映画「砂の女」勅使河原宏 感想


「奴隷的な人間であるにしても、奴隷にも奴隷の自由があるのである。自由とは、たしかに奴隷でない人間だけの特権ではないらしいのだ。」
椎名麟三 ビール瓶

監督 勅使河原宏
主演 岡田英次 岸田今日子
原作 安部公房
1964年 日本作品

 白状すると、初めて原作を読んだときに、砂の女との情交の場面で性的興奮を覚えたことを告白しなければなりません。口のなかでざらつく砂の感触、乾いた砂のなかでの砂の女との性交。逃れられないその砂の環境下において、岸田今日子の演じる砂の女のエロチシズムが、平常の性的抑圧をいとも簡単にゆるませる。湿った砂の体にまとわりついて、私はそうした状況下の性交に、いい知れない興奮を覚えました。べたつく砂、ざらつく砂の接吻。とらわれた男の砂の女に対する殺意からの情欲が、彼女の肉体に砂のようにべっとりとまとわりつくのを感じました。
 結末をいうと、男は砂の中から逃げ出すことができます。しかし、彼はそこから逃げ出しません。なぜなら彼は、その砂にこれまでにないほどの自由を見いだしたからです。その自由とはなにか。それは砂という流動的な単純さのなかに不動の自由を見たからです。砂が流れてその中心に集めようとしているもの。しかし、人間がそれをほんとうに見いだすことができるでしょうか。

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