鬼さんこちら(5) 僕の歌がやせつづけている

 聴いたふうな流行りにまぎれて
 僕の歌がやせつづけている
 安い玩具みたいで君に悪い
(チャゲ&飛鳥“LOVE SONG”)

 ファンの方には申し訳ないのだけれど、正直に言えば、私の『鬼滅の刃』の感想は上の三行に要約されてしまう。

 子どもに与えるものはその国の思い描く未来だろう。

 ほんとうに『鬼滅の刃』だけでいいんだろうか、という思いひとつで、今、これを書いている。

 ただし、いろいろ深読みしようにも、内容じたいは、これぞ少年ジャンプ、としか言いようがない、とも言える。困難を乗り越えて目的を達成する少年達の物語であって、爽やかな友情とほのかな恋心をコメディタッチにのせて…だが、ツイッターにあったように「『北斗の拳』の方が面白い」と思う輩もきっとかなりいるのではないだろうか。手塚治虫に始まる日本の少年漫画文化が、どうにも“痩せつづけている”という印象は、私にはどうしても否めない。

 主人公の炭治郎はじめ、鬼滅隊の少年達は皆恵まれない環境にあった、という指摘もあるが、なんでもかんでも鬼のせいにしている話で、それを大正という時代の所産に帰すのはナンセンスだろう。そもそも当時の一般大衆のリアリティだったぐうたらのび太君まで、星飛馬も山田太郎も、貧しい家庭環境を背負ったど根性型だったし、こういうの、イタリア人に分かるのかなあ、と、予算不足のせいで日本の古いアニメの再放送ばかりのRAI(イタリア国営放送)をみんなで共同キッチンのテレビを見ている時に、周囲に尋ねてみたこともあるが、そう言われてみれば、それは“ロッキー”のように普遍的な話の筋ではあるのだ。

 いずれにせよ、少年漫画の主人公、というのは、同時代の男の子達が自分を重ねるようにできているはずだ。わけあって親元を離れ、仲間たちと強敵との死闘を展開する少年達は、「無限列車編」のように心理的にも追いつめられやすいような状態にある。コメディタッチにもなんだか無理があった。『うる星やつら』の諸星あたるとラムちゃんに気持ちよく笑っていた私だが、箱入りで経典をくわえた禰豆子を背負って旅する炭治郎の健気さには、どうにも落ち着かなかった。「『鬼滅の刃』は泣ける」と前評判があったのも壊れそうな繊細さは、まだ親に甘えていたいような年頃なのに、という、主人公たちの気遣わしさに訴えるところが大きいせいではないだろうか。

 しかし、それを言うなら、孤児院で育ったキャンディにも、父親が行方不明の小公女セアラにも、フランダースの犬にも、児童虐待としか言いようのないほどの勢いでイジメぬかれ、親しい友人ともすれ違い、というのを、いつもはらはらしながら見せられてきたのである。仲間で団結して苦境をのりきろう!という『鬼滅の刃』には、安直ながら安定感はあるが、ドラマティックな展開で魅せる話ではないのもまたほんとうではある。西にシンデレラ、東に落窪物語、なぜか子どもは家庭内虐待にはじまるおとぎ話には強い興味を示してきたし、保護者がいない子ども達は、最後は魔女の方をかまどに蹴り落とすような猛々しさも発揮することがあるが、『鬼滅の刃』は、そうやって追いつめられ、大人にさせられた子ども達の物語ではない。ブレーメンの音楽隊のように、お役に立たず、お払い箱になった動物たちが見事逆転する、というわけでもない。鬼滅隊というのは剣と呼吸法を駆使できる、特別な集団であって、子ども達はその剣法の場面にこそ夢中になるわけだが、そうであれば、グリム童話のような、何も持たざる者達が知恵や、時に思わぬ助けで乗り切っていく、その面白さはやはりないとも言える。

 家庭内虐待はないが、“無限列車編”の炭治郎をみていて気になったのは、「どうしよう、どうしたらいい…?」という台詞が多いことだった。ストレートに疑問として煉獄杏寿郎にぶつけることもあれば、仲間の姿にヒントを得てそれが解決することもあり、それは勿論、学びの過程だ。だが、あの「夢に入り込む鬼」に心を繰られて見ていた彼の母親は、「それが終わったら、あの仕事をして」「あなたの好きなものをつくったわ、お食べなさい」といった具合に、次々に指示を出す。彼は喜んで素直にそうする。彼にとってのあたたかな家庭の思い出は、弟妹にまとわりつかれながら、その楚々とした少女のように優しげな母が取り仕切っている山奥の炭焼きの暮らしだ。そこでは、あんまり「どうしよう、どうしたらいい…」を考えなくてもやっていけたんじゃないか、と思うほど、この母親の存在感は大きい。

 舞台になった雲取山周辺は、いまや『鬼滅の刃』の聖地巡礼先だそうだが、あそこは東京都最高峰、都県境にもなっているなかなかの急峻だ。ただし都県境の尾根じたいは、昔から人の往来があり、そう思われるよりもずっと里山らしい。鹿害やツキノワグマの出没などが問題になるのは、むしろ里山に必要な下草刈りが過疎化でできなくなってきたせいで、かつては盛んだった木炭づくりのための採取が全く必要なくなってしまったことも大きい。

