見出し画像

人間味のある人とない人

最近私はインディアンスにめっぽうハマっている。とにかく畳み掛けるボケが大好きで、お笑い動画を見てはケラケラ笑い果てている。

そんなインディアンスのとある動画で、生霊を見てもらおう!っていう企画があって、たぶっちゃん(ボケ側)のことを掘り下げるワンシーンがあった。

生霊が見える人の話によると、売れてる芸人さんには大体熱狂的な応援生霊が付いてるんだが、たぶっちゃんにはそれが付いてないと。熱狂的な応援生霊ってのは、全体的にちょっと嫌われるタイプの人間らしいが、たぶっちゃんはむしろ全体的にちょっと好かれるタイプだから、うっすい応援生霊しかついてないんだと。
そして生霊見えるマンは、たぶっちゃんに自分の根っこの部分を殺そうとしている、作り上げた人間像で漫才をしてる、って核心を突くこと言っていた。

このことを言われて本人もびっくりしていたが、中川家の礼二さんにもM-1でそう言われたらしい。

人間味がない、と。


キーワード、人間味


「人間味がある」ってなんでしょう?

たぶっちゃんは悪口を言わない。
明るすぎるポジティブマン。
エゴサっていうネタの中で、ネットに書かれた悪口に対して、
「早口すぎて聞き取れへん」
「聞き取れる部分の喜びい〜!」
「明すぎんねん」
っていう感じ。
いつも胸元にひまわり🌻が元気に咲いている人。

つまりたぶっちゃんは、常に明るい。明るくない時が全くないように見える。そう、ネガの面が全く見えてこない

これが、イコール人間味のなさか。

自然体の人間なら、ネガティブな部分があって当然だ。
これが人間味があるということだ?

人間味とは、人間らしさ?人間のリアル?

自然のままの人間は、
人の悪口言う時もあるし、文句も言う時もあるし、楽をしようとするし、承認欲求に導かれて行動もして、利己的な考えが浮かんで、怠惰で、裏があって打算があって、羨望嫉妬を感じて、悪口を言われて傷ついて落ち込んで、弱くて、人の成功を素直に喜べなくて...

生きてれば自然と生まれてくるネガティブな感情があって、それによって自然とネガティブな行動をしてしまう。これが自然体の人間なんだろう。
本来の手付かずの人間像ってたぶんこんなもんだろう。

だから極端な例で言うと、仏陀やイエスみたいな、理性的で、誰にでも優しくて、ブレない心があって、キレない、些細なことで落ち込まない、冷静、どっしりと構えてる、弱みが見えない...
こういった崇高な人間たちは人間味がないって言うんだろう。

ありのままの人間らしさの欠如。
大衆にとってこういう人たちはむしろ、理性的な鍛錬によって誕生した、ある意味人工的な人間像なのかもしれない。

人間というよりも超人か。人間離れしている人間。

人間味がない=親近感がない、なのか?

人間離れしているという点では、たぶっちゃんも少なからず該当していると思われる。
常に明るいポジティブマンというイメージは、本来の人間像とは少し乖離があって人間味がない感じがする。

面白い、けど親近感はない、みたいな感じ。

その点、今年のM-1で優勝したウエストランドは人間味という観点でいうとかなりあるように思える。
人間のリアルを、暗黙の了解で誰も口にしてはいないが全員が心のどこかで思っていることを、つまり大衆を代表した悪口をネタにして。
大衆からしたら社会の翻訳をありがとう!という快感と共に、心の奥底で自分もそんなこと感じてたなあって親近感が湧く。トゲトゲすぎて、湧かない部分も一部ありそうだけど。


悪口を言われてもポジティブな人間には人間味がなく、世間の悪口を言う人間には人間味を感じる。


人間味があるということは、仲間意識とか同類感、親近感、この辺を刺激して人の心を掴むのかもしれない。
逆に人間らしくない、人間の本性が見えてこない仮面を被ったような人は、同類感親近感が湧かなくて、どこか掴みどころがないって思うのかもなあ。

なんて思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?