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宗教アイデンティティとカタルチーズ

いつも行くチーズ屋さんに気になっているチーズがある。薄い円形のチーズで表面が灰色の何かに覆われており、白抜きで十字が描かれている。ベルギーやフランスでは修道院で活動の資金元にするためにチーズやパン作っていると聞いたことがあったので、修道院から仕入れたチーズなのかと想像していた。

お店のイケメン兄ちゃんに聞いてみると、カタルチーズ(Le Cathare)、南フランスのラングドック・ルシヨン地域の伝統的な山羊ミルクのチーズであること、表面の色はカビではなく炭の粉であることがわかった。さらにその上に薄く白いカビが生えて灰色になっているらしい。ひとつ10.60ユーロ…ベルギーで買うチーズにしては値段が張る。山羊チーズは独特の風味があるし、一度にたくさん食べるものでもないからルームメイトと二人で食べるにしても多すぎるか…とも思ったが、家にちょうど洋梨があったのを思い出し、どうしても一緒に食べたくなったので買ってしまった。

せっかく贅沢なチーズを食べるのならと、店員さんお勧めのワインも購入し、帰りにパン屋で胡桃パンも買った。修論の研究フレームワークの成績も悪くなかったし、自分へのご褒美だ。

先ほど買ったチーズの包みを開けて、フライパンで表面を焼いた胡桃パンに塗る。その上にスライスした洋梨、煎った胡桃、蜂蜜、そして胡椒をかけて齧り付いた。めちゃくちゃ美味しい。山羊ミルクのコクのある香りが鼻から抜ける…が、想像していたよりまろかやで諄くない。熟成が浅いためか、毒々しい見た目とは反面、優しい味だった。

しかしなぜチーズに十字が描かれているのだろう。調べてみると、オクシタニア十字と呼ばれるそのシンボルは、オキシタニア、フランス革命前のラングドック・ルシヨン地域の紋章であった。現在でもオクシタニアのコミュニティは南フランスに存在し、国としては機能しておらず言語も消滅しつつあるのものの強い南フランスのアイデンティティを持っているらしい。

そしてチーズの名前となっているカタル(Cathare)とは、11~12世紀に南ヨーロッパに広ったキリスト教のカタリ派から来ている。カタリ派の特徴は極端な禁欲主義とマニ教的二元論である。

ところで先日、私はオランダ人の友人と宗教とは何かというトピックについて話していた。彼女の家族は敬虔なプロテスタントで、彼女自身もほぼ毎週教会に行っている。大学近くの教会はあまり彼女に合わなかったそうで隣町まで通っているらしい。同じ宗教、宗派でも教会の雰囲気、システム、細かな解釈が違っていたり、同じ教会の中でも人によって解釈や信仰深さが違う。信仰と宗教は別物である。では、宗教がある意味は何なのだろう。ヨーロッパ・中東アフリカ関係の授業で教授は、宗派の確立や宗教・宗派間の対立は殆どの場合、政治が根元にあると何度も言っていた。結局宗教とは、個人が持っている信仰を権力者が従えやすいように束ねただけなのではないか。束ねる力が強くなるほど、宗教アイデンティティが強くなり、他の宗教・宗派との溝が深まり、弾圧や争いが起こりやすくなるのではないか。(信仰心が強いことと宗教アイデンティティが強いことは別だと思う。)

そんな会話を思い出しながら、カタルチーズに合うとお勧めされたワインを開けた。カタリ派は、ローマカソリックからの異端宣告、3回にわたる討伐十字軍からの弾圧、ドミニコ会の改宗運動を経て、15世紀初めに完全消滅した。しかしカタルの名はチーズとなって今でも残っている。







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