見出し画像

月ノさんのノートってなんだ?

にじさんじ所属のバーチャルライバー月ノ美兎、その彼女が学校で使っている自由帳「なんでもノート」がこのエッセイのコンセプトだ。

今年の3月に発売されたエッセイ集の感想をなぜ今頃になって綴ろうかと思ったかというと、ピクシブエッセイからキャンペーンの企画があり、待受画像を貰えるからという現金な理由だ。

けれども、発売当初はこの大好きなエッセイの思いの丈を冷静に言語化することが困難であったし、半年という期間を経た今が丁度いいのかも知れない(現在明らかにされている委員長の単独ソロライブのタイトルの話題が入っていることも併せて)。

「月ノさんのノートってなんだ?」

目次ごとに考えたこと感じたことを浚いながら、ネタバレ全開、オタク自分語り全開、私的委員長像思想全開、で迫っていきたい。

まえがき

このエッセイは忘れ物の多い委員長が、忘れ物の多い同類から悪知恵を盗み生成した「なんでもノート」の話題から始まる。

国語、数学、英語…あらゆる教科の負債が詰め込まれた負の遺産のように語られるが、教師側から見ればその子の好きな教科(分野)が分かりやすそうで面白そうだと思った。

この本はあくまでエッセイ集なので内容は日記に統一されているが、面白いものとつまらないものの差がくっきりしている(と個人的に感じる)委員長は、教科ごとのノート作りに笑っちゃうぐらい差がありそうだなぁと思う。オタクの気持ち悪い妄想。

かく言う私も、中学時代によく忘れ物をして廊下を雑巾がけさせられたので過去のほろ苦い記憶が思い起こされたのだが、すぐに笑いに変えてくれる委員長らしいエッセイの始まりだった。

でも委員長、このなんでもノート早速落として忘れモノシール貼られてるよ…

本末転倒だよ…


♡かわいいもじ♡

委員長のかわいい手書きフォントが見られる貴重なページ。
一切使わなそうな記号をフォント化してしまうエピソードが面白い。〒マークどこで使おうと思ったの…?委員長?

ちょっと前に、友人と使う頻度が高い絵文字について話題が挙がったことあるが、だいたいの人は他人に指摘されない限り口癖や口調、文字媒体の使い回しの特徴なんて気づかないんじゃないかと思わされた。

私の場合、めったに絵文字を使わないので指摘されなくても特定が容易だったが。

親が買ってくるコンビニ雑誌の中で、何かしらショックを受ける場面で登場人物の語尾に♨をつける漫画があったが、あの漫画家は何を意図して♨をつけていたのだろう。そんなことを思い出した。


創作できません

普段の委員長の配信では、あえて見せないようにしているのかもしれない「嫉妬」の側面。委員長はあとがきにて「負の感情」と表現していたが、個人的にはクリエイティブな仕事をしている人になくてはならない武器のように考えている。
現に自分の界隈でその手の領域に進んでいった人は、もれなく他者との才能の差に苦悩し必死に藻掻いていた記憶がある。

高校時代、ジャ○ヲタだった美術系の友人が推しのジャ○ーズの目元を描いたイラストが予想以上にバズり、通知が止まらない光景を見せられたことがある。当時同様に絵を描いていた私だったが、不思議と嫉妬の感情を抱かなかったのは、界隈が違うこと以上に、その時の恐怖に引きつった友人の顔がその状況に似つかわしくなく面白かったからだ。

その友人はとても控えめな性格であったし、冗談でもふんぞり返って自慢するような子ではなかったのだが、バズりにバズっている光景と釣り合わせるためには、少しでも自慢げな態度とらせようと私の脳内が勝手にイメージを構築したのだろう。

自分の想像の斜め上を飛び越える事象に遭遇したり、全く違う価値観に殴られたりすると、「嫉妬心」のような俗っぽい、人間らしい感情は打ち負かされてしまうのではないか。神秘的な光景に心を奪われるように。

やっぱりコミケって神の世界だったのか…
神絵師だけに…


あなたの家

委員長の流浪時代のお話。舞元力一のラジオでもブタメンで飢えを凌いでいたことが明かされていたが、やっぱり苦労してたことが伺える。

それでも裸の大将のように家々を廻り、委員長節を吹かせていたかと思うとどうしても面白いし、苦労話もエンターテイメントにできる委員長がやっぱり好きだなぁとなる。バーチャルの存在の定義の1つが、場所性に囚われないことだとしたら、委員長は委員長になる前からどこかバーチャル的だったんだろう。今は仕事柄1つの場所に留まることが多くなったと書かれているが、その内ふらっとまた何処かに消えて、慌てている私達のもとに「驚いた?」と戯けて出てくるような、そんな目を離せない魅力が委員長にはある。

