Cheer Up!にたどり着くまで。その1

張り切って始めたnoteなのに、数えるほどしか書いてないなあと思い、なるべくまめに投稿してみよう!と思い立ちました。

ここ最近、仕事のやり方とか今後の方針で迷いが生じてて。
Cheer Up!はおかげ様で順調。
いろいろな方からお声がけいただき、記事を作れています。
が、ライターとしてはどうなのかな。ライターって名乗ってはいるけれど、まだまだ実力が伴っていないことは分かってる。
会社勤めとライターの2本立てで頑張っていこうと思っていたけれど、いろいろと煮詰まっているし、どうすればいいんだろうな~って迷いながら毎日過ごしてます。

そもそもなぜCheer Up!作り始めたんだろうね?ってことを、改めてまとめてみたくなりました。
前提条件として簡単な私の音楽歴を。
・小学生からかなり長くエレクトーンを習っていた
・学生時代はずっと吹奏楽部(パーカッション)
・大学は音大に近い環境で音楽専攻するも、クラシックの素養がそんなにないため落ちこぼれ状態
・学生時代よく聴いていたのはカシオペア。FUSIONにかなりハマってました。
バンドブームの頃は、TMネットワーク、The東南西北、ユニコーン、米米CLUB、そしてフリッパーズギターには衝撃を受けましたね。「カメラトーク」で、歌の雰囲気、サウンド、すべてに感激して、自分の求める音楽が詰まっている!と思いました。

さてさて、時間は跳んで1997年のこと。
憧れの横浜でシステム開発の仕事をしていた私は、激務で体調崩して、仙台に帰ってきました。でも、なかなか体調が戻らずすぐには定職につけず。
青葉通りにあったインターネットカフェに通っていました。

ネットカフェといっても、現在のものとは大きく異なり、明るい陽射しが入ってくるオープンスペースにパラパラッとネットに繋がったパソコンが置いてあるんです。
自販機で、入院した時のTVカードみたいな時間制のカードを買って、その時間だけネットを使える仕組み。
その建物では、ラジオの生放送もやっていて、いろんなゲストを見かけました。
ル・クプル、酒井ミキオさん、ホフディランなどなど。

まだインターネットの黎明期、現在ほど面白いサービスが出そろってるわけでもないのに、なぜ私は長時間ネットをしてたのか?
チャットにハマっていたのです。
とってもおしゃれなコーネリアスのWEBを眺めていたら、チャットルームを見つけて、恐る恐る入ってみると、女子短大生や大学生の男子、社会人、いろんな人がコアな音楽の話から身の回りの話までまったり語り合っているのです。

みんなの知識はそれはそれは凄かった。
私はといえば、横浜にいる間はコーネリアスと小沢健二さんのソロデビューを知りCDを買って聴いてはいたものの、激務でライブに行く暇もなく。
いや、忙しい中でエレクトーンを憧れのプロの演奏家に習い、仙台では年に数回しかないエレクトーン関連のコンサートに毎月のように通っていたので、他のライブに行く時間はなかったというほうが正しい。

チャット仲間から出てくるアーティストは、コーネリアス周辺のトラットリアレーベルのアーティストはもちろん、フレンチ、ロック、オルタナティブ、とにかくメモしても聴ききれないほどの多彩さでした。
みんなの話についていけるようになりたいなあ。
仲間は、おすすめ曲のカセットを送ってくれたりもしたけれど、その時は異常なまでに吸収したい気持ちが高まって。

まずは雑誌のバックナンバー集めから始めました。
当時、新星堂の本コーナーとか、中古CDショップなど、音楽雑誌のバックナンバーは入手しやすい状況でした。
「モア・ベター」「米国音楽」「バァフアウト」「マーキー」「音楽と人」など、相当集めて隅から隅まで読んでいたように思います。
みんながジャンルを超えて様々な音楽を聴いている状況が少しずつ理解できるようになってきました。

つづく

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