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#9 社会的処方とアート活動 -イギリス北東部でのフィールドワークを通して- ゲスト:中野詩さん

イギリスでは、医師が治療の一環として患者に処方する「社会的処方」の一つとして、アート活動への参加があります。第9回チア!ゼミのゲストは、医療施設や美術館で学芸員として活動されたご経験をもつ中野詩さん。これまで中野さんが携わってきた実践と、そこでの経験を踏まえて調査をおこなったイギリス北東部におけるヘルスケアとアート活動についてお話しいただきました。

チア!ゼミとは?
 チア!ゼミは、医療福祉従事者、クリエーター、地域の人々、患者さんやその家族、学生など様々な背景を持つ人たちが集まり、参加者同士の対話によって、医療や福祉におけるアート・デザインの考えを深めるプラットフォームです。実践者や当事者の方に話題提供していただいた後、参加者同士で対話しながら、異なる視点や考えを共有します。多職種の方が集まって話し合うことで生まれた発想や新しい視点を、参加者のみなさんがそれぞれのフィールドに持ち帰ることで、医療や福祉環境を変えていく社会的なアクションへ繋がることを期待しています。


日本における Arts&Healthの取り組み

実家の医院での実践

 「美術待合室」は、実家の医院で始めた活動です。若い美術家の友人から作品の展示場所の確保の大変さと、発表しても知り合いしか来ないという悩みを聞いて、医院での展示を提案しました。2001年に患者さんの反応を見ながら幾度か実験し、2004年3月から正式にスタートさせました。
 基本的な活動は、待合室と診察室での作品展示です。それに伴い、DMや会場周りの掲示物・会場マップの準備、待合室の一角に作る作家の紹介コーナーには、患者さんが感想を書くノート兼芳名帳、作家や作品の資料、作品を売りたい場合はプライス表、他の場所で展示中の場合はその案内を置きます。作家は手持ちの作品を持ち込むだけではなく、医院の空間や方針からインスピレーションを得て新作を作ることもありました。診察時間帯は患者さん以外の人が展示を見に来るだけの訪問もOKとし、展示期間中の休診日には、作家が待合室に在室して知人友人を迎える「開室日」を設けました。

 私は、医療者と「美術待合室」の活動をよい形で繋ぐことにも興味があります。例えば、手書き文字の美しい父/医師と作家との協働で、作品を見てタイトルを発想し手書きのキャプションを作ったり、普段、患者さん個々の食事指導に織り込んでいた、中医薬膳栄養師の母の知恵を、「薬膳ワークショップ」という形で表にあらわす試みをしました。また展示候補の作家・作品については事前に両親に相談し、意向を尊重し、展示が決まった作家・作品については展覧会に足を運ぶなどして学んでもらい、作家にも必ず引き合わせます。患者さんと作品が出会う最前線にいる彼らが、作品について会話ができるように準備します。


病院や高齢者施設での実践

 美術待合室と並行して、秋田にある高齢者施設と病院を経営する医療法人のArts for Healthcare 室でビジュアルアート部門の学芸員※1 として働いていました。
 Arts for Healthcare 室では、病院が所蔵する作品の調書を作成し、所蔵作品による企画展を高齢者施設や病院で行い、チラシを作成して広報活動を行い、外から見に来る方のために展覧会場のマップも作りました。作品やアート活動を媒介に、患者さんや入居者さんの生活の質の向上と、医療福祉施設を広く地域社会に開くことを目指しました。
 ホスピス病棟の開設5周年記念として、亡くなられた患者さんが制作した作品と患者さんの人となりを紹介する遺作展を、県立美術館のギャラリーで開きました。油絵・書・木彫などのほか、病院所蔵の現代美術家宮島達男とホスピス患者による《時の浮遊 ホスピス・プロジェクト》(2000年)を展示しました。これは数字の大きさや数・背景の色・カウントの速度などを患者さんが職員のサポートのもと自由に設定できるコンピューターグラフィックスを使った作品です。展覧会開催のために協働したホスピスの医師によれば、患者さんが亡くなった後はご遺族のケアが最重要課題で、ご遺族の協力を得て開催した展覧会はその課題を乗り越える一助となりました。 
 そのほか、グループホームで地元のデザイン系の学生を含む若手クリエイターチームによる展覧会を実施し、トークイベントや、認知症の入居者さんも一緒に準備した郷土料理のランチパーティーを開きました。大学院在籍中、美術館や福祉施設で作家とアートプロジェクトを運営した経験を活かし、若者が主体的に活動に取り組める環境づくりをしました。表現者・医療施設職員・入居者とそのご家族・大学教員・地域の方々の間をつなぎ、グループホームを地域にひらいていくような仕事でした。

