暗闇を進む <2>

  私が大学生だった頃にも、ディズニーランドについて、アメリカ的資本主義の俗物根性そのもの、みたいな批評はあった。

 ディズニーランドは、ゴミもない、たばこも吸えない、においもない。

 確かフランスでは、従業員のマニキュアが禁止されたのが労使問題にまでなっていた。オペラ座のバレエ団は親や親戚まで肥満した人いないかどうか、足の指がどうついてるかといったことまでチェックするというが、ディズニーランドパリでアルバイトするのにそこまで覚悟が要ると考えるフランス人はいないだろう。普通の遊園地ならパンクな姉ちゃんがソフトクリーム売ってようが、太い腕にタトゥーの兄ちゃんがメリーゴーランドの乗降を手伝ってようが、ピエロが慌てたついでにチラシが風にもっていかれ、辺りに散乱するとか、それもこれもなんかほっこり、だろうと思うのだが、ディズニーランドは違う。

 そういう発想の違いが受け入れられるかどうか、は、しかしインテリが思うほど大きな問題ではなかった。とにかく、イギリスでも、親の車が高速を走っている時に「誘拐されちゃった、助けて!」と言う紙を隣や後ろの車に見せる、というトンデモナイ悪戯をした子ども達の言い分が「学校でディズニーランドパリに行ったことがないのは僕らくらいだったんだ」だった、というくらいのフィーヴァーであった。大人でも拗ねたらこういう悪ふざけする輩はけっこう多い国なので実にウンザリしたし、こういうのはよく反省させないとダメよ、ホント、と思いつつ読んでよく覚えている三面記事なのだが、国境を越えて人々を招き寄せるのはサッカーの試合やビーチに並んで、大衆的な観光地、ディズニーランドだ。

 一方で、東京では、コロナで解雇せざるを得なかったスタッフに、自分達はディズニーランドという舞台で働くキャラクターの一員だ、というプロ意識のある人も少なくなかったそうだ。やっぱり日本人て真面目だなあ、と思ってしまう。高校のクラスメイトはディズニーランドで清掃のバイトしていて、「でもちゃっちいのよ、毎日見てると」とクールに言い放っていたが、学校での様子から言っても彼女の勤務態度には非の打ちどころがなかっただろうし、フランスと同じような労使問題は起こったこともないだろう。

 今回、ガーデニング好きのその友人と丸一日歩きまわって、虫がいない、蚊が全く出てこないことにも気づいた。同じシーサイドリゾートでも、昨今の江の島周辺などは、観光客の歩きながら食べるものを手元からかっさらうトビが多くなって危険な状態になっているようだが、ディズニーランドにはトビは勿論カラスもいないし、ポップコーンめあての鳩も見たが、数はそう多くない。つまり、夢の国は徹底的な管理下にある。虫の多い日本では、かなり特殊な管理が必要なのではないか。

 とはいえそれは、日ごろ蚊に刺されながら草ぬきをしている私と彼女にとって、しかし、梅雨の晴れ間に風に吹かれながら一息つける贅沢な時間を提供されることでもあるのだった。毎日ではない。お祭りと同じで、その日一日たっぷりはしゃげたら、それでいい。普通の遊園地の何倍もの大人数を受け入れ、あれだけの大掛かりな仕掛けを安全に運行するには、それなりの管理体制も必要になるのだ。

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 船でメディテレニアンハーバーに戻ると、改めて、リアルト橋もポンテヴェッキオもなんでもあるのに気づく。ゴンドラも人気アトラクションだそうで、「私なんかもう、これで十分って気がしちゃう」とその友人は笑った。

 奨学金を得て、ほんもののポンテヴェッキオからそう遠くないアルノ川沿いの図書館にひと夏毎日通ったことのある私から見ても、ディズニーランドのポンテヴェッキオは一目でそれと分かる特徴をしっかり捉えている。

 一方、アドリア海の真珠…つまり東方貿易の大きな船が寄港したからこそ発展したヴェネチアのリアルト橋が、逆に大きな船が決して上がってこれないアルノ川の浅瀬で織物をさらし、今もポンテヴェッキオに軒をつらねる彫金製品など加工業に活路を見出すしかなかったフィレンツェに隣り合う、というのもすごい話だ。ヴェネチアは正真正銘の大交易港だが、フィレンツェは水運には恵まれず、ピサまで攻め落としたことが今でも恨まれている。だが、いま斜塔を見にピサに行った人にも、ここに港なんかあるんですか?と聞かれそうだ。ローマも、そしてローマがブリテン島の拠点に定めたロンドンもそうだが、何もわざわざ攻められやすい海岸に街をつくる必要はない、川を上がれるところまで上がった先で荷揚げできたら十分なのだ。メディテレニアンハーバーのモデルは、ピサからそう遠くないチンクエテッレ、つまり”五つの入り江”にある小さいけれど美しい港町のひとつ、ポルトフィーノらしいが、いまなお車でのアクセスもなかなか大変な一帯だ。しかしそれは中世都市の基本的機能である防衛力は備えていた。つまり入り江が天然の要塞になっているのだ。

