【エッセイ】50代後半でコンピュータプログラミングを習う
何だろう。私の世界で、コンピューターは必要アイテムではない。
必要ではない。今すぐに亡くなっても私は生きていく自信はあるが。社会がもう、そうさせてはくれない。
それは仕方がない。だが、スマホが今消えてなくなったら、せいせいする。
かと言って、コンピュータ嫌いの初老世代ではあるが、私の人生でコンピュータと触れ合ったのは人と比べては早い。
メカが嫌いなわけでもなく、どんな機械も使い方をしらなと気がすまない性格だったので、初期のマイコンと言われていた頃の端末はかなり使いこなした。
それを自慢するわけではないが、それを生業にできなかったのは、その頃から、コンピュータに時間を取られることに一種の不安を感じていたのだろう。
その私が、今、コンピュータープログラミングを習っている。
’プロゲート’はかなり良い。
熟知したいわけではない、その中の世界を知りたいのである。当然、生業にするわけはない。それを仕事にするには、夢がなさすぎる。
コンピューターは、道具である。そんなことは百も承知。
お金は手段である。馬鹿か!
今の世の人は、道具も、手段も、意味をわかっていない。
そんな私もそんな人たちの仲間、流れには逆らえない。
ノートパソコンは、3台もある、いや、使ってないのもあるから4台もある。iPhoneとiPadもある。使いこなせない。使いこなしたくない。でも何となく、ある。
今日も、プロゲートは楽しくコンピュータプログラミングを習わしてくれる。
私だけにしか使えないアプリを作成するため。
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