Cheer Up!にたどり着くまで。その2

今思うと、1997年は自分にとって本当にエポックメイキングな年だったと思うんですよね。
インターネットとの出会い、チャット仲間との出会いにより幅広いジャンルの音楽を聴くようになり、様々なカルチャーに興味を持つようになったのは本当に大きかった。

反面、地方に住むハンデも感じていて、チャット仲間がオフ会している様子をうらやましく感じて落ち込んだりもしていました。
あのまま横浜で働いていればみんなと会ったり、いろんなライブに行ったりできるのになぁ…って。
もっとも、あのまま働いていたらもっと体調崩していただろうし、ライブどころじゃないほど忙しく過ごしていたのだろうけど。

そんな時に「バァフアウト」で沖野修也さんのコラムを読み、"地方に住んでいても面白いことはできる。自分の周りを面白くしていけばいい。"という内容に感激。
読者ハガキに熱い思いを書いて送ったら読者コーナーに記事が載って、自分の文章が掲載されることの嬉しさも味わいました。
後にCheer Up!で沖野さんにメールインタビューさせて頂いた時にそのことをお伝えしたら、今でも同じ考えだよ、と返信をいただきました。

1997年。本当に音楽漬けでした。
この年リリースされた作品で特に印象的で、今でもよく聴くのはコーネリアスの『FANTASMA』、ホフディランの『WASHINGTON,C.D.』、カジヒデキさん『ミニスカート』です。
これらのアルバムを聴いていると、あの頃自分の中で生まれた熱、正社員を辞めて故郷に戻って何か新しいことをやれたらいいな!という気持ちを、つい昨日のことのように思い出せます。


1997年の秋には弟と結託して家にインターネットを引きました。
ダイヤルアップ回線です。遅かったです。でも嬉しかった。チャット仲間と夜中まで延々と語り合ったり、HTMLタグの本を買ってきてホームページを作ったり、学生時代に憧れていたミュージシャンが自ら作るサイトのチャットルームに本人登場、会話できて感激したり、いろんなことがありました。

そして確か11月、憧れのオフ会に参加する機会がめぐってきました。
東京に住む友達の結婚式に招待されて、久しぶりに上京できたのです。
結婚式の翌日、いつもハンドルネームで呼び合っていたチャット仲間数人と待ち合わせて、仲間の一人の通う大学の学園祭に行きました。
その男子はシンセを弾き、ギターの友人と2人で1曲40分ぐらいのインプロビゼーションを演奏していました。
コーネリアスの主宰していたレーベル「トラットリア」のコンピの影響で、ボアダムスやOOIOOにも触れるようになっていたものの、インプロにはびっくりしましたね。
友達と口に出さずに「いつ終わるんだろうね?」と顔を見合わせたりして。
もう交流はないけど、その男性は現在も電子音楽方面で活躍されているようです。

そして夜は15人ぐらい集まってオフ会。その後大半のメンバーはインプロの彼のアパートになだれ込み、そのままオールナイトレコード鑑賞会。
みんなが持ち寄った音源のコアさと言ったら。とにかくカルチャーショックでした。
いったいどんな音楽をあの夜は聴いたんだろう?
1枚だけ覚えているのは、Fantastic Plastic Machineの1stアルバム『The Fantastic Plastic Machine』です。音楽もジャケットの女の子の可愛さもすごく気に入って、あとで自分でも買いました。
調べてみると1997年10月10日リリース。ちょうどリリースされたばかりだったんですね。


チャット仲間とは3年ぐらい交流が続き、そのうち数名とは今でもFacebookやLINEや年賀状などでゆるく繋がっています。たまに上京するときに会ったりもしています。

さて、チャット仲間がフリーペーパーを作り始めたのも確かこの頃です。
雑誌「米国音楽」で、ファンジン、ミニコミのことを知り気になってはいましたが、身近な友達がフリーペーパーを作り出したことに驚きました。
一人はシトラスにインタビューして、もう一人はカジヒデキさんにインタビューしていたのですから、「すごいっ!!いいなあ、楽しそうだなあ」って何度も読み返しました。友達は「カジヒデキさんにインタビューするけど質問ある?」ってメールくれて、私の質問にカジくんが答えてくれたわけですよ。それを何度も眺めて「わ~、嬉しいなあ!」ってドキドキしていました。

自分だけの雑誌。いいなあ!って、この頃から自分でも作ってみたいという気持ちが少しずつ芽生え始めました。


この記事が参加している募集

サポート頂いた場合は、Cheer Up!の運営費に充てさせて頂きます。