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藤田直哉『新海誠論』感想

 先日、『すずめの戸締まり』が公開された。案の定、『君の名は。』『天気の子』に引き続き、災害を物語の中心に持ってきた作品となっており物議を醸していた。

 私は例のごとく、公開初日に鑑賞しCINEMAS+さんに寄稿文を提出した。今回の寄稿はCINEMAS+就任1周年ということもあり渾身の評論に仕上げた。新海誠監督作品の運動に着目し、星を追う子ども』とダンテ『神曲』との関係性を応用する形として『すずめの戸締まり』を評論した。反響も多く、個人的には満足したのだが、やはり鑑賞後4時間程度で書き上げたものなので、有識者の新海誠運動論を読んでみたくなった。そんな中、『新海誠論』著者である藤田直哉氏からコメントをいただいた。どうやら藤田氏も新海誠映画における運動に着目していたらしい。ということで早速、入手して読んでみた。良き映画本は、対象の外側にまで応用できる理論を提示するものだと思っているのだが、本著はまさにそうであった。

1.上昇、下降の観点から新海誠映画を観る

■羨望へ向かう象徴としての「上昇」

 『星を追う子ども』や『すずめの戸締まり』では、落下の運動が重要な役割を果たしていた。寄稿文では、その対照的な例として『雲のむこう、約束の場所』を挙げた。この作品では、雲の上まで伸びる「塔」への眼差しが重要な役割を果たしており、上昇することで平和をもたらした。この作品を見た時の感覚は、リトアニア映画サンガイレ、17才の夏。に近いものだった。思春期の少女サンガイレは、空を自由に舞う飛行機に羨望の眼差しを向ける。実際に、空への導き手であるオーストと共に空へと飛ぶが、恐怖心が身体に拒絶反応をもたらす。自分の目指す方向の象徴としての空といった観点が共通していた。

■新海誠映画の転換期としての『星を追う子ども』

 藤田氏は新海誠映画を『星を追う子ども』以後で「上昇」の物語から「下降」の物語へとシフトしていったと論じている。

大きな方向転換のひとつは、これまでは「遠く」、「高く」を目指していたが、本作(『星を追う子ども』)は「低く」、「足元」に潜っていくということである。

p83より引用

シュンは、星を追ってきた男、つまり、これまでの作品で、宇宙や高みや塔の上や雲のむこうを目指してきた者たちの系譜、夢や憧れの対象に突き進む存在の寓意である。その「上昇」が、終わりを迎え、「下降」の方向性と入れ替わる、そのような宣言が本作の冒頭なのである。

p88より引用

 実際に『ほしのこえ』では、宇宙に出て戦争に参加している長峰美加子に地球に残る寺尾昇が恋情を向ける話である。心理的距離として「上昇」の運動が用いられている。

 藤田氏は『秒速5センチメートル』に対しても「上昇」の運動があると指摘している。第三話で遠野貴樹が「高み」を目指す描写があるからだという。『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』では、物理的な空間として縦軸の運動を意識させ、それが「上昇」の運動を強調していったが、『秒速5センチメートル』では仕事において高みを目指す運動へと抽象化されたといえよう。

■心理的上昇描写が希薄となった近年の新海誠映画

 確かに、このように捉えると、昨今の新海誠作品では、『天気の子』における廃墟ビルを登る様や『すずめの戸締まり』における「ミミズ」を止めるための上昇の運動はあれども、最終的には落下が重要な役割を担っている。心理面で捉えても、『君の名は。』の立花瀧は就活が上手く行かず、地を這うように求職していたり、『天気の子』では「今」を生きるのに精一杯な若者が描かれる。心理面での上昇は感じられない。

 この転向を象徴するシーンとしての『星を追う子ども』序盤におけるシュンの上昇を指摘した藤田氏の慧眼に感銘を受けた。

2.映画はコミュニティを作れるのか?

■映画業界におけるコミュニティづくりの難しさ

 少し、本書とズレる話をする。

 映画配給会社でコンサルタントをしていたこともあり、いろんな関係者から「どうすればコミュニティが作れるのか?」と相談を受ける。2010年代後半頃から映画関係者の間で、クリエイターと観客、映画館と観客とを結びつけようとする試みが行われた。コロナ禍前は、映画ファンの集いなどといった映画オフ会イベントや『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を皮切りとした応援上映の盛り上がりがコミュニティを作り上げていったが、コロナ禍に入るとこの手の活動が難しくなってしまった。

 個人的には、映画とコミュニティとの相性はかなり悪いと考えている。映画ファンの間で分断(アメコミファンとそれ以外、サメ映画ファンとシネフィルみたいな)が起きてしまっている傾向があると映画ファン歴約15年ぐらいやって感じている。

