NHKのラジオ語学講座を聞いている。 どの言語でも観光案内にはなるのだが、“まいにちフランス語 応用編”で、ボルドーが奴隷も含む、ハイチなどとの三角貿易の拠点だったことも知り、やはりワインツアーでちょこっと寄るくらいではもったいないんだよなあ、と思う。続いてのアルルも、古代からビゼーまでの歴史が重厚に積み重なってきた街で、カマルグ湿地にはフラミンゴもいる。“おフランス”もなかなか一筋縄ではいかない国である。 イギリスにも古代ローマの遺跡はあった。サセックス州のフィッシュバー
いまは亡き愛猫は、毛布や、時には私の衣類を敷いて横たわるのに、たくさん皺をつくった。人間のものは取り上げてしまうが、猫用の毛布は、退いている時に皺を伸ばすと、明らかに「あ、それせっかく…」という残念そうな顔になった。もっとも、彼には人間のものと自分のものの区別はほとんどついていなかったので、私の布団などにどすんと丸くなっていることもよくあった。だが、掛布団の方は自分の体重でほどよく沈むので皺をつくることもなかった。つまり、あの毛布の皺と言うのは、コートをかきよせるように、く
貞節の勝利、というオペラがある。女ったらしのチャラ男が、ついにトラブルから殺されそうになり、かつて純潔を奪い、それでも身を挺して自分を助けてくれた娘の心やさしさに改心して、二人は結ばれ、関係者が皆祝福して大団円…という、オペラの王道を行く四コマ漫画な起承転結、浮気ばかりの夫に悩む妻に修道女がこんこんと諭し聞かせるような内容なのだが、それでも最後まで聞かせてしまうスカルラッティはさすがである。 貞節、は女性の美徳だと言われ続けてきた。古今東西、いちばんのヒロインは、オデュ
私が大学生だった頃にも、ディズニーランドについて、アメリカ的資本主義の俗物根性そのもの、みたいな批評はあった。 ディズニーランドは、ゴミもない、たばこも吸えない、においもない。 確かフランスでは、従業員のマニキュアが禁止されたのが労使問題にまでなっていた。オペラ座のバレエ団は親や親戚まで肥満した人いないかどうか、足の指がどうついてるかといったことまでチェックするというが、ディズニーランドパリでアルバイトするのにそこまで覚悟が要ると考えるフランス人はいないだろう。普
夏至の日に、三十年ぶりに東京ディズニーランドに行った。正確には、生まれてはじめてディズニーシーを訪れた。 一緒に行った友人には「私は何度も行ってるんだから、ちゃんと調べて、乗りたいものを言ってね」、と念を押されていたのだが、私はぼんやりとアトラクション案内をスマホでながめたあげく、「暗闇を進む」、「健康状態のいい人のみ」のでいこうよ、と答えた。きゃあきゃあ騒げたらいいな、くらいのつもりで。 緊急事態宣言はその前日に解除されていた。父をデイケアに送り出してから電車に乗
”切り裂きジャック”の正体がDNA解析から特定されたのは、というニュースが日本でも報じられたのは、2018年のことだ。だが、ポーランド人理髪師だという話が、EU離脱の引き金となった、東欧系の労働者が半ば定着しつつあったことへの反発と重なっているようで、私は眉唾だと思っている。数ある説のなかでも、ロンドン警察に圧をかけられる地位があったのではないかとみる人はけっこう多く、またそうでないとロンドン市民の不安がパニック寸前になっているなかで、厳重な警戒の隙を突いて繰り返し残忍な娼
私はスーパーマーケットに行くのも、そこに集まる人達を見るのも好きだ。小池都知事が「お買い物も三日に一度にしてほしい」と言っていたし、神経質に「汚い手で触るな」とレジ打ちのおばさんに怒鳴るような人もいるらしいが、あれは、何かがほしい、というより、人恋しくて買い物に出る人たちだったのではないか。 近所のスーパーマーケットでも、朝と夜とでは雰囲気が全く違う。朝いちばんで目のきれいなイワシや新鮮な野菜を買いにくるのはしっかり者の主婦だろう、と思われているかもしれないが、実は開店
ワンマイルウェア、というのがある。 最初に見たのは無印良品で、自宅から1マイル圏内に出る程度で着る服、として売り出している、ゆるっと着やすく、それでいてルームウェアではない、というラインだったが、けっこうあちこちで、この”ワンマイルウェア”を見かけるようになった。日本で1マイルといってすぐにピンとくる人はそういないと思うが、みんななんとなく理解しているのだろう。車に乗って、ジムに行く、とか、ガソリンを入れるついでにコンビニに寄るとか、それもだいたい1マイル前後だ。