 先日痛ましい土砂崩れの起こった熱海も、頼朝が挙兵し、その後政子を匿った伊豆山は、廃仏毀釈で神社になったが、もともとは海から階段でアクセスするしかない僧院で、多くの僧兵を擁し、容易には敵の侵入を許さないからこそ源氏挙兵の拠点になりえたと推測できる。ただし、その山に住宅を建てるとなれば、やはり多少の造成は必要だった。公式災害マップでも崖崩れのリスクは明記されていたらしいが、そこで生まれ育った世代には、まさか足元が崩れるとは思えなかったに違いない。

 ディズニーシーの方にはそんな険しさは一切ない。そこにはたおやかで機嫌のよい南欧の雰囲気があふれている。ヴェネチアまでティレニア海側に回すなんて、ヨーロッパの知識人には決してない発想だが、東アジアといえば、中国、韓国、日本はほとんど同じにしか見えないのと同じようなものだろう。

 現実のイタリアでは今、コロナで死の街のように静まりかえったヴェネチアでは、淀んでいた運河に幻想的にクラゲが泳ぎ、観光荒れによる環境破壊がかなり深刻なナポリでも青の洞窟に魚が戻ってきたりしているそうだ。もっとも、そうした静けさは街としての機能が停止したということに他ならないのがイタリアではある。歩道側の窓に洗濯物を干すなんてことはマンマ達が決して許さず、街の美観を守る意識は強いが、それでも人間が暮らしている、その生活感がいたるところにあるあの街並みは、ディズニーランドでは再現されえないなあとも思う。

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 パソコンと辞書を背負って歩く夏のフィレンツェは、ただでさえ足に堪える石畳が埃っぽく、盆地ならではの蒸し暑さとも相俟って「ここで八月に勉強する人がいるなんて!」と呆れられて然るべきな状態ではあった。しかし、人を轢き殺しかねない勢いで飛ばしていくスクーター、小さなタクシーや荷物運搬車もあれば、平均台みたいな歩道からはみでるわけにはいかない。排気ガスで汚れた大理石の壁の教会、朝から晩まで常に聞こえる救急車のサイレン、莚をくるくると丸め、大荷物を背負ってどこかへ帰っていく、物売りのアフリカ人達。埃っぽさを逃れてようやく入るバルではサッカー中継と、昼過ぎからグラスワインで酔っぱらってるおっちゃん達。すぐ脇の路地からはかすかに小便臭が漂う。うだるような午後の日射でこもった熱も、川からの夕風でやわらいで、ようやく一息つく時間というのもあるし、夕闇のなかではウフィツィやジョットの鐘楼が往時の姿のままにも見えるような瞬間もあるのだが、毎日同じところでナンパしている兄ちゃんの「アイシテルヨー、今晩ヒマカー」には、もはや愛想笑いさえ浮かべる余力もない…そんな一日の終わりではあった。ふと見上げれば、そこにはサンタクローチェがあり、どの帰り道もドゥオモ広場を通ることになるが、たぶん、街にある人の生業というのは500年前から変わらず、こんなふうに忙しいものではなかったろうか。

 そうやって、今晩何食べよう、明日はもう午前中さぼっちゃって市場で野菜買うかなあ、と考えながらバスに乗って帰り、テレビで一日中流れている日本の古いアニメを見ながら簡単な食事をとる…そんなふうに数週間暮らすことができたから、なのだろうか。ときにうるさくて、息苦しくて、ほとほとくたびれてしまうような、街ならではの厄介なあれこれがないディズニーランドには、やっぱりつくりものなんだよなあ、と感じてしまうのもほんとうだ。

 とりわけ、港町、というのは、ソフィア・ローレンのようなおばちゃんが、寝癖のついた髪のまま、サンダルばきで階段の坂道を降りてくるような、アマリア・ロドリゲスの歌を調子っぱずれに歌うおじいちゃんが夕涼みしているような、こぎれいさに欠くところが魅力だと、私が思い込んでるせいかも知れないけれど。

 さて、フィレンツェもアメリカ人観光客がよくやるように、襖で口の周りを汚したままの馬がひく馬車で街を一周するのを、イタリア訛りの英語ガイドごと録画するだけなら、確かにディズニーランドの方がスリの心配もなく快適に楽しめるかも知れない。イタリアを旅行した日本人がよく言うように、ツーリストメニューならマクドナルドの方がマシなこともある、というのも”本場”イタリアンの現実ではある。一方、フィレンツェにねむる膨大な史料を管理するのも、いまやアメリカの大学の研究グループだ。フィレンツェの国立図書館の古書室で、パスポートとひきかえに史料を借り出しているのは、司書のカウンターの後ろのパスポート置き場を見れば、七割方がアメリカ人研究者なのも一目瞭然だ。