 年間何本も映画を観る人にとって、映画館はひとりで映画と向き合う場所のイメージが強い。コミュニティは「みんなでワイワイ」が基本だったりする。確かに、映画ファンもひとりで映画を楽しみたい訳ではない。面白い映画は誰かと話したくなるものだ。ただ、この「誰か」とは少人数である。映画祭帰りにSNSで繋がっている人と少人数で集まり映画について話す場は必要だったりする。企業の場合、どうしても「数」として映画ファンを見る傾向にあるので、大勢をまとめるようなコミュニティを作ろうとしがちである。某インフルエンサー集団がコミュニティを作ろうとしていたが、上手く行っているように思えなかったのが、数としての成功しかなく、実体としての成功に繋がっていないのではないか?という疑惑にある。

■『ほしのこえ』はどのようなコミュニティを形成したのか?

 これを踏まえて新海誠監督初期作『ほしのこえ』に注目する。この作品のプロモーションは、映画関係者が模索するコミュニティ形成の役に立つ可能性がある。本作公開当時について、以下のように言及されている。

二月二日。下北沢にあるミニシアターのトリウッドで、ある短編映画が公開された。タイトルは『ほしのこえ』。監督は、その時点では無名であった新海誠という人物だった。マスメディアなどで大々的な宣伝もなく、この無名監督の無名の作品を観に、多くの観客が押し寄せた。その数三,五〇〇人弱。上映の最終日にはチケットがすぐに売り切れてしまい、なんと追加上映を五回も行ったという。

p26より引用

 本作は、YouTube登場前の2002年にホームページで予告編を公開した。大容量の通信が可能となるブロードバンド回線が普及し、ストレスなく動画が観られつつある時代の波にいち早く乗った。これが成功要因のひとつとなったとのこと。そして、インターメットベースでのセルフプロデュースが功を奏して、インターネット上では「推し」のファンコミュニティ的サイトが次々と作られたとのこと。『ほしのこえ』支持層のメインはこのコミュニティによるものとのこと。この「推し」の概念は映画配給する上で重要な役割を果たしているだろう。

 実際に、今劇場公開されている『RRR』はインド映画ファンが「自分が推さねば」とイラストを描いたり、専門のインド情報をSNSで発信することで盛り上げているところがある。『ほしのこえ』も『RRR』も実際に劇場へ人を向かわせているからコミュニティとしては成功しているであろう。

■インターネットコミュニティ形成の指標としてのVTuber像

 インターネットにおけるファンコミュニティ形成として、参考になるのはVTuber界隈である。VTuber界隈では、「個」と「群」双方においてコミュニティを形成することに成功している。

 個の観点でいえば、イラスト投稿用、配信感想用の独自ハッシュタグを設け、リスナーのことを「せんせい」、「うさぎさん」、「契約者」などといった独自のラベルで呼ぶ。これによりファン同士の一体感を生む。これはリスナー同士のオフ会へと繋がっていく。

 群の観点でいえば、「にじさんじ」や「ホロライブ」など企業所属のVTuberが個人で活動しているVTuberの配信にゲスト出演することを積極的に行っている。これにより、新しい関係性が生まれ、ファンの間で考察する行間が増える。例えば、にじさんじ所属の剣持刀也と個人勢VTuberピーナッツくんとの関係性「刀ピー」は、実際にTwitterでファンアートが頻繁に描かれている。個と個のコミュニティが交わり群となり、VTuber文化の発展に貢献している。

 これらを踏まえると、『ほしのこえ』で提示されたひとつのコミュニティ形成の成功例を足がかりに、ファン同士が自発的に発信する状況を作り出すのかを考えることがコミュニティ形成の中で重要だといえる。Twitterのスペースは、2021年に実装してから少しずつ映画ファン同士が情報を発信しコミュニティを形成する場として機能しつつある。また、VTuberの文化形成論を参考にし、応用することで何か道が開けるのかもしれない。

3.『天気の子』は何を描いているのか?

■SNS=雲説

 『新海誠論』において最も興味深かったのは、『天気の子』論である。本作における「雲」=SNSの比喩だと藤田氏は論じている。この観点は腑に落ちるものがある。

SNSも、天気と似ていて、気分次第で移り変わり漂っていき、一生活者としては流れ(=空気)を読むことを強いられるものである。「お天気ビジネス」とは、SNSの世論を操作することの隠喩なのかもしれない。「かわいそう」という同情や共感を生むためには、若い女性を全面に出した方が効果的なことが、広告産業の実践によって分かっている。陽菜は、「空気」、「SNS世論」を変えるために自身を酷使し、やがて皆が盛り上がって生贄にする炎上の被害者のような、犠牲にされた人物の比喩である。

p157より引用

 一時的に「晴れ」にする能力を持つ天野陽菜は、その能力を使ったサービスを始める。これにより、彼女は多くの眼差しにさらされることとなる。「誰が言うか?」が重要で、その「誰」によっては世論を大きく変えてしまう。その象徴として天野陽菜が存在する。しかし、人々に消費されればされるほど、彼女は自らの身体を酷使することとなる。そして、ある種の代償として、東京の末路がある。