水戸芸術館現代美術センターでの実践

 その後、茨城県にある水戸芸術館現代美術センター(以下、水戸芸)と近隣2カ所の高齢者施設で、シニア対象企画を3年間、毎年作家1名を招いて行いました。参加者は60歳~93歳、高齢者施設では認知症や身体障害のある方も参加されました。展覧会や教育プログラム、アートプロジェクトを通して、地域の方々と密接な関係を育んできた文化施設が、この加速化する超高齢化社会の中で美術を媒介にどのような場として存在し、機能していくのか、その可能性を探る試みでした。
 参加者はワークショップで作家の制作話を聴き、作品をつくり、各会場の作品をお預かりして水戸芸に展示し、作家の作品展示も別途、行いました。後日、水戸芸で開催した作品鑑賞茶話会で3つの会場の参加者と作家とが一堂に会し、互いの作品を鑑賞し、さらにメインギャラリーで現代美術の企画展の対話型鑑賞をグループで行うという、水戸芸をフルに楽しむ企画にしました。


イギリス北東部でのフィールドワーク

 これまでの仕事や活動は芸術療法ではないのに、患者さんや参加者にポジティブな反応や影響が見られました。私はそれがとても不思議でもっと深く理解したいと思い、イギリス北東部のサンダーランドとダラムで、2つの Arts and Hearth※2 のプロジェクトを調査しました。
この地域はイングランド国内で自殺率が最も高く、男性の健康的平均寿命も52歳~63歳、ちなみにロンドンは72歳以上ですから、とても低いことが分かります。失業率も子どもの貧困率も非常に高い地域です。

RTProjects

 1つ目の調査先は、ダラムにある RTProjects というアーティストが中心に運営しているアートスタジオです。主にメンタルヘルスに難しさを抱えた人を対象にアート活動の場を提供しています。活動グループは5つあって、私はさまざまな種類の精神疾病のある方の”General” と、社会的孤立を感じる男性の”Men’s Shed”を調査しました。
 参加者は、医療機関等からの紹介で来ますが、ここで再度、自分の状態を自己申告します。そのため、オーガナイザーは、医療機関での診断と参加者からの自己申告、両方の情報を把握しています。活動は1回で約2時間半、午前午後、または午後のみのセッションがあります。常にボランティアが見守っていて、治るまでではなく、気が済むまで通い続けて良いことになってます。どんな手法でどんなものを作りたいかをオーガナイザーと相談し、自分のペースで制作に取り組みます。気が向かない日は何も作らないで、ただお茶を飲んでおしゃべりするだけでもオーケー。水彩画、アクリル画、シルクペインティング、版画、木工など、表現手段も自由です。ピアノ、ギター、打楽器など楽器を演奏することを目標にする人もいます。その他、認知症の方とその介護者を対象とした”Living Memories”や、誰でも参加できるイベントも実施して、メンタルヘルスに特に問題のない地域の人たちも遊びに来られる場所になっています。コロナ禍では、新たに立ち上げたウェブサイトRTMinds でオンライン企画を行ったり、近所の公園に出かけて屋外で造形活動を実施しているそうです。