私も「自分の家」を更新しまくった先に、一戸建てのマイホームが待っているんだろうか。ごめん委員長、全然想像できないや(血涙)


十数人へ

Zちゃん、是非ライバーデビューしてください。待ってます。
やっぱり、おもしれぇ女の周りにはおもしれぇ女が集まるようだ。萌え声生主とあられもない姿のやる夫AAの親和性おかしいだろう。

委員長をはじめとしたにじさんじの配信はほとんどのテレビ番組と違い、常にリアルタイムで進んでいくことが多い。テロップや編集である意味誤魔化せない、即興力が物を言うと思う。即興力について考えると、1から作品を仕上げていくクリエイターとはまた別の作業が必要そうで面白い。今あるものから雑多に継ぎ合わせたり、あるいは近くのものでパロったりして、突貫工事さながらに出来合いのものを提出する。面白ければそれでいい、そんなイメージ。

即興力のはじまりって身内ネタで鍛え上げられるのかもしれない。委員長のB級感を裏付ける素敵エピソードだった。


睡眠導入台本

タイトルとは裏腹に、銀魂の神楽が眠れない回を思い出すような序盤。怖すぎぃ!

ホットアイマスクいいなぁと思いつつ、多分私は顔周囲に何かしらの付属物が付いてると眠れないという欠点があるため、使うことが躊躇われる(蒸しタオルのような感じで寝る前に外すのだろうか)。

同様の理由でASMRを聞きながら入眠ができない。1度イヤホンを外してASMRをタレ流しながら寝ようとしたが、耳かきのガサガサ音が今そこで空き巣に入られているかのような錯覚に陥り、案の定失敗した。雨音や雷のような自然現象の音では眠ることができた。

ASMRで入眠できない、オタクのなりそこないな自分の体を今でも呪っている。


Bへの怒り

このエッセイ集の中で大好きなエピソードの1つ。委員長の周りにいる男性像について配信上ではあまり記憶にないため(同業者とのコラボは別として)、新しくて面白かった。

これまた負の感情に類する「怒り」について語れる。委員長にとって負の感情はやはり創作と切り離せない関係なのかもしれない。

彼を嫌っている人物より、自分みたいなやつのほうが普通に性格悪いと思う。

普段の委員長の少女のようなイメージとは打って変わって、冷静に自分を客観視している「大人」な側面にドキリとさせられた。大人になるごとに何かと怒ることが少なくなっと述べられていたが(正確には「時が経つごとに」と表現されていた)、たしかに「怒り」というものは、極めて原始的な感情のような気もする。喜怒哀楽のなかで、「怒り」以外はある程度の社会のなかで培われていく印象があるが、「怒り」はそれこそ快・不快を表す手段としてもともと赤ん坊の頃から備わっているのかもしれない。

委員長は委員長自身のことを「性格が悪い」と表現したが、個人的にはBくんに対して怒ってくれる周りはとても優しい人達に思った(つまり、最終的には怒りの感情を向けた委員長含めて)。これは社会に出たら誰も怒ってくれなくなるよといった小難しい話ではなく、常日頃から思っていることだが、誰かに対して怒れる人は優しい人だと思っている。自分の感情を真っ直ぐにぶつけるひたむきさ、諦めや呆れが先行することなく向き合おうとする気概に優しさが表れていると思う。

Bくんについては、まぁ1人はいるかもしらんよね、こういう子といった印象だった。私は諦めや呆れが先行する気がする。

でも「優しい」委員長だからこそ炭酸水の件に生かされたのだろう。私はこの最後の炭酸水の件が大好きである。


マネージャーは見るな

文豪委員長のお話。明らかに改行の多い文体に笑う。よかったね、委員長。
エッセイ第2弾では是非予約してコンパニオンを呼んでください。お願いします。

大学時代、明らかにやばい居酒屋でピチピチのピンク・レディーのような衣装を着たお姉さんが謎の栄養ドリンクを売り込みに来たことがあったが、そういう感じの風貌なのだろうか。

