見出し画像

あの日、安物のプレーヤー片手に駆け出したのは何故か

レコードプレーヤーを買った。新卒ボーナス41万の中のほんのひと欠片の2万円を握って、休日の寒空の下で宅急便が来るのをじっと待っている。再配達受付の電子音声を聞いてから4時間の流れ。ナビダイヤルの22.5秒の微妙な数列は、年末でありながら草臥れた生活を送っている私に酷似しているような気がする。2枚の不在票に並ぶ伝票番号をひとつふたつと数えながら、足したり、引いたりしながら、表通りにトラックが止まるか否かを横目で確認する。
配達員から大きなダンボール箱を受け取る時、冷えた空気の中で手汗をかいていた。

これまで持ち運び式且つ安価な音響機器しか買わなかった私が、僅かながら背伸びをしてプレーヤーを新調したこと。そこには刷新とも捉えられる意味がある。据え置きタイプの機械を買ってしまったが最後、その場所からもう動けないような気がしていた。
通学時間3時間という生活を改めるべく、埼玉の端っこに住まっていた時期がある。電車に揺られるのは好きだから、どれだけ通学時間が長くても構わない、という私の豪語はひと月で限界を迎え、当時母に無理を言って実家を出させてもらった。音楽がライフラインと化している私にとってヴァイナルというものは常備薬に等しく、故郷へ帰るという段になっても必ず10枚ほどのそれと、ポータブルプレーヤーを持って電車に乗っていた。33回転の音色は私の孤立した時間そのものであり、生活そのものを意味する。LPの直径が乗り切らないターンテーブル、音質は限りなく悪かったけれど、何処へでも羽ばたいていけると私に教え諭してくれるものだから、音質の善し悪し以上に安心感があった。

" 次の入居者が入るから早く退去してくれ " という大家に対しては何も言い返せなかった。大家から退去を宣告され母親に連絡、レンタカーを借りた後に荷物をまとめる、という順を追っていくと確実に一週間は要するものだったが、仄聞するところによれば部屋の掃除業者が6日後に来るというから、電話を切ってから早々に荷物の片付けに勤しんだ。掃除業者が来る、という文言を聞くと住み続けた4年間が丸ごと引き剥がされてしまうようで、その文言を聞いてから数時間翻弄され続けていた。
ある時にはマンション内でバンドを組み、ある時にはベランダでセックスをし、ある時には窓を開けて酒盛りをした私を追い出さなかった大家だから、感謝をしている上に個人的な恨みを持つことなんて失礼も甚だしいが、その時ばかりは大家に悪態を着いた。わざわざその為だけに友人を部屋に招き入れ、柄の良くない人間同士で徒党を組み、室内で煙草を吸った。もとより室内では禁煙を貫いていた(時折換気扇の下では吸っていた)から、その日が最初で最後の、堂々と室内喫煙を敢行した日であったということになる。

荷物を運び出すまで、総じて5時間くらいの時間を要したと記憶している。言い換えれば、5時間ほどで片付いてしまうような4年分だったということで、すっかり片付いた空っぽの部屋を見つめながら、人の生活はちっぽけなものだ、と変に悟ったような気分になった。

荷物を粗方運び出してもなお、最後の晩は部屋に居ることを許された。優しい大家の温情に縋っての決断だった。
部屋の鍵を掛け、生活に終止符を打つまで何としても運び出さなかったものが、レコードプレーヤーと数枚のヴァイナルである。普段はポップスやロック、テクノを聴いて過ごしていた私も、この日ばかりはファンクやアンビエントを聴いて過ごした。日頃落ち着きを求めて、手持ち無沙汰に聴いていた各ヴァイナルもこの状況下で聴くとエンディングを流しているようで、虫の居所が非常に悪かった。
なお、退去当日の明朝、本当の意味での最後に選んだ楽曲は 高橋幸宏の " 今日、恋が " だった。フランシス・レイの原曲と聴き比べてみれば、オマージュと呼ぶには無理があるほどの酷似した楽曲であるが、当時の心境には高橋幸宏が作り出すミニマムファンクな世界観と、坂本龍一の巧緻なエレピが上手くハマっていたと思う。

そんなわけで、この日の思い出を寸分のズレもなく記憶している私にとって、その頃の盤を聴き直すのは些か抵抗があった。一度聴いてしまえば悲しみのるつぼに引き込まれてしまうのではなかろうか、という珍妙な心配があったのである。然しながら裏を返せば聴かないという事実に固執しているからこそ悲しみに引き込まれているのではないかということに、半年間社会で働く最中に気が付いた。かといってただ当時の環境で音を耳に入れるのではなく、プレーヤーくらい買い換えても良いのではないかという境地に行き着いたのである。

他人のプレゼントには純正品を選ぶ癖に、自らに買い与える際には決まって模造品であるとか、それに代替するものばかり選んでここまで来た。やっぱり純正を除くものは間に合わせのクオリティでしかなく、悪く言ってしまえば贋作と同等のものだった。

これまで安いものばかり購入してきたが為に、機械の選び方すらまともに知らないでここまで来ていた。結局安くて得するのは買った当時だけで、後に色々と金がかかることをよく理解しながら2万円のプレーヤーの購入に着手した。結果としてスピーカーが内蔵されていないから、無線有線問わずして繋げることのできるスピーカーを取り寄せることになったのだが、自分に大枚を振り掛けることにはまだ流石に抵抗があって、わざわざギフトラッピングを選択してこちらに届けてもらった。ラッピングを剥がしてから本体を開ける、という手順は単純に手間のかかることだが、この手間を嬉しがっていた幼い自分を思い出して、色々と落ちが着いたのではないかと思われる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?