塩野七生が、エッセイでこんなことを書いていた。 芥川賞と直木賞は何が違うのか、彼女が問うと、芥川賞の選考委員の一人が言った。そこに猫がいる。じっと見ていても飽きないようなそのようすを描写するのが直木賞。芥川賞は、猫の腹をナイフで一裂きにして、中がどうなっているかを見せるのだ、と。 塩野七生はそこで、「どうしよう、あたし猫好きなのよ」と、その場にいた庄司薫に助けを求めたという。では、彼女の日比谷高校の後輩でもある、その庄司薫の芥川賞受賞作『赤ずきんちゃん気をつけて』は
ジョン・レノンがイギリス人の妻を去り、日本人前衛芸術家のオノ・ヨーコと結婚した時、”ビートルズのジョン”を愛していたイギリス人は「魔女」ヨーコを呪い、レノンの心変わりを責め続けた。こうして、レノン夫妻はついにイギリスを離れてNYで暮らすに至ったのだが、オノ・ヨーコは自叙伝で、そのときのことを、二人の出会いはレノンが(大衆音楽の大スターでありながら)政治や前衛芸術に関心を持ち始めていたときのことであり、アーティスト同士としても惹かれあう必然があったことに触れながら、イギリスの
女ひとりでふらっとでかけて、自然を満喫するのは、実はむずかしい。 高尾山さえ、一人歩き狙いの痴漢や露出狂というのは、ちゃんと電波が入らないところを狙って出てくる。私は小学生の時からさんざん歩いているので、電波が入らない辺りも見当がつくが、友人と二人、平日の早朝の高尾山で気づいたのは、谷間で楽器の練習をしている人さえいることだ。かつてはほら貝の修験道が滝に打たれていた山で、天狗も出る深山だとされていたが、ミシュランガイドのおかげで、真っ白な小型犬を歩かせていたり、ぽっくり
初めて京都に行ったのは、小学一年生のときのことだ。二月に、学校を休んで叔父の結婚式に出席したのだ。当時は新幹線だって、まだぴかぴかの最先端だった。それまで旅行といえば、東は父の車で奥会津まで、西は家族旅行の来宮までだったのが、一休さんの舞台である京都に行くと聞いてどきどきした。 一度おじいちゃんと一緒に、これまた最先端だったぴっかぴかの小田急ロマンスカーで箱根まで行った時には、慣れた様子で車内販売のコーヒーを買うおじいちゃんを心からカッコイイと思ったものだが、新幹線に
私の成人式の振袖は、祖母が母の従妹にお祝いがてら見立てたものを、約束通り、その12年後に着せてもらったものだ。 これは、祖母がお花の家元と日本橋三越でランチして、そのままエレベーターで呉服売り場の階に降りてきたところで、御仕立て付、帯とセットの”おすすめ品“で展示されていたのを見つけ、家元と二人で「これだッ!」と即買いしたというものだ。まさにランチセットみたいな買い物で、帯は短めで福良雀しかできない。しかし、家元というのは、ご幼小のみぎりには洋館育ちのお嬢様であり、その
「誰かが風邪をひいたときにはね、向いの角の蕎麦屋から、熱々の鍋焼きうどんを取り寄せるの。勿論、そこの角から大急ぎで持ってくるンだけど、念には念を入れて、もう一度火にかけて、それから食べさせるんだ。そうすりゃ一発で治るって、おとっつぁんがね。」 祖母の実家は日本橋の人形町でオーダーメイドの手ぬぐいを扱っていたのだそうだ。うちは染め物屋だ、と言われたこともあったが、詳しいことを知ったのは大人になってからだ。 引越しや工事、お年賀には今でも手ぬぐいならぬタオルを配ることが
着物を着るようになった。 そもそものきっかけは母の死だった。病院からなきがらが戻ってくるまでに、しきりに帰りたいと漏らす母に、もしかしたら見てもらう機会があるかもしれない、と飾っておいた雛人形を、臨終に駆けつけてくれた母の友人達と慌てて片づけて、布団を敷いて部屋を整え、病院からひきとったものを全部解いてあとかたもなくして、最後の洗濯物も洗ってしまった。そして、そういうバタバタした作業が、心の緩衝材になって、私は落ち着いて母を迎えることができた。 まもなく、それこそ鬼
聴いたふうな流行りにまぎれて 僕の歌がやせつづけている 安い玩具みたいで君に悪い (チャゲ&飛鳥“LOVE SONG”) ファンの方には申し訳ないのだけれど、正直に言えば、私の『鬼滅の刃』の感想は上の三行に要約されてしまう。 子どもに与えるものはその国の思い描く未来だろう。 ほんとうに『鬼滅の刃』だけでいいんだろうか、という思いひとつで、今、これを書いている。 ただし、いろいろ深読みしようにも、内容じたいは、これぞ少年ジャンプ、としか言いようがない、とも