 実際、一帯は戦国時代に始まり、江戸時代から明治にかけては木炭産業が非常に盛んだった。籠を背負って帰ってきた炭治郎に「兄ちゃん、売れた?」と弟妹達が尋ねるのはちょっとおかしな話で、木炭は地域の基幹産業だったので、実際には卸し先もおさめる量も決まっていたはずだ。ただし、昭和までにすっかり木炭が不要になったことを思えば、木炭だけでは子だくさんの家庭を養っていくのに限界がきていた頃だとは言えるだろう。

 今でこそ東京都の過疎地域だが、歴史的には秩父から甲斐(山梨)に抜ける道は、むしろあちら側を通っていたし、由緒ある寺が狼煙を伝える順に並んでいた山城の上に建っていたりもする。五日市線の終点になっている武蔵五日市には大きな古民家や寺社仏閣があるが、それは近辺の山々で焼かれた木炭はいったん五日市で集荷されるのが常だったこととも関係しているようだ。それにしても、いまでも武蔵五日市の駅からバスで小一時間入って行かないと尾根歩きのハイキングルート入口にはたどり着かないのだから、炭治郎の足腰が抜きん出て丈夫だったとしても不思議ではない。

 そして、あまり知られていないことだが、ラフカディオ・ハーンの『雪女』は東北ではなく、この武蔵五日市で採取された話である。村の青年が雪女に遭遇するのは山中でのことで、川の向こう、山のなか、というのは、やはり異界だったのである。映画『鬼滅の刃』でも、雪の降り積もる場面は、最新技術がいかんなく発揮されたそれは美しいものだったが、大正とまで言わずとも、いま七十代の昭和生まれの人達でも、当時の都下はいったん雪が降るとかなり積もった、と言う。五日市や秩父というのは、ここのところ、天気予報でよくいう「関東平野の山沿い」であり、数年前の大雪でも自衛隊が災害救助に出たくらい、大雪になると檜原村は孤立集落が続出する。しかし、もともとが孤立覚悟でストックしておくのが常識の地域であり、本人達は「雪だるまをつくったり、近所と連絡をとりあって」電波さえない状態をしのいでいたそうだ。

 なおスタジオジブリの『となりのトトロ』の舞台、所沢市は、五日市市とは、ごく大ざっぱに言えば多摩湖を挟んで向かい合っている。今でも車で小一時間とはいえ、かつては五日市、青梅、入間までは圏央道ができる前から一本道でつながっていただろうし、さらに入間と所沢というのは今でもバイパスでつながっている隣接地域だから、少なくとも、トトロの頃の所沢の雰囲気というのは、奥多摩地域とそう変わらず、異界と身近に接していたのだろう。

 異界、というのは、ちょっと目を離した隙に、子どもが視界からいなくなってしまうような、そういう空間だろう。武蔵五日市を起点にすれば、所沢とは逆側の山々の向こう、山梨側のキャンプ場で、一昨年、女の子がいなくなって、目を離した親がずいぶん詰られていた。でも、キャンプ場でそんなことが起こるなんて、誰が考えるだろう。そして、親が決して目を離さないままで、トトロのようなファンタジーは生まれるだろうか。

 宮崎駿作品『魔女の宅急便』、そして『千と千尋の神隠し』もある意味では自立の物語だから当然なのだが、『となりのトトロ』のように主人公達がまだまだ幼い場合でさえ、ジブリの描く親たちは、子どもが息苦しいほどに強い抱擁をすることは決してない。むしろ、その頼りない抱擁のなかでこそ、子どもは自らの力で歩みはじめると言ってもいいのではないだろうか。

 一方で、『鬼滅の刃』では、炭治郎の母親だけでなく、煉獄杏寿郎もまた、母親の言いつけを胸に、その言葉を思いながら死んでいくことになる。「どうしよう、どうしたらいい?」と戸惑う少年達と、指示を与える親の姿。『鬼滅の刃』では、どうにもそれが目立つ。そこには当然、あの「夢に入りこむ鬼」のつけいる隙もあるだろうし、ビッグブラザーや仲間意識を介してのネット煽動が問題になっているところで鬼滅隊なんて“子ども自警団”なんてものがあるって、危ない話なんじゃないかなあ…なんて思わずにいられないのである。


 さて、では、最初の問いに戻ろう。花は、花は、花は散る。私は何を残せるのだろう…次世代に。自分が面白いと思ったものを押しつけるのもいい加減にしなくちゃ、と思いながら、甥姪へのクリスマスプレゼントはいまだに本になる。

 今年は、コロナ休校のなかでも、空を見上げてほしい、と、星をテーマにした。

 だが「僕の歌がやせつづけている」のは、大人たちにしても同じではなかろうか、と毎年本を探しながら嘆息する。自分が何を受け取ってきたのか。自分の足が、根が、どんな地についているか。やっぱりその辺りから考えてみよう、と思う。だがそれはまた次の話、また別の物語になる。

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