美しい自然と活気に溢れた人が教えてくれた、都会では気づかなかった大切なこと

夏休みにした素敵なこと2020

(2020,9 に書いてあったやつを1年半ぶりに見つけたので投稿しておく。)

私の夏休みは、焦りから始まり、予定が空っぽになり遊んでばかりいる自分を周りと比べて正直焦ってばかりいた、長いようであっという間な2カ月半、2020、大学2年生の夏でした。普通の世の中だったら、、、イギリスに留学して、帰国翌日からオリンピックで英語で、埼玉のゴルフ場で選手達を世界中のメディアの方々とインターンでがっつり働く、休みなしの夏になる予定でした。。「仕方ない」で片付けられることかもしれないけど、だからこそ、貴重な時間を無駄にしていて、普段の自分と違い、無気力で、思考停止をしてしまう日々が続いていたような夏休みでした。
でも、あれもこれも中止、、、だからこそできた経験があり、だからこそこの不安定な世の中で働くことって何だろう、一体人人人だらけのこの社会でぬくぬくと生きてきた私という個人は何をすべきなのだろうか。熱中できる仕事はあるのだろうか、と頭の中をぐるぐるぐるぐる考えを巡らす期間にもなりました。
結果、かけがいのない経験と出会いがあったので2019夏のインスタ投稿のように、長文ぶちかまします。

栗原市ってどんなとこ

さて、「栗原」という地名を知っていますか?
私は聞いたこともなければ、どこにあるのか全く想像もできない、その地に行きました。
宮城県栗原市。といっても、全10町村が15年前に合併されてできた、巨大な巨大な市です。新幹線のくりこま高原駅があるので、市の玄関口までは東京から数時間で行ける近さ。私は、その中でも花山湖のある、花山村に1週間滞在しました。(滞在中は、コロナ感染者が1人も出ていない土地に関東から受け入れてくださったということで厳重にコロナ対策をしました。)

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その地を一文で表すなら、

「食べ物、自然、街並み、全てがポテンシャル高すぎてバズりそうで、ビジネスの卵が沢山あるのに、地元の方々はその魅力に気づいてなさすぎる、みんなに知られてほしいけど秘密にもしときたいような魅力的な土地」

です。
日本には自分が知らないだけでどれだけの知らない魅力が隠れているのだろう。パソコンとwi-fiさえあれば大学にいける今、家にこもっているのは勿体無さすぎる、とその土地で痛感させられました。

さて、ここからは栗原での1週間が私に感じたこと、教えてくれたことを
大きく分けて、
①土地が教えてくれたこと、
②食の大切さ
③人(との交流が教えてくれたこと)について日記的なかんじで書きます。

①まずは土地が教えてくれたこと

まず、田舎に対するステレオタイプが完全に崩された。私の知っていた田舎は田舎ではない。というほどに「利便性はない」土地であった。と同時に土地がくれる恩恵の高さに驚きまくり。私が滞在したのは駅から車を飛ばして40分のとこ。仙台があるくらい勝手に都会なイメージを抱いていた宮城県でこの広大な土地に人々が住んでいることへの衝撃はすごかった。訪れたことのある土地の中でダントツ田舎だった。とても良い意味で。

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車が無ければ、自転車では買い物にも行けない土地。新幹線停車駅のくりこま高原駅前には、スタバはない。(市の方が、後に、この地の商店街を活性化させて色々な店舗を呼び込みたいけど何があってもコーヒーチェーン点だけは出店させたくないんだよな、と言っていたのがとても印象的であった。)いわゆる田舎だけど、不便すぎて無理と感じたことは一度も無かった。不便、よりも感性を豊かにできることの方へ分配が私の中で上がった。
当たり前といえば当たり前だけど、人口過多の都会のように上に上に居住空間を伸ばす必要がない。人が仕事とかの都合の為に生活をしている、というより、生活を主体的に営んでいるの方が適している街だなあと、人々の生活感も開放的に感じられた。空が感動的なほどに広く、綺麗で、澄んでいた。毎日空に感動していた。向かい側のマンションや電車の音に空を見ることを邪魔されない。夜になれば天の川も、流れ星も、道路で寝っ転がって観れたし、私は、勝手に日本一星空が綺麗な街に認定している。

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あまりにも綺麗すぎて、私が知らない土地に行くと発揮する感受性アンテナが働きまくりという写真

初めて訪れた日から栗原の土地が大好きになり、今まで、自分の住んでいる土地、空間自体をスキになった事がなかった私は、ある疑問が浮かんだ。
一体今までの人が都市へ都市へと流れ込む図はなんのメリットがあるのだろうか。

一般的な都市での生活にフォーカスすると、人々は競合店の中から、一々どこでランチを食べるか選び、沢山あるスーパーの中から、安く、美味しい食材を求めはしごする。そして、都市の生活の極め付きは、「移動」にかかるストレス、乗り換えや終電といった「時間に追われている感」。利便性として賞賛されていたこれらのことが都市で生活することの負担でもあるのではないか、と感じた。

栗原、という土地は、「田舎」だからこそ、私がコロナ禍でモヤモヤと感じていた、密密密な地に住むことへの意識を鋭く意識させてくれた土地だった。最近はそのおかげで、定額家サブスクリプションで日本中に住みたい欲が爆発!パソコン1台で家賃分稼げるようになったら真剣に申し込みたいー!