あとで検索してみよう。


症状が出たな

このエッセイ集の中で1番リスナーへの衝撃がありそうなエピソード。委員長が精神病院に行ったお話。

驚いたリスナーもいれば想像通りだったリスナーもいるのかもしれない。現に委員長の行動のきっかけはリスナーからの指摘であったし。

私としては今いる職域と関連が近いこともあって、もしかしたらそうなのかもな…と思うことはあったが、全く気がかりではなかった。

それは委員長自身も述べていたが、委員長自身がそれをいい意味で気にしていなかったからだ。

それは委員長の環境にあるんだろう。Vtuberとして活躍する彼女は、散らかった部屋の何かしらにぶつかればリスナーから笑いがあがる。洗っていない食器で飲食をすれば愛あるツッコミが入る。

委員長が精神科バイアスとして挙げていた「症状出たな」すら味方につけているのではないか。そんな気がする。

このエピソード内で語られている、ご学友にこの手の話題を振った時の距離感が妙に好きだ。


月ノ美兔は箱の中

このエッセイ集の中で、大好きなエピソードの1つ(2回目)。
委員長の単独ソロライブの表題にもされているエピソードである。

委員長の初オフイベにて起こった事件。vtuberという性質上身バレがご法度とされる中、委員長の姿を何とか見ようと待ち構える邪悪なリスナー、その脱出劇を描いている。

今のように環境が整ってないからこそ、まるで映画のようなこの面白エピソードが生まれたんだろう。

小さな箱の中にしまわれて運ばれるスリルに喜びを隠せない委員長、「今は紛れもなく自分が主人公」という台詞に委員長が委員長である所以が詰まっているように感じる。

ソロライブの告知にて「月ノ美兔は箱の中」という表題に触れる際、委員長とも関わりの深かったとあるライバーの卒業について配信で語ってくれた。彼女達vtuberはバーチャルの存在でありながら、我々リスナーと歩みをともに「この世」を生きている。そこが最大の魅力であると同時に、彼女達、そして我々にとっても危険を孕んでいるのだろう。

委員長は自身の辛い経験について「ライバーの酒の肴にして終わらせたくなかった」と話してくれた。ある種の生々しさがタブーとされるこの界隈で、この手の被害について泣き寝入りしてしまうライバーも多いのだろう。委員長は配信のネタにすることで委員長自身を救うだけでなく、そんなライバーの多くを救ったのではないだろうか。どこまでも生々しい話題であるにも関わらず、それを雄弁と話す委員長は、フィクションのヒーローのように非現実性に溢れているのだから面白い。

時を経て、かつて阿佐ヶ谷ロフトから小さな箱で運ばれた彼女は、その箱をZepp DiverCity 東京という大舞台に移す。次はいったいどんな箱を見せてくれるのだろう。楽しみでならない。


元一期生について

元一期生の合唱、Mr.Musicの誕生秘話。
委員長のウィスパーボイスパートの箇所のコメントが、草一色に染まっていて笑ったのが今でも記憶に新しい。

今ではウィスパーボイス縛りの歌枠なんてやっているんだから、何があるかわからない。

元々は開発アプリのテスターとして集まった8人が、今日までバーチャルタレントとして活動を続けているなんて本当に奇跡に近いような話なのだろう。

一期生が8人全員揃って3D配信をしてくれる日を心待ちにしている。


ライン

これまた「炎上」といった配信業における暗い側面について扱った話。

自身のことを「悪い性格」をしていると表する委員長は、自分にとって憧れの有名人にも同じ側面があるように思えると語っている。

誰だって自分の性格を100%「良い性格」と言い切れる人はいないと思うが、自分の好きな人が自分と似たような側面を持っているのは、たとえそれが悪い性質のものであったとしても嬉しく感じるだろう。または、自分と似たような側面を持っているからこそ、好意を寄せるのか。卵が先か鶏が先かのような話なのかもしれない。

委員長が「悪い性格」をしているのだとすれば、そんな委員長が好きな私も「悪い性格」の持ち主なのだろう。


俺流TPO

委員長が同じくにじさんじに所属しているエリー・コニファーとロリータ服を買いに行った体験談。委員長の「自意識」について触れられている。

服装に限らず決断には責任を伴うため、他者の選択やTPOに身を委ねたくなる気持ちは分かる(女性物は男性物に比べて選択肢も多いのだし)。ただ、委員長の「自意識」をある意味「こだわり」ととれば、なかなかのオシャレさんのようにも感じられて面白い。