 ハーバードの研究所も、フィレンツェ中心地を離れ、バスで三十分は田舎道を走った先の、うねうねと波打つワイン畑を見下ろす丘の、かつての貴族の別荘を、そっくりそのまま史学研究の拠点にしている。そうやって、自家製のワインを学会で出したりするのも、古くて調子っぱずれなピアノが置いてあるのを見て、ワイングラスを置いてさらりと演奏してみせるのも、アメリカ人である。かたや、語学学校には、マムが泣くから仕方なく来たけど、もう一刻もはやくNYに帰りたい、と毎日ため息をつくイタリア系アメリカ人の男の子がいた。名前は、ダンテ。「でも、イタリア最大の詩聖ダンテのことは知らなかったのよ」と、フィレンツェ生まれの先生が肩をすくめていた。そうかと思えば、テーブルいっぱいに積み上げた史料を黙々とパソコンに打ち込んで、コンピューターで処理することで堂々社会史の資料として提出してくるのもアメリカ人学生だ。英語圏、を牽引するのはやはり彼らだ、と、私はフィレンツェでつくづく思い知らされた。

 そう、そして、それもこれも、どれもアメリカなのだ、と思う。あまりに幅が広くてはどうにも最大公約数が見えないと言われ、アメリカン・ドリームの虚を突くマイケル・サンデルも、眉根に皺を寄せながら、競争の果ての格差の固定のなかで、しかし、社会全体を意識しながら倫理的に生きる道を、諸君に期待する、と言うしかない。メディチ家の研究ではよく知られた女性研究者も、「イギリスのように階級によって読む新聞も違うのはおかしいという人もいるが、アメリカで私たちが読む新聞で、どこまでがゴシップなのかわからない、なんてことは、正直、人を困惑させるわ、ほんとうに困ったことだと思うの」と静かに言っていた。いまは、聞きたい意見だけを聞く”エコーチェンバ―”化したネットユーザーが増えて、事態はさらに混乱しているが、アメリカ人の知識人の多くは、イギリスと同じかそれ以上に洗練されたエリートであり、骨太にカオスのなかにメッセージを発信していくよりは、丁寧な職人技とよきチームワークで社会を下支えしている、地味で勤勉な人達だ。そして、彼らが禁欲的に専門家としての領分に留まるなか、その間隙を突くかたちで出てきたのがあのトランプだということは、そう驚くことでもないように思う。

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 そしてもうひとつ、ディズニーランドだ。極東でも、アメリカも、かつての魅力は失ったよねえ、と囁かれて久しい。しかし、それでもなお、ディズニーランドは燦然たる輝きを放っている。

 ウォルト・ディズニーというひとは、もともとトランプと同じく、共和党右派であり、アニメ産業に乗り出す前には、戦争画家として、第一次世界大戦では戦地に赴き、愛国的な報告に添えて印刷されるイラストを描いていた。そして兵隊達のヘルメットに、いかにも百戦錬磨のように見せかけるフェイクなペイント技術を弄して小遣い稼ぎもしたらしい。アトラクションの順番待ちであたりを見渡せばすぐ目に入ってくるさまざまな小道具の凝りようにも、そんな経験が生きていないだろうか。

 ウォルト・ディズニーが非凡だったのは、兵隊達の自慢話になりそうなことを思い浮かべながら、その曰くありげな小道具を作り上げるという、その想像力ではないかとも思う。それは聞きたい、話したい自慢話で、例えば彼が、公民権運動の動きがひたひたとその勢いを増すなかで、のどかな南部の農村地帯で、のんびりと歌いながら作業するごきげんな黒人男性の姿を映画にする、といった試みに出たりしたらしい。それはトランプに通じるセンスで、フェイクに違いないとしても、彼がターゲットにしているのは、鋭い政治的対立をつきつけられるのにウンザリした人々なのである。

 それは今も同じだろう。たとえ、ディズニーランドが、ありえない夢の国だとしても。

 暗闇を進む。コロナ禍、社会の分断、複雑にこんがらがって、説明のつかない政治的公正さ、の理由。どこも暗闇ばかりだ。どこかに、自分がほんとうは、こうあってほしいと思う話を心に抱くことなく、人は進めるだろうか。

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 BLM運動のなかで、政治的公正さに欠くと非難されて、レンタルから一時姿を消した『風と共に去りぬ』という映画だが、原作の小説のなかにこんな場面がある。映画と違い、スカーレットは子だくさんだったのだが、確か前夫の子で、気弱な男の子が、子ども同士の喧嘩で「おまえの父親は戦争で戦ったこともない」と言われてめそめそしていた。それを見たレット・バトラーは、シャツをはだけ、自分の背中の傷を見せる。スカーレットは「違うわ、それは…」と言いかけるのだが、レットが恐ろしい目で睨みつけて黙らせ、これが戦闘で受けた傷だよ、と言って聞かせた。少年は少し元気を出して自分の部屋に下がる。途端に「子どもに嘘をつくなんて…」と抗議を始めたスカーレットに、レットはきっぱりと言い放つ。「男の子には、お父さんが立派な人物だと思うことが必要なんだ」。

 ディズニーのフェイクにも、そんなところがたくさんあると思う。もはや、アメリカンドリームさえ、虚しいおとぎ話に過ぎないかも知れない。それでも、その風通しなくしては、呼吸さえできない人達だっているのである。

 暗闇を進む。その先にあるのは光あふれる、「おかえりなさい」と言ってくれる人々の待つ広場だと、どうして思ってはいけないのだろう。

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