだ。僕はただでさえ職質の対象となる人間で、ただ彼女の踊りを見たかったと言っても胡散臭いことこの上ない。通報されたらアウトだ。
貝塚公園の小さな丘の居心地の良いベンチのことを思うと残念ではあったが仕方がない。新しく過ごしやすい公園を探すしかないと思う。もう三十五年以上この土地を離れたことのない僕には、これ以上の公園は思い浮かばなかったが、歩いているうちに快適な場所にたどり着くかもしれない。
不思議な彼女に出会ってから酒量が減った。酒に溺れるのをぐっとこらえて、段々飲む量を減らし続けている。もともと美味いと思って安い焼酎を飲んでいたわけではない。
不安が少しぼやけること、眠れるような気がすること、実際は目が冴えてしまうだけだが。
これはいい傾向にある。
それでもストレスを感じてしまうと、やっぱり酒が欲しくなる。
僕が精神科や心療内科に通わないのは、人が信用できない、医者に心が開けないからだと家族には説明しているが実際のところよくわからない。
僕がきちんと労働できていたら。
その後悔に毎日襲われているのだから僕を許してくれよ、世間。
僕はくずだ。
自分のポジションについては十分理解しているつもりだった。そんな後ろ向きの境地で毎日を過ごしている。
社会の福祉資源に頼らないのは僕のプライドが無駄に高いから何だろうか。
例えば不安障害とクリニックに認定される、障害年金を貰うあるいは生活保護を受ける、無理だ。僕はただのでくのぼうであり、父に負担を強いる権利はあっても、社会のお荷物になる権利なんてないと思う。
僕は怖いものと不安でできているのかもしれないです。と、呟きながら夜の道を行く。
明治期のガス灯を模した電灯がみょーんとその影を伸ばす。
早く家に着かなければ警官に職質されてしまうかもな、でも今の僕は暴れてしまいそうだった、体内にかっと熱いものがある。酒も飲んでいないのに。
怒りだ、これは。純粋な原始的な怒り。何に怒りを覚える権利がある?国民の義務さえ果たしていないどうやらスネップという階層に所属している僕。家族以外とつながっていない僕。
誰かと話したいのだ、本当は。
働きたいのだ、不器用の王様みたいなこの僕に勤まる仕事があるのなら。そして一緒に働く人たちときちんとコミュニケーションがとれるなら。
大声で叫びたかったがやめた。
またとぼとぼと夜道を行こうとしたその時だった。
「おい、お兄さん。背中が煤けてるぜ。」
突然ハスキーな声に呼び止められ、僕は心臓が口から出ると思った。板前ガール、君かと一瞬で把握した。
僕はすぐに振り返り、
「君、こんな時間に出歩いているの?危ないよ、女の子が。」
「そんなに肩落として歩いてたら、お兄さんも危ないよ。それに女の子って呼ばれる歳でもないしね、あたし。」
「高校生ぐらいだろ、君。」
「バカじゃないの、あんた。あたしを喜ばせようとしてるの?」
彼女は唇をとがらせて、ズボンのポケットに両手を無造作につっこんだ。
「こちとらアラフォーだよ。ただいま39歳です。」
僕は驚愕して口をあんぐり開けた。
「こないだ、わたしの動きを見てた人っしょ?はい」
かのじょは三角形でお馴染みのいちごミルクのキャンディを僕に手渡した。
「顔、浮腫んでんね。寝起き?」
「いや違います。」
僕より年上だったのか。確かに近くで見るとほうれい線や目尻に小じわが存在してはいるが、みずみずしい印象は変わらない。
「あんた、顔色最悪だよ。土気色どした?」
痛いところをつかれているはずなのに、嫌な気持ちにならない。
「酒、酒飲んじゃうんで、それで」
「あたしも酒焼けでこんな声なんだよ。酒は飲んでも飲まれるなってね。」
「僕は飲みたくないけど辛くて。」
「わかる、わかるよ。あてもなしに飲んでしまうっていうね。はいはい。」
彼女はため息を一つつき、首を左右に軽く振った。
「今日は貝塚には行かないのですか?」
自分より年上だとわかった途端、敬語を使うことを選択した。
「昨日さ、お巡りさんに注意されちゃったからさ、河岸を変えないとやばいんだよ。」
「ダンスしててですか?」
踊っていただけで、警察が注意してくるとはつまらない国だな、ここは。労働が義務だし。
「ダンス?あー、あれ?ダンスじゃないよ。ネタだよネタ。」
「ネタ?」
僕は貰った飴の包装紙を広げながら、彼女の顔をしげしげと見つめた。
「ネタって、あのお笑いとかのネタのことですか?」
「そ。もうすぐタイタンライブのオーディションが控えてるから。何回か受けてるんだけどね、全部落ちてる。」
「はぁ、芸人さんなんですか?個性的ですもんね。」
「どこが?あたしなんてまともすぎて笑っちゃうよ。インパクトに欠けてるよ。一発当てたいんだけどな、無理かな。」