自分の場合、逆にあまりに無頓着すぎる性分ゆえに、ウィンドウショッピングを楽しめなかった。派手な服でも地味な服でもなんだっていい、そこに服があるのだから(投げやり)といった体である。今では委員長のロリータ体験談や服のレンタルを扱うアプリの話を聞き、自分でも試すことでファッションを楽しむ余裕が生まれているが、やっぱりどこかウィンドウとはかけ離れた場所にいる。それも委員長のリスナーらしくてアリだなぁと思うことにしている。

全体を通して、委員長はロリータ服をはじめとした服装そのものよりも、その服装を通した「経験」に重きをおいているように感じられた。


臆病者に恵みの草を

映画研究部での委員長について。「臆病者」の委員長が映像製作において、どこに救いを見出し、自分の強みにしていったかが描かれている。そして、それは全てvtuberの活動に生かされていると委員長自身振り返る。

「シナリオのための調査をする時」はそのまま現在の体験レポ配信に通づる委員長の強みだ。

単純に知らない世界の見聞を深めることが楽しかった。

我々も委員長の配信を通して、知らない世界を迷い込むことができる。知らないことを知るだけならいくらだって方法はあるのにも関わらず、どうして委員長の配信に魅入られるのだろうか。それは、我々リスナーも委員長の圧倒的な好奇心に当てられてしまうからだと思う。普段ならおっかなくて避けてしまうモノも、委員長の目を通して見ることができる。いつもなら一歩踏み出せない行動も、委員長の勇気に煽られて挑戦することができる。そんなことを繰り返していくうちに、気づくと委員長にハマってしまっている。

けれど、「笑える映像」は違う。見てくれる客は反射的に、声を出して、こちらから見て明らかな具合に「笑い」という「反応」が起こる。

「笑い」は臆病者の作り手にとってとてもありがたいコンテンツだと、委員長は反芻する。ギャグテイストの映像なんてまさに委員長の真骨頂だ。百物語での一連の流れはその発想力に息を呑んだし、偽ノ美兔なんて何度笑わせられたか分からない。そんな第一線で活躍する「激ヤバ監督」の委員長を支えてきたのは、配信へのコメントの「草」であったことが語られる。

私も例に漏れず、学級新聞の隅に必ず4コマ漫画を書くような小学生だった。自分には皆の目を引くレイアウトはできない、分かりやすい構成力もない。そもそもそこまでの文章量を書く意欲もない。そんな自分がクラスの頭の良い子達と並んで目立とうとするならば、笑いに逃げるしかなかった。教師は苦笑いだったが、そこそこクラスメイトからの受けも良く、最終的には学級文庫で連載するシリーズ物にまで発展した(今から思い返せば、当時に正当な方法で学級新聞を仕上げた評価されるべき生徒は、本当に怒ってよかった事案だと思う)。

それからも漫画を書くことはあったが、どれもギャグ路線から大きく外れることはなかったと思う。私もせっかちであるが故に、リアルタイムで返される「笑い」の反応が一番性にあっていたのかもしれない。そんなことを思い起こされた。


サボり魔の委員長

このエッセイ集の中で、大好きなエピソードの1つ(3回目)
もう何も言うまい、オチが爽やかすぎる。


あとがき

これはあくまで想像だが、普段の(ここでは配信外のといったほうが正しいかもしれない)委員長は日記をつけられるタイプじゃないと思う。

けれども、自分のためだけの演出方法として日記を用いるのであれば、圧巻の自己プロデュース力を誇る委員長にとって、ここまでうってつけのツールはないのだろう。

最後のエピソードからも、委員長の最初の観客は委員長自身であるように感じられた。


総論

結局、月ノさんのノートってなんだ?

にじさんじを牽引するエンターテイナーのエッセイ集。

しかし、気になるクラスメイトのノートの中身を覗いたときのような、微笑ましさも同時に内包されているように感じる。

少しの「演出」はエンターテイナーの側面なのか、それともクラスメイトの側面なのか、それは受け手によっても捉え方が異なるのだろう。

誰にも話したことがない、自分だけの記憶。

もしかしたら隣の席のあの子も、面白すぎる自分だけの記憶を持っているのかもしれない。

そう思わずにはいられない一冊である。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?