スタッフとともに資料を見ながら、作りたい作品と用いる手法を検討する

Creative Age

 2つ目の調査先は、サンダーランドにある National Glass Centre で行っていた Creative Age という企画です。この企画は、認知症の方とその介護者を対象に、3つの組織の連携で行われています。まず、高齢者の社会的孤立を防ぐために参加型のアートプロジェクトを提供する非営利団体 Equal Arts 。Equal Arts は、企画の枠組みと予算を文化施設に提供して、施設の特徴を生かした Creative Age を企画運営できるように指導します。2つ目は文化施設の National Glass Centre 。学芸員は施設の特徴を生かした企画を考え、会場や材料、道具の準備、スタッフィングなど、現場の運営を担当します。3つ目の Alzheimer’s Society, Sunderland は、主に広報や希望者の募集、運営スタッフを対象に認知症のレクチャーを行います。

 NGCでの企画は、(1) 作品を通した参加者の関係づくりと基本的な技術の習得、(2) 館内の展覧会の準備と開催、作品販売のための準備と開催、(3) 梱包・発送作業、(4) 身につけた技術を用いた自由な作品制作 の4段階に分かれていました。学芸員は作家やスタッフとともにこの一連の活動ができる環境づくりと運営を行います。作品販売の収益はすべて企画の予算に還元され、当初1年半の活動の予定が、2年2ヶ月に延長されました。またコロナ禍ではアートキットを郵送したりオンラインで活動を実施していたようです。

制作した作品のレイアウトをミュージアムショップでスタッフと相談する


臨床プロセスに介入したMAMS Project

 2019-2020年には医療機関でCreative Age が行われ、その資金は文化系に加え医療系ファンドからも出ました。英国の国民保健サービスであるNHS (National Healthcare Service) から、二次医療 (主にNHSが経営する病院・民間病院・コミュニティーサービス・推進保健サービス) にあてがう予算を管理するCCGs (Clinical Commissioning Groups) という家庭医を中心とした地域の組織や、医療の専門職の分断を無くしてサービスの質を上げるICSS (Integrated Care System) という組織から資金を得ています。主に医療系の予算で実施されたプロジェクトとして、MAMS (Memory Assesment Management Service) Project があります。MAMS Project は認知症の疑いがある方をさまざまな角度から診断して必要なケアを計画するサービスで、家庭医や医療の専門家から紹介される機関です。メンタルクリニックで認知症の方とその介護者のための Creative Age のワークショップを実施した際は、医師、看護師、作業療法士など、多職種にわたる病院職員が参加しました。そしてNHS経営の病院で参加者が制作した作品の展覧会が開催されました。
 それまでの Creative Age と MAMS Project との違いは、臨床のプロセスに介入した点です。ポジティブな成果として、臨床現場における認知症の患者さんと介護者に対する post-diagnosed support (診断後のサポート) の増加、現場職員のウェルビーイングの向上、職員間の関係性の強化、職員の自己啓発の機会の創出などが挙げられました。2020年の MAMS Project は、全国のケアアワードのクリエイティブ部門にもノミネートされたそうです。


「患者さんの生きられた経験」に伴走するアート

 ここで紹介したプロジェクトの一部の参加者は、NHSが提供する「社会的処方」という仕組みを使って参加しています。この仕組みは、まず精神疾患・慢性疾患・要介護などで社会的孤立の状態に陥った患者が、一次医療機関で家庭医や保健医療専門医から全人的診断を受けます。患者は診断結果とともに、訓練を受けた非医療者であるリンクワーカーに紹介されます。医療専門職からの情報をもとに全人的かつ対象者中心のアプローチにより患者のニーズを把握し、個別のケアプランを作成して地域のサービス組織を紹介します。このサービス組織が、私が調べた RTProjects や National Glass Centre です。このような流れで社会的処方が行われます。また、RTProjects が YouTube で公開した音楽を聞いて、患者さんが直接、サービス組織に来ることもあるので、Arts and Health Project にはさまざまな参加の方法があるといえます。