テレビで見る芸人さんたちは確かに個性的で、見た目がシンプルな人は奇異な発言なんかで一般人とは違うと主張しているように思える。目の前の板前ガールは普通といえば普通なのかもしれない。短い茶髪がポイントになるぐらいで。
「あんたさ、あたしの手伝いしてくんない?時給100円で。バイトとかしてんの?普段」
「いえ、無職です。お恥ずかしいかぎりですが。」
「恥ずかしくはないっしょ。あたしも無職みたいなもんだよ。芸人の仕事でお金貰ったことないしさ。親のすねかじってんの。かじるすねのあるうちはかじっておこうと思ってる。」
「手伝いって何するんですか?」
「音響係。ネタの後ろでこの曲かけたいんだよね。」
白いヘッドホンを渡されて、彼女はプレイヤーを操作する。流れてきたのは女王蜂の「デスコ」だった。一通り聴き僕がヘッドホンを外すと、
「これに合わせて往年のギャグをつなげて披露していきたいのよ。」
「著作権とかひっかかりませんか?こういうのって厳しいのではないですか?」
「引っかかったらその時はその時だよ。どうしてもこの曲がいいのよ。」
あ、そうだ名乗ってなかったねとズボンのポケットをがさがさ漁って銀色のカードケースを取り出すと、1枚の名刺を僕によこした。そこにはパフォーマー・ゾンビ先輩と書かれていた。
「時給100円だと千葉県の最低賃金を大幅に下回っちゃうけど、まぁ仕事ってさ金が全てじゃないっしょ。無職じゃなくなるっておもえばいいんじゃないの?」
「それはいいんですが、僕外に出られないんです。」
「今出てるじゃん。」
「この時間は父が帰宅して、留守番しているからで。普段うちの家は古すぎて火事を起こすんじゃないか不安で家にいないと堪らない気持ちになるんです。」
「不安神経症?」
「病院に行ってないのでわかりません。何らかの病名がつくのは困るので。」
「ふーん、薬飲めば楽になるけど根本的な解決にはならないもんね。じゃあまた貝塚公園でネタ見せやるからさ、お父さんが帰ってきてから見に来れば?客がいるほうがこっちもやる気になるし。」
「ここで大きな音でデスコかけて踊れたら楽しいでしょうね。」
「見てごらん、あそこの家。公文式の教室やってるみたいなんだよ。即刻通報もんだよ。子供たちは喜びそうだけど。」
「面白いとか面白くないとかわからないですけど、あなたの動きを見ていると愉快です。憂鬱が少しぶっ飛ぶっていうか。」
ゾンビ先輩はまんざらでもなさそうだった。
「ライブのオーディションはね、新阿佐ヶ谷でやるの。芸人だって色々いるんだよ、サラリーマンみたいな奴もいるけど、あたしのネタより面白いんだろうね。」
「オーディション受かるといいですね。」
「あんた好きな芸人いる?」
「サンドウィッチマンとか爆笑問題とかですかね。」
「タイタンライブって爆笑問題の事務所が開催してるんだよ、音響としてネタ見せについてくればいいのに。お笑い事務所に出入りするなんてなかなかできないよ、いい経験にならないかな?」
「ネタ見せって昼間ですか?家から離れられません、やっぱり怖いんで。いくら爆笑問題に会えるからといってもどうしても無理です。」
「残念ながら爆笑問題には会えないよ。作家とかマネージャーがネタを見るんだから。」
からからとゾンビ先輩は笑った。
僕は自分の勇気のなさを情けなく思ったが無理なものは無理だ。でもゾンビ先輩と話せたことは嬉しかった。
「この前おんみょーどーつちって叫んでましたけどあれどういう意味ですか?」
「あたし兼業陰陽師なんだよ。式神は使えないんだけど。あんた、仕事なくてへこんでるのなら魔法使いだとか小説家だとか名乗れば?名刺まで作れとは言わないけどさ。」
労働は義務。
家事も労働。
家事をもっとしっかりやって専業主夫を目指してみるか。
「家にいたいなら家の中でやれることをしなよ。音楽かけて家で踊ってる分には変人認定されないよ。あたしは外でネタやってるからあれだけど。」
ちょっと寂しそうな顔をしてゾンビ先輩は呟く。
「あなたは至極まっとうですよ。芸人として一生懸命なだけでしょう。外で自由に体を動かせるなんて格好いいです。先駆者は白い目で見られるものでしょう。」
銀歯を見せながら大きな声でゾンビ先輩は言った。
「あんがと。お礼にネタします。」

ガチョーンガチョーン谷啓つったらトロンボーンおいーっすおいーっすアイーンからのカトちゃんペッダンカン枝豆タカこのやろうコマネチコマネチそうこの角度爆笑問題爆笑問題太田がぼけても田中はスルー命命命命うーんピース!

関節をかくかく動かしながらゾンビ先輩は踊る。この舞は笑うものではない、現代の白拍子。
僕は黙って軽々動くゾンビ先輩を観ていた。



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