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こうしなければと思えば思うほど

仕事とか、自分が苦手なこととか、自信がないことをする時いつも思うんです。

「うまくやらなきゃ!」と。

失敗しないようにしなきゃ。
うまくこなさなきゃ。

実際この思考の裏には、失敗したくない、恥をかきたくない、っていうエゴがあるからなんだけれども。

でも、こう思えば思うほどうまくいかないことに気づきました。


日常に笑いを取り入れたくて、昔さまぁ〜ずのYouTubeをよく見ていたんですが、その動画の中で、どうも頭の中にずっと残った言葉があり。


「こうしなければと思いすぎてた。だから上手くいかなかったんだよね〜」


さまぁ〜ずの2人がふと動画の中で昔話ゾーンに入った時、「そういえば昔の漫才スタイルはこうだったよね」という話をしてて。
2人は元々ボケとツッコミを固定化させていたんだけど、それがどうも上手く行かなかったらしく。

自分はボケ担当だから、ボケなきゃ!
自分はツッコミ担当だから、ツッコまなきゃ!
なんていう風に、”こうしなきゃ”ってことに囚われすぎてうまくいかなかったんだと。

だから、そういう取り決めとか固定化された役割みたいなのを取っ払って、互いがボケたい時にボケる、ツッコたいときにツッコむ、って感じにしよう!となったらしく。
そういう風に自由に振る舞うようになってからは、だんだんと仕事もうまくいくようになったと。


なんて、そう話してたわけです。

この話を聞いた時、これは私の中でも咀嚼したいって思って。私の脳みそは、どうやらいとも簡単に内省モードのボタンが押されてしまうらしい。
で、特に深く内省をするまでもなく、思いました。

そっか。


こうしなければと思えば思うほど、ものごとが上手くいかなくなるんだ


過去を振り返ってみても、心当たりがありすぎました。
うまくいかない苦しいって時はだいたいいつも、与えられた役職に必死になって、「責務を上手く全うすること」だけに意識が向いて。
「上手くやること」に囚われて、いつしかそれ自体が目的にすり替わって。本来は別の目的があったのに。
そしてそのズレた目的のために身をすり減らして、自分の強みや自分らしさを踏み潰さなければならなくなって。


そう、
”べき”とか”しなきゃ”という言葉は、視野を極端に狭め、目的を別のものにすり替えてしまう悪魔なのだ!


そう気づいたわけです。

さまぁ〜ずだって、彼らのお笑いを届けるっていう真の目的があるのに、役割という型に囚われすぎて、その型に綺麗にはまること・その役割を遂行することがいつしか目的に変わってしまった。だから上手くいかなかったのかもしれません。


こうしなければと思うほど、"あるべき姿"にがんじがらめになって、ぎこちなくなって、歯車がぎしぎしと嫌な音を立てて軋み始めるらしいですね。


なぜか上手くいかない。なぜか軌道に乗らない。

もしかしたらそんな時は、こうあるべきという”型”に自分自身ではまりこんでしまい、ぎこちなくなってるからかもしれません。

本来の目的を見失わず、リラックスして、自分を偽らないで、自分のままでいることは、物事の歯車の潤滑剤な気がしています。


とにかく、
なんかうまく行かないって思った時は、

こうあるべきだ!こうやらなきゃ!に囚われていないか?
私がそれをする本当の目的はなんなんだ?
私はどうしてそれをしたいと思ったんだ?

って状況を再認識して、自分の原点に帰りたいですね。

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