次に

②食の恵が教えてくれたこと。

食の平均点が高すぎる。美味しい、の優等生で、美食の街だなぁと感じた。地元の人はそのポテンシャルに気づいていないのが勿体ない、と単純に思った。食体験の数々が贅沢すぎたから。
行く先々で驚かれる程に私は毎食「美味しい」を連呼していた。だって本当に美味しいから。その美味しさは、料理自体が美味しいのもあるが、何よりも食材が美味しすぎる。袋詰めさえされていない野菜たちはもう、「レベチ」だった。きっとその美味しさは、食材の見える化と、思いから来ているのだと確信した。醤油とノリをかけただけの焼きナスがただただ美味しすぎて2人で夜ご飯無限焼きナスパーティーした。

その中でも食lover の私の食経験の中のトップにランクインしたのは、民泊での食事であった。農業と牛の繁殖をしているおかあさんが言っていた。「少しずつだけ、沢山の種類を育てて、家で食べる分を作っている。東京の知人は、それこそ最高の贅沢なんだよ、と教えてくれたんだ」、と。本当にそう。家でとれた枝豆を新鮮なうちに程よく粒粒にすりつぶしてあるのが秘訣というずんだは、一体今までの私の大好物のずんだは何、、、、とショックを受けた美味しさだった。

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ずんだ餅写真

そして、そのお母さんが言っていたのは、「農家は大変だ。時代によって上のコロコロ変わる政策に苦しめられてきた。でもね、いくらコロナでパニックで買い溜めがおこっても食いつないでいける。」
食とその生産にとって、脅威となるのは予測不可能な自然の猛威よりも減反政策など、人であることは初めて考えさせられた。食を育むことにおいては、食べるのは人なのに、規制や、パニックでめためたにしてしまうのも人なんだ、というのを考えた。そして、食材がどこからきたのか分かる食体験をした今、concious eating(人類学の授業で習った!)の重要性をひしひしと感じた。割と食はルーティンすぎるあまりに食に関わる様々なことへの意識が欠落していることが多いと思う。。。それは、食べるまでがあまり可視化されていないから仕方ないっていうのもあるが。concious eating(意識的に食べること??)を意識高い系の中のトレンドで終わらせないで、普及させる重要性を感じた。もちろん、経済格差が食のチョイスのアクセスを限りのあるものにしていることがすごい問題だとは思う。
まさに食の生産者である(牛から米まで幅広い)民泊先のさきこさんがおっしゃていた「人間、食が一番大事。落ち込んでも、美味しいもの食べて元気出しなさい。」が本当に食の力を語っているなあと思った。

牛、

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食事 

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③人が教えてくれたこと

行く前から念押しのように「こっちの人はみんなキャラ濃いよ~」と言われていたが、本当にそうだった。数日前まで、そのコミュニティとは赤の他人であった私を、ウェルカムすぎるくらいに迎えてもらって、幸だった。
様々な大切な出会いがあった。まず、そもそも私が栗原市にたまたま行けたのは、栗原市定住戦略室の方々がれべチに熱血であったから。栗原の魅力発信してファン増やす為に何でもやっちゃおうぜマインドなベンチャー企業感溢れる人々であった。それで、縁があり、たまたまおてつたびというサービスを通し、魅力的すぎた募集文章に惹かれ私が行くに至った。


定住に力を入れているくらいだから、栗原の人々は、都会からのよそ者であっても受け入れてくれる広いマインドの持ち主。おもてなしを沢山してくれるけど、恐縮してしまうほどには重すぎず、ズカズカ踏み込んではこないが、個性を受け止めてくれる雰囲気であった。
定住戦略室の方がこうおっしゃっていた。「沢山の恵みがある栗原市の最もな魅力は人なんだと思う。」人が魅力的だからこそ、移住者が沢山いたり、東京からその地へ学生がリピーターのように来ているのだとすぐに分かった。
栗原の地で、魅力的で、活気に溢れた、人々が教えてくれたことは沢山あった。出会った人たちを題材に、プロフェッショナル仕事の流儀か、情熱大陸撮れるくらいに魅力的だった。本当に。
出会った方々に共通していたのは、みんな心の底から、地元であったり、活性化への意欲であったり、仕事への情熱であったり、一生懸命に取り組んでいるからこそきらきらで、芯が通っていて(=キャラが濃い)、周りに必要とされている存在であること。人々が生活をするコミュニティの大きさは違えど、人が多すぎて自分見失いがちになる都会でも当たり前に持つべきマインドだな、というのを、当たり前ながら、私は、その地にいって学んだ。

そしてこれから。

私がこうして栗原の土地と恵みと人々との交流から、ポテンシャルが高すぎることを知った。絶対に帰りたい土地になり、リモートワークを栗原で!を推進してるからきっと私みたいなファンがこれから増えると思う。とっても楽しみです。でも、それと同時に、地域の良さって、都会化されてなくて、何でもかんでもビジネスに繋げようとしないからこそ、成り立っている良さがあるので、もどかしい。。。活性化して観光客沢山来るおてつだいをしても、地域の人がそれを求めていなかったらそれは違うし、難しいと思った。
栗原で経験したように、これからまだまだ知らない様々な土地に行き、私の知らないと地域の人々の気づかないを沢山発見して発信していける人になりたい。有名な場所いって写真を撮って「すごい~。」だけでは終えたくない感はあるからかもしれない。それと同時に、私は、知らない土地にいって自分がワクワクすることが大好きで、こんな素敵な場所だった、と人に話すのも大好きだけど、自分の生活する空間に全然ワクワクしていないのが直近の問題だと思う。地元に対しても新鮮な目を持ってみるのを頑張ります。。。。

もう20歳か、とか色々考えてよく分からないけど、
何をするかも大事だけどどこで生きるか、感性を殺さずにのびのびと、を基本としたいナ☆
と大切なことを教わった気がします。

以上

ありがとうございます。