はりつめた毎日の中で。
「どうしてアロマテラピーをはじめたの?」
よく聞かれる質問です。
なんとなく好きで。おしゃれそうだったし。ふと広告が目について。
いろいろ答えはあって、どれもほんとでそのたびごとにいろいろ答えているのですが。
本当にこころからアロマテラピーを欲したあのときのことを今日は書こうと思います。
「母の看病・介護の経験から、介護をしている人にアロマテラピーを伝えたい。」
と思っていることはあちこちでしゃべっているのですが、なぜそう思ったのか、ということですよね。
7年近く前のこと。
常に緊張がつづく毎日。
母親を送るにはまだ若い方だったわたしにとっては、同じ立場の友人もおらず、相談もできず、かといってあきらめることもできず、今思えばぎりぎりの精神状態でした。
大きな病院のICU。
隣の部屋の患者さんたちも生死を彷徨い。
いれかわりたちかわり医療・看護・介護のスタッフさんが出入りし。
ほんの少しの呼吸の乱れ、からだの向きにも心臓をおどらせ。
血圧が下がれば鳴り響くアラーム。
なんとか生きていてほしい。
それだけを願い。
もう一度目をあけてほしい。
それだけを祈り。
「できないことは何もない」
そう育てられたわたしは、余命を告げられようとも信じることすらせず。
ただひたすら、お医者様にできなくても自分にできることを考えていました。
呼吸を取り戻すにはこの精油かな、むくみにはこの精油だな。
そんな「目的」をあの生活の中に持っていなかったら、数日で何キロも痩せ眠ることも食べることもできず心も疲れ果てていたあのとき、立っていることはできなかったと思います。
そう、何かに打ち込んでいないと。
自分自身のバランスをとれなかった。
病院という場所だったからこそ、五感の中でももっとも原始的で直感につながる「香り」を必要としたのかもしれないとも、今思います。
毎日病院に泊まり込んでいて、朝が来るのが本当に待ち遠しかった。
だんだん明るくなって、日勤の看護師さんが出勤してきて動き出す空気に、どれだけ毎日ほっとしたことか。
あの時よく使っていたティートリーやユーカリの香りをかぐと、そんな朝のことを思い出します。
外はにぎやかになってきているけど、静かな静かな病室の朝のこと。
はりつめた毎日に中のふとしたおだやかな瞬間。
香りがそばにあったんだな。
今日はそんなことをふと思い出して。
アロマテラピーはわたしにとって目的を持つための「手段」であり、目的をなしとげるために使っていたはずが、わたしの心までが癒された、そんな「宝」のようなもの。
芳香療法。
母のためでもあり、私のためでもあった、アロマテラピー。
今でも香りがこの記憶を運んできてくれて。
はりつめた毎日でバランスを崩しやすいひとたちに。
伝えていけたらなとあらためて。
ポジティブアロマ・チアーズ!
松本真規子
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