 近年、社会的処方のシーンが広がった理由はいくつか考えられます。「健康」は遺伝子などの生物学的要因だけで決まるのではなく、個人の所得や家族や友人との関係、国の政策や社会における人間関係の豊かさなど、「健康の社会的決定要因」と呼ばれる、多くの要素が関係していると考えられています。医療とArts ー私は教育の一部と考えていますがー は、その要因に含まれます。また90年代、WHO の EU地域委員会が、社会におけるさまざまな不平等や健康格差をなくすようにと EU加盟国の行政に対して呼びかけました。イギリスは古くから階級による格差問題に取り組んできたこともあって国民の意識が向きやすく、Arts と医療に関する実践については、少なくとも20年ほどエビデンスとして積み重ねてきています。2019年に 世界保健機関(WHO) が医療における Arts のポジティブな成果についてレポートを発表したことも、現在のイギリスの Arts と医療の取り組みの追い風になっていると思います。
 WHOによる健康の定義とは「病気でないとか弱っていないということではなく、肉体的、精神的、そして社会的にもすべてが満たされた状態」とされています。病気を病 (illness) と、疾患 (disease) の2つに分類して捉える考え方があります。医療人類学者のアーサー・クラインマン (Arthur Kleinman)  は、病は患者各々がそれをどのように生きているか?という意味も含んだ「生きられた経験 (lived experience)」であると述べています※3 。また、看護理論家のパトリシア・ベナー (Patricia Sawyer Benner) は、病とは「能力の喪失や機能不全を巡る人間的経験 (human experience) 」で、疾患は「細胞組織、器官レベルでの失調の現れ」であるとしています※4 。

 私は、「医療とアートが一緒になったとき、一体何が起きて、何ができ得るのか」とずっと考えてきました。医療は、患者さんの病と疾患に向き合って cure や care ができます。しかしセラピー以外のアートは、疾患を治療することはできません。ですが、患者さんの「生きられた経験としての病」に伴走できる可能性がある、と思いました。そして、医療者にも伴走できる可能性があることが、今回の追跡調査から分かりました。最近、リンクワーカーが徐々に問題解決型の専門医のようになってきているそうです。そうすると、ソーシャルワークとして患者さんにずっと伴走していく人たちが少なくなってしまいます。私は、アートに軸足を置いた伴走だからこそ、できることがあるように思うのです。



※1 Arts for Healthcare 室は、2005年度に廃室。
※2 ここでは、アートと医療が関わり合っている状態について「Arts and Hearth (アーツ・アンド・ヘルス) 」という表現を使用しています。
※3 アーサー・クラインマン著 江口重幸 五木田紳 上野豪志 訳『病いの語り 慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書房,1996.
※4  パトリシア・ベナー ジュディス・ルーベル著 難波卓志 訳『現象学的人間論と看護』医学書院,1999.
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中野 詩 
「美術待合室」主宰、東京都現代美術館 学芸員

東京都現代美術館学芸員、「美術待合室」主宰。医療法人惇慧会、せたがや文化財団 生活工房、水戸芸術館現代美術センターで展覧会やワークショップ・参加型プロジェクトの企画を経て現職。2004年より個人医院で展覧会やワークショップ・薬膳講座を行なう「美術待合室」主宰。高齢者・障害者支援複合施設へのアート活動の提供、科研費助成事業「ミュージアムと高齢者の互恵的関係に関する研究」に調査研究協力で参加中。千葉大学大学院で芸術学/美術教育 (教育学修士) 、ダラム大学大学院で医療人類学 (Master of Science) 修了。

美術館・アート情報 artscape 寄稿 
「【イギリス】「アート」と「医療」 かかわりへの模索──北東英国を中心に」https://artscape.jp/focus/10141545_1635.html
「ひろがる『芸術と医療福祉』のプラクティス」https://artscape.jp/focus/10178155_1635.html
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第9回チア!ゼミ「社会的処方とアート活動 -イギリス北東部でのフィールドワークを通して- 」
日程:2021年11月20日 (土) 14:00-16:00
場所:オンライン
主催:特定非営利活動法人チア・アート https://www.cheerart.jp/


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