私の思う仮説検証と冒険心の関係性

おはこんばんちは🧀。本記事では、冒険心の豊かな人は、仮説と検証のセットを普段から人より行うことが多いのではないか、という持論を展開します。完全にエッセイです。

私のここで言う冒険心とは、慣れ親しんだものより新しいものを好むという資質で、例えば、メニューから毎回違うものを注文してみよう!とか、新しい土地を散策してみよう!と言ったようなレベルの話です。

安全地帯は楽

私は偏食なので放っておかれたらネギトロか納豆しか食べなくなります。なので自然と料理にも興味はないです。サイゼリヤに行ったらたらこソースシシリー風しか頼みたくないですし、同じドラマを何回も見ます。ウォーキングも同じ道ばっかり通ってます。あと、音楽も同じものばかり聴いてます。(モテなそう)

よって私は、自分に冒険心が足りないと思っています。絶対にイイとわかっている物に手を出したほうが、考えることが減って楽だから、と言うのが1番の理由だと思います。なので、外からの刺激がゼロな状態だとコンフォートゾーンで過ごしています。🥱

しかし近年、なんだかとても脳に悪そうだなと思ったのと(記憶力、創造性の面など)、色々な経験をしている友達の話って大体オモロくて羨ましいなと思ったのがきっかけで、なるべく新しい土地に足を踏み入れてみたり、積極的に遊び慣れていない友人を遊びに誘ってみたり、聴いたことのない音楽も飛ばさなかったり、ちゃんと鬼滅の刃も見たりしてみました(限定的)

結果は、ちょっと頑張って計画した新しいことを達成すると、達成感が生まれて、心が満たされ、人生がもっと楽しくなる!と思うことができました!矢先にコロナ

仮説と検証との関係

さて、冒険心と仮説検証の関係のお話ですが、いつも同じパターンで行動すると言うことは、「これはこうなるのではないか」と言う疑問や予想を持たず、「これはこうなる」と言う決まり切った結果を知っている行動を繰り返して生きていると言うことです。

現在のインターン先へ入社して初日に、「仮説思考が苦手なんやね」と教えていただいたことは鮮明に覚えています。最近まで仮説思考はビジネスシーンでしか使われない道具だと思っていたのですが、日々自分を被験体として実験を行い、人生を豊かにしたり、賢くなれるツールでもあると、気がついたと思います。

結果を予想して行動に落とし込み、新しい発見を得る。結果がわかる行動ばかり繰り返していたら、刺激が足らないな〜と、思うようになりました。

今の自宅待機結構キツイですし、田舎に住んでいるものの免許を持っていなくバス/タクシーが足ですが、これから、工夫を凝らして冒険心を養いたいと思います〜〜〜🐭🧀

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