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【展覧会】プロコフィエフの晩年の家博物館

3月5日は、プロコフィエフの命日ということで、

今日はプロコフィエフの晩年の家博物館を紹介します。
2013年12月に訪れた時の写真を使います。その後、博物館は改装されたので、二度と見ることができない展示もあります。
1953年に亡くなっているので、2023年は、没後70年になります。

プロコフィエフは、ソビエトに帰国後財産を没収されているので、実際に使っていた物はこれだけしか残っていません。

この部屋にチェリストのロストロポーヴィチが来たこともあります。

プロコフィエフは、トルストイの『戦争と平和』を愛読書にし、本もたくさん持っていたはずですが、これしか残っていません。

2013年当時は、展示ホールの壁にプロコフィエフの伝記パネルがたくさん展示されていました。

チェロ・ソナタの自筆譜です。

1891年4月に生まれて、その後、いつ何を習い、何を作ったかが書かれています。プロコフィエフの自筆です。

手紙です。

プロコフィエフがアメリカに亡命する前に立ち寄った日本のことの展示も2013年の時にはありました。

パネルの展示はこんな感じです。

第2次世界大戦中に作曲したから『戦争ソナタ』と呼ばれている『ピアノ・ソナタ第6番から第8番』までの楽譜です。

交響曲第5番の自筆譜と、左下にはピアニストのリヒテルとギレリスの写真があります。

エイゼンシュテイン監督の映画『アレクサンドル・ネフスキー』の音楽作りです。

映像に合わせて音楽を作る作業をこのように緻密にしていたことを知り、感動しました。

映画のシーンの写真です。

エイゼンシュテイン監督の映画『イワン雷帝』の音楽作りです。

カンタータ『スターリンへの祝辞』の楽譜です。プロコフィエフは、スターリンと全く同じ日に亡くなりました。

日本を経由してアメリカに亡命し、その後、パリで暮らしていたプロコフィエフですが、ソビエトに帰国します。
1948年2月10日のジダーノフ批判に関するパネルです。

左にエイゼンシュテイン監督の写真があり、映画音楽を作成するときにかいたものが展示されています。これを見た時に私は感動しましたが、改装された現在は、この展示はありません。

プロコフィエフはチェスが得意だったので、チェスの駒などの展示もあります。

私が感動したのは、これです。しつこいですが、改装された現在は、これを見ることができません。

エイゼンシュテイン監督です。

プロコフィエフの私物です。

ロストロポーヴィチとプロコフィエフの写真がありますが、まさに、この家にロストロポーヴィチが来ていました。アップライトのピアノの展示がある部分です。

右側にペチカがあります。ここにも金属の丸い形がついています。

まさに、ここで、プロコフィエフとロストロポーヴィチが一緒に作品作りをしていました。ここは、入れない場所ですが、当時の学芸員さんがものすごくいい人で、特別に入れてくださいました。

この時の学芸員さんは、ものすごくいい人で、公開されていない職員の部屋みたいなところにも案内してくださいました。残念ながら、この学芸員さんは、もうここで働いていません。
自筆譜をいくつも見せてくださいました。

バレエ『シンデレラ』です。

ヴァイオリン・ソナタ第2番の楽譜です。

そして、プロコフィエフが山田耕筰に出会ったときに書いてもらったものも見せていただきました。

プロコフィエフは、このように表紙が気でできたノートを持ち歩いていて、有名人に会うと、「太陽についてどう思う?」と訊いて、書いてもらっていたようです。


プロコフィエフの家博物館のホームページはこちらです。


地下鉄の最寄り駅はこちらです。


【3月5日の過去記事】


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