 マルティン・ハイデッガーは技術への問いの中で「集-立(Ge-stell)」という独自の理論を用いて人間の搾取を捉えている。人類は、例えば、ダムを作るために水を堰き止める。自然をコントロールすることでエネルギーとして蓄える技術を発明した。しかし、産業革命以後、それは人類をコントロールすることへと繋がってくる。人間を存在から見放し、エネルギーとして消費していくことが行われてしまった。他者を消費し合う世の中へと突入したと語っている。実際に、SDGsにおける欺瞞にこの理論は当てはめることができるであろう。無数にある項目の中から都合の良いものだけを抽出して企業は対策した気になる。二酸化炭素の排出量は、ビジネス取引で擬似的に減らしたように見せかける。だが、この政治的行為は労働者への搾取は改善するのに繋がらず、パキスタンでは大洪水で国土の1/3を失う結果に繋がった。

 しかしながら、SDGsにおける欺瞞は国家や企業と結びついているために発生しうる問題であり、その根幹にある複雑に絡み合った問題をお互いに擦り合わせて解決していく側面は重要である。その根幹に迫る中で大人たちが欺瞞の渦に取り込まれていく中で、その擦り合わせの外側にいる者の感情的なアクション。本書でいうSNS時代の「子供っぽさ」が世界に影響を与える。現実の大人のロジックが分かっていない子どもたちが世界を救ってしまうかもしれない「セカイ系」の概念の上書きとして『天気の子』は存在すると藤田氏は語っている。いわれてみればゴッホの「ひまわり」にトマトスープを引っ掛けた事件をはじめとする昨今の若き環境活動家によるアクションに通じる論といえる。

■大人と子どもの「大丈夫」の意味合い

 東京が大規模な災害に見舞われているにもかかわらず、帆高は陽菜と会った際に「僕たちはきっと、大丈夫だ」と語る。帆高の性格について藤田氏は次のように分析している。

帆高は、状況を大人のようには認識しておらず、短絡的で視野が狭い。しかし、そのネガティヴに思える性質こそが、大人のようではない、生命の成長する力そのもののような楽観性と人生の肯定の意志を生んでいる。ここにあるのは、幼さ、無知さ、単純さをむしろ肯定するという逆転であり、世代の「ギャップ」こそが希望を生むという反転である。

p163より引用

 これを読んだ時、ブラジル映画ピンク・クラウド(日本公開 1月27日)のことを思い浮かべた。本作は、有毒なピンクの雲が出現したことで、外に出られなくなった世界を描いている。カップルはやがて子どもを授かる。母親はピンクの雲出現前の世界に渇望を抱き、VRで現実逃避をしながら段々と精神が壊れていく。しかし、生まれた時からピンクの雲が当たり前となっており、その前の生活が想像できない子どもは歩み寄ることなく前向きに生きている。子ども特有の無知さが「楽観性と人生の肯定」を生む点で共通しているといえよう。大人になると、政治的、社会的複雑さの中でネガティブな思考に陥りやすくなる。自然をコントロールしようとする、それは会社における上司だったり組織だったりと対象は人かもしれない。そして、コントロールできないことに大人は葛藤し、落ち込む。

 新海誠監督は、子どもの無知さに着目し、目の前の自然的な混沌をそれとして受け入れることで前に進もうとする物語を紡いでいるのではないか?『すずめの戸締まり』では、ついに、直接、東日本大震災について言及をした。災害をなかったことにするのではなく、起きたものとして共に生きる。確かに、鈴芽の行動原理は短絡的であり、日本を救っている動機は宗像草太への恋情によるものだ。しかしながら、本能的行動が過去への痛みを浄化し、それが他者を救うかもしれない。問題をそれとして受け入れ、行動することが結果として救いに繋がると今回の『すずめの戸締まり』で論じたのではないだろうか。

4.最後に

  6千字近くかけて、感想を書いてみた。本書では、他にも信仰を巡る論や日本の歴史を踏まえた論など、幅広い観点から論じられている。そして、その理論は他の映画作品を分析するのに役立つものばかりである。

 『すずめの戸締まり』公開日に、早朝に観た『星を追う子ども』の興奮の波と合わせながら数時間で書き上げた論考を補足する資料として面白く読んだ私であった。

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