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『ゼロからトースターを作ってみた結果』感想

 星新一のショートショートにこんな話があった。未来人だか、宇宙人だか高度な文明を持つ世界からやってきた者に対し技術を教えてもらおうとするが、彼は何も知らなかったという物語だ。

 人類は道具を使うようになり、火を起こすようになり、長い年月をかけて進化してきた。今や、ポケットサイズのスマートフォンひとつで移動することなく遠く離れたイギリスにいる者と実質無料で通話することができる。料理を注文したり、写真を撮ったりすることもできる。しかし、どのような原理でスマートフォンが動くかは、ほとんどの人が知らない。もし、あなたが異世界転生したとして、ゼロからスマートフォンを生み出せるだろうか?恐らく、無理であろう。星新一のショートショートのように、異界の者に何も伝えられず終わってしまうことは明白である。

 ただ、世の中にはゼロからものを作るのに熱中するイカれたブロガーがいた。2016年、『人間をお休みしてヤギになってみた結果』でイグノーベル賞を受賞したトーマス・トウェイツが英ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの卒業制作として「トースター」をゼロから作った。

 「ゼロから」とは、どこからなのか?

 彼に言わせれば「原料」からだ。実際にトースターを分解すると、鉄、マイカ、プラスチック、銅、ニッケルから構成されていることがわかる。これを全て原料から見つけ出し加工しようとするのだ。その過程を綴った本が『ゼロからトースターを作ってみた結果』なのである。

 専門家の取材、ブログに集まる情報を頼りに9ヶ月間かけて作り上げたプロセスはどんなものなのだろうか?

1)エンジニア思考に触れる

 トーマス・トウェイツの発想は一見するとぶっ飛んでいるが、エンジニアの考え方そのものである。まず、入念な定義から始まる。なぜ、「トースター」なのかと。彼は次のようにトースターを選んだ理由を述べている。

「あると便利、でもなくても平気、それでもやっぱり比較的安くて簡単に手に入って、とりあえず買っておくかって感じで、壊れたり汚くなったり古くなったら捨てちゃうもの」のシンボルが、トースターなんだ。

p32より引用

 また、今回の制作において製品を分解して調査する「リバースエンジニアリング」の手法を使って、トースターを作るにあたって必要なモノを特定している。ここでいう必要なモノは「バネ」、「回路基盤」といった部品ではなく、「鉄」などといった原料を示している。

 また、制作にあたって3つのルールを用意している。

  1. 店で売っているようなトースターを制作する。

  2. トースターは原料から制作する。

  3. 自分のできる範囲で制作する(工場に外注するようなことは禁止)。

1つめのルールは、

  • プラグをコンセントに刺すタイプの電気トースターであること。

  • 2枚のパンを両面同時にトーストできること。

  • トーストする時間を調整できること。

など具体的な要件定義を行っていく。

 エンジニアにとって作業に入る前に、目的とそれを達成するための条件を整理することは重要である。それを実践しているのだ。

2)問題の要因を細分化することの重要さ

 そして、開発には失敗や困難はつきものである。上記のルールでは解決できない問題が発生したりする。例えばプラスチックを作る際に、最初は石油からの生成を試みたが石油会社との交渉に失敗してしまう。別の方法として、じゃがいもに含まれるデンプンから生成しようとするがこれまた上手くいかない。最善を尽くすが、手詰まりとなってしまう。ここでプロジェクトは失敗に終わるのかと思うと、彼は例外的にルールを緩和する。彼は廃棄されたプラスチックをリサイクルする工場へ取材しに行く。そこで得た知見を基に近所の不法投棄されたゴミを使ってプラスチックを抽出したのだ。

 つまり、自然から取り出した原料を使ってプラスチックを作ることはできなかった。しかし、道に落ちているゴミを擬似的に素材と見立てて、プラスチックを作ることで解決したのだ。これが面白いところは、ルールを一時的に変更した箇所は「原料」のみと最低限に留めているところである。工場からリサイクルされたプラスチックをもらうのではなく、あくまで自分のできる範囲で制作している。ルール3まで変更する必要はないと判断しているのだ。これは問題が発生した際に、要因を細分化し、最低限の修正でもって対応していくエンジニア的思考といえる。

3)トースターの道はアダム・スミスへと続く

 ところで、このプロジェクトの本質はなんだろうか?

 「トースター」を作ることにあるのだろうか?

 否である。このプロジェクトは意外なところに続いている。それはアダム・スミスの『国富論』だ。彼は『国富論』を次のように解釈している。

さまざまな技術が発展し、それによって人々に求められる労働力が減少すれば、必然的に製品のコストが下落し、より多くの人がそうしたものを手にすることができる。つまり、みんなが豊かになる、ということだ。

p141より引用

 生産コストが下がり、製品の価格が下がる。それにより人々は余剰を所有することができる。余剰を持つ者は他者に対して余剰分の対価を払うことができ、それは豊かさに発展するという理論である。実際に原料から「トースター」を個人で作るとなると多くのコストが掛かる。人類は製造工程をシステム化することでコストを下げ、安価に買えるようになった。安価にトースターはトーマス・トウェイツが定義している通り「あると便利、でもなくても平気」なモノである。余剰の象徴といえる。この余剰が持てることで豊かさを実現する。これがプロジェクトを通じて具体的に示されているのである。

 一方で、我々が安価に手に入れられるトースターをはじめとする製品には、コストに反映されないものがあることにも気付かされる。例えば、排気ガスやゴミはどうだろうか?製造過程で出るこれらは、誰かが、それは人ではなく自然かもしれないが、請け負っている。「貨幣経済においてカウントされないコスト」の存在に気付かされたことは新鮮であった。

 ユニークな内容、ライトな語り口ながらも思わぬ発見に満ち溢れた一冊であった。 


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