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【展覧会】スィティンの家博物館

1934年11月23日に、スィティンが亡くなりました。

スィティンと聞いて、ほとんどの人は、誰?と思うと思います。

私も、知りませんでした。

第3週(15日がある1週間)になると無料博物館があるので、ホームページでせっせと調べているときに、「スィティンの家博物館」というものをたまたま見つけました。
場所は、トヴェルスカヤ通りで、同じ日に無料博物館になっているオストロフスキーの家博物館の近くだし、細かい時間指定もないので、チケットを登録して行ってみることにしました。

しかし、「スィティンって、何をした人?」と、さっぱり分かりません。ウキペディアを見ましたが、まだ、ピンときません。8月に行こうと思いましたが、コロナになり行けなかったので、9月にもう1度チケットの登録をしました。

スヴィリードフの文献を調べているときに、ある本が「スィティン財団」出版というのを見つけて、私が行こうとしているスィティンのことだなと思いましたが、それ以上調べることはなく、9月に出かけてみました。

11月23日は、命日ということで、スィティンが晩年(1928年から1934年まで)に住んだ家博物館を紹介します。

入口です。ここに博物館があると知らなければ、素通りしてしまいそうな入り口です。

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建物はこんな感じです。

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階段をのぼって、2階に到着しました。今見れば、タイプライターの絵があるので、それで、何をした人かヒントになりますが、行ったときは、このイラストに気づいていませんでした。写真には写っていませんが、隣のドアはホテルになっていて、どこかの国の人がチェックアウトで大騒ぎだったので、それに気をとられました。
入口のドアは鍵が閉まっているので、インターフォンを押して入ります。何も言わなくても、インターフォンを押したら、ドアが開きました。

奥の部屋の方からはツアー中なのか、男性の説明する声が聞こえてきます。
どこから展示を見たらいいのかよく分からず、近くの部屋に入りました。
しかし、ここは、定期的に展示品が変わる特別展の部屋でした。

廊下には、家具が置いてあります。

二部屋目です。

絵本の展示です。この時は、なぜあるのか分かりませんでしたが、スィティンは、出版社で印刷工場もあったので、スィティンのところで印刷した絵本の展示だったと今は分かります。

私の好きな「金鶏」の絵本もあります。

この他に、『クルィロフの寓話集』、『サルタン王物語』、『漁師と魚(日本語訳では金の魚と訳されていることが多い)』、ネクラーソフの『赤鼻の冬将軍』などがあります。

廊下に、彫刻が豪華な家具がドーンと置いてありました。

「ブロークだあ(右)」と思って、撮った写真です。廊下に展示されていました。

ブロークとスィティンとの関係の説明書きもあります。

そして、エセーニンの展示も廊下にありました。

エセーニンとスィティンの関係についても説明書きがあります。

3部屋目です。

家具や壁紙がかなり豪華です。


4部屋目です。書斎です。

書斎の説明書きもあります。1934年11月23日にここで亡くなったと書いてあります。

右奥にはトルストイの像があります。

ガラスケースに入った展示品には、チェーホフに関する物もありました。

5部屋目で、最後の部屋です。

廊下の曲がり角には、スィティンの胸像がありました。

よく分からないまま一通り見終え、帰ろうとしたときに、受付のお姉さんが、博物館のパンフレット(ロシア語版)を「よかったら、どうぞ」と渡してきました。(初めに渡してくれればよかったのに)
それで、ちらっと見て、そういえば、印刷の人だったと思いだしました。パンフレットをざっと見て、そこに説明されていた物をもう1度見に行ったら、私が来た時からツアーをしていた男性に声をかけられました。
男「中国人でしょ。」
私「いいえ、日本人です。」
男「日本人が来るなんて!日本のどこから来たの?」
私は、無難に東京と言えばいいのだが、正直に私が住んだ都道府県をつらつら言いました。
男性は、知らない地名ばかりで面食らって、「もういいよ」と。
「パンフレットは英語版もあるよ」と渡されました。しかし、英語はさっぱり。

このパンフレットのどこに感動したかって、そりゃあ、ソビエト時代に印刷されたものだったことです。1991年と書いてあります。

さらに、受付の所に、ご自由にどうぞと他の博物館の案内などのチラシが置いてありました。とりあえず、1枚ずつもらい、そのなかに、スィティンのチラシがありました。

カラーでかなりきれいでしっかりした印刷です。

裏は、このようになっていました。

デザインも素敵です。

そして、またまた感動しました。ここには、「ゴーリキー通り」と書いてあります。
「ゴーリキー通り」とは、ソビエト時代の通りの呼び方で、現在の「トヴェルスカヤ通り」のことです。こちらも、ソビエト時代に印刷されたものでした。

制裁の影響で、いろいろ大変なことになっている現在のロシア連邦ですが、ソビエト時代の印刷技術はものすごかったということが分かりました。
ソビエト時代の技術に戻れば、自国ですべてを作れるのではないかと思い、夫に話したら、「ソビエト時代の印刷が凄いのは当然だろ。だって、高い物でもいいものを使いたい放題だったのだから。」と返事がきました。
すべては国の物だから、こうしたいという理想に向かって、お金を気にしないでいろんなものを作ることができた時代だったようです。

スィティンのホームページですが、8月、9月の時は見ることができましたが、この記事を書いた11月23日は、見ることができません。
再び、見ることができるようになったことに気づいたら、サイトのアドレスを貼ります。

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